見出し画像

稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――25回

前回はこちら。

1.『かもめ』を背景に


 漸く時系列が最近に近づいてきたが、稲田との再会は2018年冬のことで、時が経つ速さには眩暈がする。正確には、再会は初めてではなく、2014年にも再会している(その時のやり取りは友好的だった)。2018年の夏には、当人とは会っていないものの、うっかり会わせられそうになり、その頃には自分がどういう被害を受けていたのか理解し始めていたので、顔の原型がなくなるまで殴りに行くか行くまいか迷いつつ結局会わずに避けたということもあったのだが、要するに、私が、いかに自分の人格が尊重されていなかったかと気づいたのが2016年頃で、それ以降の私はずっと恨み辛みに駆られ、脳内ではしょっちゅう彼を、ベルイマンの「野イチゴ」の悪夢よろしく、共通の知人たちが並ぶ前で激しく糾弾するイメージを描き続け、比較的最近まで夢に見たこともある程にひどく苦しんでいたのだ(なんでも話せる友人が出来てから、その頻度はぐっと減ったことを付記しておこう)。兎に角、彼がいかに思いやりがなく、自分勝手で、行動の全てが自分を気持ちよくするためのオナニーでしかないのか、世界中に知らしめてやりたい、外を歩けなくしてやりたい、と思っていた。同時に、それをやってはいけないと理性が言っていたから、共通の知人の一人に、具体的な内容は割愛して、「彼の昔の言動で私が傷ついて今も苦しんでいること」を、彼に伝えるよう頼んだりもした。彼が、自らを顧みた結果猛省をして私の前に現れないという選択をしてほしかったから(しかし、友達が伝えなかったか、彼が自省しなかったかのどちらかになったようだ)。そんな中での再会が2018年の末のことで、これは私にとって災難だったし、これを書く理由にもなった出来事だから長くなるがお付き合い願いたい。

