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上田城へ 母、若かりし頃の通勤の道

旅館を10時ごろ出る。来た時同様、専用車で駅まで送ってもらう。しなの鉄道で上田へ向かう。

長野県東信生まれの私にとっては馴染みのある場所、上田。
幼い時に喘息を起こしては小諸からいつも上田の医者まで来ていた。
もちろん母の運転で。約23キロ。
小諸にも医者がいないわけではない。緊急の時は使う。
ただ、何回も誤診などをされるにつれ、上田の医者がかかりつけになった。上田の親戚の家はうどん屋で、帰り道はそこで食べたり、母と何か一緒に食べるのが好きだった。

上田城、昔と変わりすぎ

昔の廃墟風城から、有名な城に変身


半世紀に近い間行ってないこの上田の街。
真田昌幸ブームの後、どういうふうに変わったのか。
母も親戚がいても(弟家族)行ってないわ、ということで、ちらりと上田城である。

上田城は駅から行くとその前に止まるバスはない、ということでタクシーに乗った。700円くらい、遠くはない。

行く途中ここが、城かと思って見上げると、小学校だったりした。塀が城の塀かと思うほど立派。
#豪華すぎる小学校の塀

史料館

時間をかけてよく見た結果思ったのは、昔のどうしようもない廃墟のような城と違い、ここにあるものはまるで新しく作られてかのように復旧(?)されているということ。
城の移り変わりだけではなく、30年前くらいに比べても、もはや別の空間。

松本城などと違い、階段は非常に広く踏み出しやすくなっていて、現代風にもともと造られている気がした。いや、戦いの城だからかな?


城の中にも入ってみた。
紅葉真っ盛り

上田城は今でこそ受験の神様のようになっているが、櫓(ヤグラ)の二つは遊女屋に


明治に民間に払い下げられた、上田城であるが、櫓が遊女屋に使われたということは、本当に驚いた。オランダで言うところの、教会がカフェレストランになったような感じかな?

上田城の櫓のうち、2基は明治11年(1878)市街地北方の太郎山山麓に設置された上田遊郭に移築され「金州楼」と「万豊楼」という遊女屋(貸座敷)として使われました。

museum umic/上のサイト

城の歴史興味深いと初めて思った。

母が、若い頃にどこへ通勤していたのかも、一ヶ月後の今はもう忘れた。まぁ、そんなものである。備忘録なのに、その役目を果たしてない。電話で聞いて、後で付け加えようかしら? (こそっ)

紅葉をみながら、疲れた体を二人で引きづりながら街を歩く


上田という街は歩いてる人がほぼいない。この城の周りはともかくとして、メインの通りも寂れている。

実際親戚に聞くと、人の流れは駅の反対に行っているらしい。イオンがあるからだという。それにしても、市役所の新しいガラス建築があったり、
城の周りを見渡す限り、建物は立派である。先に建築、の街なのかも?

とにかく人が少ない。車も少ない。どこも開いてないじゃないかと、母親とボソボソ言ってると、信号で横に並んだ女性が、「木曜は休業しているんですよ。お店も、カフェレストランも開いてないんです」と教えてくれた。

どうやら仕事でここにきている東京からの人だった。
お腹がすき、もはやどこでもいいからと母と駅の武士ラーメンというところに入る。もはや行き当たりばったりの旅である

麺将武士(モノノフ)なぜか、幻の王様中華そばというのを食べる。(武士ラーメンは食べなかった)

店員さんほど外人さんだ

市内を歩いても、あまり楽しいことはなかった。母は疲れ果ていていたので、この後、またもやしなの鉄道を使い長野市へすぐに戻る

長野市のホテルに泊まったことがないというので、

国際長野21という老舗ホテルに泊まる。


とても疲れていて外に出かけられないと、母は初めから言っていたので、長野駅のデパ地下でお弁当とか色々買ってからタクシーに乗る。
足が棒だそうだ。普段歩かない母にしては頑張った。

私は出かけ間際の長野市の駅で、スケッチャーズというアメリカのブランドの靴を買い、オランダから履いてきたブーツを脱ぎ捨て荷物に入れた。とても履き心地がいいので、ガンガン歩けた。Sマークが、なんだかスーパーマンのような印だ。

ホテルでは母だけ割引。そして信州割をまたもらう。トータルで7000円くらい母は得をしたらしい。旅館ではもっとお得であったという。

角部屋は古めかしく広く、私は気に入った。他の部屋はモダン

日本のホテルはどこも加湿器がこれでもかとついていて、音がかなり気になる。でも加湿器は必要。日本の暖房システムはほぼエアコンだから、顔に直接風が当たることもありかなりドライになる。この日は、二人でテレビを見たりしながらゆっくり過ごす。

長野市に住んでいるのだから家に帰ってもいいのだけれど、こういう疲れた時に広々と綺麗な部屋にいると気持ちが癒されるね〜、と二人で話す。

デパ地下で買ってきた弁当やお寿司他、いろいろ食べたりした。
もう、このホテルの中にあるレストランへ行くのさえ嫌だと電車の中で言われ困ったが、歳をとるってこういうことね、とまた習得する。美味しいものをずっとたべれるのは若いうち。

つまらない風景
シャンデリア、大きい、つい光熱費を考えた


ここも、ライトが
上階を探索

このホテルは悪くはない。いや、とてもいい。
今も結婚式をするならここでという人が多いらしい。ちょっと古めかしいけど、そこがいいかもしれない。

そういえばこのホテルへ連れて来てくれたタクシー運転手さん

「えっ、お客さんオランダに住んでるの? 海外30年? いや〜、ありえない。僕は若い時東京のあるレストラン(minu)へ働きに行ったんですけれどね。二週間でホームシックになってしまって、母親に帰っていいかって聞いて、いいと言われたんで帰って来ちゃったんですよー。ほんと全く僕はいくじがなくて……、そう言いながら、珍しくオランダはどうですか?」

などと聞いてきた。多くの人が海外在住者に何も質問しないのに慣れているので、少し驚いた。案外全く地方から東京や大都市にさえ行かない人の方が、聞いてくるものなのかな?

次の日は、8時ごろ起きて、チェックアウトまでぼっと二人で過ごす。

帰りはぐるりん号というバスに乗り、長野駅まで行く。そして、北しなの線に乗り、北長野まで。

目の前にあるデパートらしきものに入り、その日の夕食も買い、母に帽子を買う。タクシーを呼び家に帰る。

母にとっては疲れた一日だったと思う。

家に帰ると、妹から着信。明日どこかへ出かけようという。母は嫌がるが……きっと行くことになりそうだ。

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