 この最後の再会さえなければ良かった――否、再会といって良いのかは分からない。彼は、私のことが目に入らない振りをしたから。あるいは、実際に目に入らなかったのかも知れないが、目に入っていても結局無視したに違いないので同じことだ。これが、その辺りの道端で偶々ばったり出くわしたが、お互いきまずくて声をかけられないというのならば、仕方がないことだと思うし、私もそこまで責める気はない。とはいえ、彼は少なくとも私より三つは年上なのだし、永遠の学生気取りで若者のつもりでいながらも同時に年上であってサークル内でも権力者であったために偉ぶっていたので、「きまずくて声がかけられない」なんて肝の据わっていないというか、あまりにもちっせぇとは思うが、私の前に付き合っていた同サークル内の私の同期(私より一つ年下)と、私と一緒に歩いている時に学内ですれ違ったら、沈痛な空気を纏ってのろのろ歩きながらも目に入らないフリをして切り抜けようとした男だから、仕方ない。兎に角小さい男なのだ。身長は180近くあって良い体格をしていたので、顔の造形なんかについては平均より下なくらいだったが、一見高身長だし物腰も柔らかで人当りがよく、結構悪くない男に見えるのだ。顔面は本当に、例えるなら布袋寅泰から覇気を奪ってヌボーッとさせたような感じでいまいちだけど、優しそうには見える。今の私のような二次元しか受け付けないレベルだったら絶対につき合えない顔ではあるが……と、話がずれていくので戻らなければ。さて、その再会は、どんなものだったのか。その日、私にとっては複雑な愛情の対象である語劇サークルの本公演を、同期の友人と観に行った。後輩たちは可愛い。一生懸命練習をして、その日を迎え、なかなかにハイレベルな上演をこなしている。演目はチェーホフの『かもめ』――よりによって、『かもめ』なのだ。手に入れたいものを手に入れられない人達の、天才や名誉に憧れながらも、思うようにいかなかった人達の、挫折の物語。彼と付き合っていた頃、テレビでだったが、藤原竜也主演の『かもめ』を一緒に観たこともあったか。あの時に何を思ったかは忘れたが、そういう時間は幸福だったし、色々な感情を共有したはずである。何か心に訴えかけるものがある芸術を共有して話ができているような錯覚を覚えていたのは間違いない。予約していた席は偶々恩師の座る場所の斜め後ろ。そこに、恐らくロシア人と思しき細身の女性が現れた。誰かな、と思ったが、それはすぐに理解された。のっそりと姿を現したのは、その彼――稲田であった。非常に親しげだったから、恋人か夫婦であることはすぐにわかる。断っておいた通り、彼は私のことが目に入らなかったはずはないと思うのだが(まあ、私も彼と交際していた当時より随分太ったのでわからなかったのかも知れないが、私の隣に座っていたのも彼の後輩だったのだから、二人も昔の馴染みの顔が並んでいてわからなかったはずはないし、仮に気づいていなかったとしても結局同じことだ)、何事もない素振りでその女性の隣に座った。彼の母親までもがいた。つまり、順番は忘れたが恩師(女性)、彼のママ、ロシア人女性、彼…と、私の前にそんな生々しい列が完成されてしまったのである。何かの嫌がらせかな?と思ったが、公演が始まってしまったので観劇に集中することにした。しかし、この稲田とロシア人妻、観劇中に、流石に激しいことはないものの肩を寄せ合い、微笑み合い、今にも乳繰り合うのではないかという雰囲気でいちゃつくのである。こんなことは書きたくないが、元カノといわれる立場の私は流石に多少彼の性癖を知っているし、もともと屋外でもやたら体を触りたがるような男だったこともあり、色々と想像されてしまい、生理的に気持ち悪い。というか、昔付き合っていた女の前でニヘラニヘラと新しい女と肩擦り合わせていられるのはどういう心理なのだろう?(仮に私に気づいていなかったとしても、私が公演に来ている可能性を考えないのだろうか?頭が悪すぎるだろう。というか、後ろに知り合いいるかもって思わんのかボケナス)まさか、こんなかわいい妻をゲットできる俺を捨てたことを後悔するがいい!というマウンティングだったのだろうか(※残念だが、顔だけを基準にするなら私の感性からすると100人並の妻である……ルッキズムでゴメンよ)。悪いが、もっともっと早く捨てなかったことこそ後悔しているし、いやそもそも付き合ったことのほうを後悔しているのだが。いや、ついでに、お前が生まれてきたことを後悔している。命を返上して、代わりに世の理不尽に殺されていく子供たちに……そうだ。彼は、普段から自己犠牲の美を謳っていたではないか。

2. 偽善者で内弁慶の男

 彼は、良い人間として見られることを好んだ。

 これだけならば、普通のことだろう。誰だって、ツッパリとか裏家業をやっている人は知らないが、立派な人物として見られたいと多かれ少なかれ思っているか、少なくとも、普通はクズだとは思われたくないだろう。だが、兎に角、彼は周囲から良い人間と思われるようにいつでも気を配っていたし、表向き立派なことをよく言ったのだ。

 交際していた時、大学のキャンパス同士を繋ぐ道のどこかで、何かを買いたいとかそんな話をしていた時だったと思う。彼は三男で、上の二人とも実家暮らしだったが、二人はもう働いており、両親もそれぞれに仕事があった。某鉄道会社の父、介護職の母。優しそうな二人だったが、実際に優しすぎて、文句を言いつつも、特に目標もなく三男坊がのんびりまったりと、いつまでも羊水に浸かっているかの如く大学の七年生までやるための金まで出してやっていたのだから、優しいにも程がある。可愛がられた立派な三男坊は、流石に七年目になると卑屈になってしまっていた。多分ここまでの記事の何処かで書いていることではあるが、誰もが全部を読んでいる保証もないから改めて軽く書いてしまおう。愚痴を聞いてやったあとで、私が「あなたが留年していなかったら私とは関われなかったかも知れないんだし」と慰めてみた所、「じゃあ俺の今までの学費払ってよ!(ぶぅ~)」と言ってのけたくらいの甘えん坊さんだが、普段は言うことだけは立派だった。例えば、買いたいものがあるが欲望を抑える時、彼は常に「アフリカでろくに飲み食いもできず苦しんでいる子供たち」のことを考えているのだそうだ。ご立派な心がけではないか。勿論、私はそんなところを全く目撃したことはないが、その分のお金を支援団体に寄付していたりしたに違いない。そんなことはやっていないのに、弱者をダシにできる程腐った人間と付き合っていたなんてこと……あったのか。あったんだろうか。悔しい。そうだ、彼は偽善者だったのだ。

 いつだって、人に「~~してあげる」「~~してやる」という思考回路。二年目の公演の時、つまり彼は一応引退状態(六年生だったから)だった年、初演後後輩たちに「俺にアドバイスできることがあれば!後でメールするよ」と顔を売りまくる。しかし、その日はうちに泊まる予定だった。なんと、出演後クタクタで早く休みたい私に後輩たちの連絡先は確認すれば良いと考えていたようで、朝少し寝ていたい疲労困憊の私を起こすことも構わずでかでかと目覚ましを鳴らして、後輩たちにメールを早朝から送りつけるつもりだったのだ(私が、自分を労わってほしい時に人の家にきてまで先輩面したがる所にひどく気分を壊したのでメールアドレスは流石に聞けなかったようだったが、目覚ましは予定通り鳴ったのでお陰で寝不足だった)。とにかく、他人に良いツラをするためなら、私のことは幾らでも犠牲にできる男だったのだ。
 そんなことまで思い出す観劇中。その問いを、背中に無言で投げかけても当然届かない。兎も角、目の前でモラハラ野郎のいちゃつきショーをやられながらの観劇となってしまったが、どうやらロシアで勤めていた彼は退職して帰国、今年、もう一人の恩師の退官に合わせ、役立ちに(もとい、自分を取り立てて貰いに。自分専用の女をゲットし、充実した生活をしていることを見せに)きて、後輩たちのためにひと肌脱いでいたらしい。無料で使える日本語堪能なロシア人妻にも手伝って貰ってパンフレットに翻訳文を載せたり、その他にも色々と尽力っぷりを見せつけたようで、既に書いた通り、そもそも彼は「人助け」が大好きだったので、驚きではない。何しろ自分で「俺は自己犠牲を払うのが好きだ」みたいなことを言ったり、「~~してやりたい」というのが口癖のような男だったのだから。ただ、彼の欲望は助けることそのものにあるのではなく、感謝され、自尊心をくすぐられることにあるので、彼が何かしてくれるからといってそれが相手の為であることは実に少ないということは、本当は知られても良い事実だと思う。まあ、炯眼な人間は、彼のそういう本性を「先輩には良い顔をするが後輩には横柄なやつ」などと見抜いていたりもするのだが。

 ところで、「かもめ」は、そんな男の後ろから観るのに、ある意味ひどく象徴的な芝居だった。マーシャが、愛からではないが結婚した男に言う。

「赤ん坊赤ん坊って!前は少しは哲学的な話だってしたのに」

 知っている。その失望を私はよく知っている。文学青年で、色々と教えてくれて、知的好奇心旺盛で、ちょっと浮世離れしている人だったはずの彼が、本当は煙草が吸えて好みの女とセックスできれば幸せ、作家か演出家か何か才能を取り立てられて大人物になってみたいが、必死に努力をしたこともない男だと知ったその時。そして、一緒に創造的であったり知的な何かに取り組んで高め合える関係であると思っていたのに、私は彼にとって、自分より少しバカでいて欲しい、外見が好みなだけの女であったと知ったその時。背伸びして、もっと高尚な世界に踏み出そうとすれば、頭を抑えつけられるだけの関係だったと知ったその時。

 勿論、とりもなおさずそのままの関係性が描かれている訳ではない。でも、ところどころ、胸が悪くなるほどの共通性を感じて苦しくなる。なんで、私はこんな男に夢を見て、傷つかなければいけなかったのか?と、答えの出ない問いが繰り返された。これは、トラウマの再来だ。既に書いたことだが、例の「一緒に芝居をやろうといったのに裏切られたこと」のショックが鮮明に蘇った。あの当時は、何か芸術的な、雑に言えば高尚なことに共に取り組めるような、高め合える立派な精神の恋人と出会えたかのように思っていた愚かな私。何を話しても面白かったし、気持ちが盛り上がったし、その頃は私の趣味の話にも興味を持って聞いてくれていたし、実際、彼の方でも、私のことを面白い人間と思ってくれていたところもあったかも知れない。つまり、自分が所有しているという意識がない内は、彼はまだ私の人格をある程度は重んじることができていたということだ。だから、その時は、運命的な出会いをしたものだと恐ろしい思い込みに陥っていた。だから、私は、彼が、公演が終了した後日、まだ互いの思いを告げてはいないものの気持ちが通じ合っているような、そういうドキドキ感ですっかりバカになっていた時の、「君や、誰それと牧歌的な芝居をやってみたいな」という、ちょっとした公演をやりたいという誘いとも提案ともつかない言葉に舞い上がった。これが、今では明らかであるモラハラやら精神的DVのこと以上に、私を今日に至るまで一番苦しめていた出来事だ。『かもめ』のニーナなんて、私からすれば、トレープレフに熱烈に求められてその役を演じているだけ、少し羨ましい位ではあるが……まあ、ニーナはトレープレフの戯曲を気に入らないし、誘惑されたら年上の人気作家にころっと落ちてしまう(というか、彼女自身名誉欲があっただろうし)わけで、幸せでもなんでもないのだけれど、彼女の失望は私よりも高みにあるように見えた。そう、彼が口にした「牧歌的な芝居」は実現しなかったのである。

 確かに、明確な約束ではなかった。でも、「一緒に芝居をやろう」という意味合いだったはずだった。それは、突然投げ捨てられてしまった。幻想は崩れ、等身大の彼が見えてしまった。空虚な人間に幻想を抱いてしまった私が未熟だったといえばそれまでの話だが、幻滅というのは実に恐ろしい出来事で、文学だの美術だの演劇だの、何でも良いが何か魂の深みを模索するような道を一緒に目指しているのかと思ったら、相手は自分専用の女を早く入手して、安定して自分の心身を満たしたい、月並みの幸福……例えば、「結婚」がしたいだけの男性だったと気づいた時の幻滅は私にとって大きな苦痛となった。既に書いたことだが、別れ際に「い、一番の恋愛は…グスッ…失敗したから……、二番目に好きになった人と結婚しますぅッ…!!」と泣きながら宣言したほど、兎に角結婚願望がとても強い男。兎に角結婚したい男。昨今、「結婚」というのが、その制度に乗る側の心意気や信念とは無関係に、元来女性を搾取しやすい構造になっていることはだんだん知られてきていることだし、愛し合う二人が永遠に幸せになるための安寧の地というわけではない。基本的に、結婚願望が強い男性とは、支配欲が強い男性であると考えて差し支えないと思う。そういうことをさしおいても、私は元々「結婚」に興味がないし、好きなカップルはアベラールとエロイーズだ。というか、アベラールはそこまで好きではないがエロイーズが好きなのだ。「あなたの妻と呼ばれるより、あなたの娼婦と呼ばれるほうが良い」――単なる女として見られたいという意味にも聞こえるかも知れないが、エロイーズはめちゃめちゃ知的な女性で、聡明な議論をする女性だったという。俗っぽい制度に絡めとられたくない、自分が選んだ相手との愛を、月並みなものに貶めたくないという気持ちが私には理解できる気がするのだ。結婚に興味はないし、熱烈に愛した相手とこそ、結婚など絶対にしたくない。友人としての対等さ、恋愛の情熱……そういうものを保ち続けるのに、結婚という制度は適していないと思う。家父長制前提のイエ単位の箱庭で、対等な関係を築くのはなかなか難しい。まあ、娼婦と呼ばれるのも困るのだが。と、ついつい話がずれるのだが、諸々の出来事があったから、「かもめ」の最中、私に気づいていてか気づかずにいてか知らないが、私などいない前提でヘラヘラ笑っている稲田が許せなかった。本当は、後ろから蹴り飛ばそうと思えば蹴り飛ばせたし、髪の毛を掴んでそこら中にガンガン頭をぶつけてやれるような位置関係だった。が、恩師もいる。何より、後輩たちの舞台をぶち壊す訳にはいかないから、"また"我慢したのだ。我慢、我慢、我慢。一体、いつになったら我慢をやめればいいのか。二人の交際期間は、全て私の我慢の上に成り立っていたと言って良い。苦しさを打ち明けたって、返ってくるのはこんな反応だ。

「僕のことをこんなに思ってくれているんだね!うれしい」

 当時は、私の健気さに感動してくれたのだと感じたが、本当にそうだったろうか?普通の、まともな神経の持ち主なら、「傷つけてしまって御免」が最初ではないのだろうか。だが、謝罪はなく、「俺にはああするしかなかった」「必要だった」の一点張りであり、芝居は何かしらの形でやりたいとは言ってくれたものの、目途も立たない。その話題は何となくタブーになり、常に私の胸に鋭く引っかかって、時々ひどく痛むような代物になった。

 対等な、人格や能力や感情のある立派な一つの人間として認められたいという私の普通の願望は、その後も叶えられなかった。笑顔で喫茶店デートしていたはずが、学問の話をするや「かしこぶってんじゃねーよ」と攻撃され、道案内を見るために少し立ち止まって、他人の通行を少し妨げてしまっただけで、「何やってんだバカ!!」と怒鳴られ、長年の親友と久しぶりに飲みにいこうと約束していた当日、どうしても自分と会ってくれという彼の願いを十全な形で叶えなかったらむっつりと無視され、入院の前日でも体を求められそうになり、彼はヒモのようにしょっちゅう家にいた。

 そして、当時のことで彼に反応を求めても、両親が出てきて、彼はしっかり守られている。彼はトレープレフのことを「マザコン」と言っていたが、言えた立場であろうか。トレープレフも、はっきり言って、愛人に夢中のママや名誉欲でおかしくなったニーナなんかに執着してないで、出家でもした気になって創作に励むべきだったと思うけれど、稲田よりもずーっと立派である!

 とかく、かなり悪い意味で思い出深い「かもめ」鑑賞になったのだが、上演は素晴らしかったし、目の前のダメ男は何となくチェーホフの書くあれこれに居そうな存在であり、パロディーだと思わせてくれるものもあった。やはり、文芸の世界は、現実でボロボロに傷ついた心にとって欠かせない何かを与えてくれるのだと感じたのも事実だ。「かもめ」作中で、トレープレフに医師が創作をあきらめないように勧めるけれども、そうなのだ。人間は裏切るし、失望させるけれども、欺瞞を捨てて真摯に表現された芸術というものは、此方が気が付きさえすれば、いつでも寄り添ってくれるようなものではないのだろうか。心が傷ついてボロボロなのに、良いものが書けたりすることがあるのも、その一例だろう。そして、そういった琴線が共鳴しあえるような人間がいれば、友人か恋人か、もっと遠い誰かかはわからないが、心の底から語り合えるだろうし、心を開いても良い気がする。

 気が付けば25回、書きだしてから随分長く綴らない時期もあり、随分テンポの悪い更新になってしまったが、これを最終回にしておきたいと思う。何か思い出したこと、追加で事件があれば(まあ、内容証明を送ったとか色々あるのだが今はひとまず寝かせておく)補足の形で更新するかも知れないが、一先ずはこれでお終いである。一部でも、全部でも、読んでくれた人には感謝を――最終回となったこの出来事が契機となって、私はそれまでおおむね黙っていた稲田のモラハラ行為を母に、学友に、サークルの関係者にも話し始め、仮名ではあるがネットにもこうして綴る気になったから、実は今回は最初に書いた文面が多く残っているものを加筆修正したテクストとなっている。書いた直後は精神が恐ろしく不安定になり、兎に角吐き出し口が必要だったからかなり乱れた文面だったのだが、いくらか削り、落ち着いた文面に直したつもりである。

 自分の為に書き散らした代物ではあるが、モラハラ被害というものがもっともっと広く認知されていくことを願っていることも綴る原動力になった。モラハラ加害者も被害者も、減っていきますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?