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稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――⑥


6. モラとお芝居――後半:別々の春公演、初めての衝突となるか?

前回はこちらですが、


直接つながりのある話は前々回になります。今回はちょっと長いです。



春公演への夢

 今回、稲田との間にあった、最も辛い出来事を綴る訳だが、これに限っては、そこまでモラハラ男の普遍的特質が見いだせる事例ではないかも知れない。例えば、モラハラ夫がよくするように、浮気をしたかというと、私の知る限りはない。前にも書いた通り、初めは多分私のほうが依存心が強かったのだが、後々は彼の私に対する(殆どは性的な理由でだと思うが)執着心が強く、私の意志や個性への尊重を欠いたものながら、後に別れ話をした際には「殺したい」と言われるほど激しい愛を向けられていたのは事実だ。しかし、私が求めていたのは、激しくなくてもいいから、私という人間を尊重し、かけがえのない一つの精神として敬意を払うような愛だった。だから、それさえ確かであったならば、仮に稲田が浮気性でダメ男でも、暫くは付き合い続けたかも知れない。(後に、もっと年上の男性にバリバリの一目ぼれをすることがあったので、結局フッたには違いないのだが…)私は、自分が「凡百な人間」ではなく、一味違った特別な性格なのだと言いたい訳ではないのだが、実際、よくエッセイなどで見かけるモラハラDV夫の浮気に衝撃を受ける妻の話などを見ると、なぜそんなに浮気がショックなのか、「当然許せないもの」として語られるそれが理解できない。確かに、契約違反だから、そういう意味では怒って当然だが、そもそも特定の一人だけを死ぬまで愛し続けて、互いを性的に独占し合うなんて、寧ろ人道に外れているとさえ思う。本気だ。私は浮気くらいは殆ど何とも思わないし、顰蹙を買うのを承知でいうが、ものすごく好きになった相手と惹かれ合ったら、相手が既婚者かどうかすら全く気にしないかも知れない。前回、結婚のことをわざわざ挟んだのは少しだけ意味があって、私にとっては「結婚」とは不要というか、理解できないものなので、したい人がすることには何の文句もないし、深く愛している相手が自分を裏切ってショックというのならばまだわかるが、私が理解できるのは「家事育児を自分に押し付けて外で楽しくやっていることが不公平なので許せない」までの正当な怒りで、長くなったが、私は仮に稲田に浮気されていたとしても、私と過ごす時間さえ優しく敬意を欠かずに接してくれていたのであれば、いまだに「稲田はとても良い恋人だった」と言っていたと思う。実は三人くらい浮気相手がいたという話が出てきたとしても、私には関係ないし、まあそもそもそんなに浮気できるようなイケメンではないのだが、仮にイケメンだったら、多少浮気されても一緒にいる価値はあるのではないかとさえ思ってしまう。だって、いるだけで目の保養になるのだから。書いていて、私自身が相当な欠陥人間な気もしてきたが、それなりに何とかやっているので心配は無用である。 兎も角、そんな寛容な私(笑が、一生、仮に稲田が自分で腹を掻っ捌いて泣きながら許しを乞うても許す気のない事件がある。多分モラハラとはあまり関係がないが、しかし彼の独善的で相手の気持ちを慮らないモラハラ的気質とはやはり繋がっているのだと思う。とはいえ、これは、稲田が単に結婚に憧れる「普通の」量産型モラハラ男子であることに気が付かず、何か芸術的衝動を抱えた、多少は俗世間離れした人だと見誤り、何か互いに知的な、あるいは創造的な刺激を与え合えるものと思い込んでいた私も悪いのかも知れない。だって、それは、普通のことではないのだから。アポリナーリヤ・スースロワはドストエフスキーに何か並々ならぬものを夢見て失望したらしいが、私は正しくなんでもない普通の、自己愛が強すぎるただのモラハラ男に夢見てしまっていたのだ。 2007年終わり、冬公演が終わって、年が明けるまでに私と彼は一度、恋人未満のデートをした。キスもしてないし、当たり前のように手をつなぐこともなく、お互いの好意をいくらか確信しつつも、まだ友達の延長でお喋りするような、確かに楽しい時間だった。冬の寒さの中、恵比寿の辺りをぶらぶらと歩いて、喋って、このデートの直後に彼が事故死でもしてくれていたら、私は未だに、私はとても大切な人を失ったの……と、『ダウントン・アビー』のメアリーがずっとマシューを引きずっているように(※顔面偏差値については言わないことにして)綺麗な悲しみを抱えて生きていられたかも知れない。軽蔑されても構わないのでハッキリ言うが、彼が早死にしてくれず、醜態をたっぷりさらし続けていることは悲劇だ。この時点では、彼はただ面白くて優しい人だった。出来れば、憧れや敬意といった感情は、例え物理的に対象と引き離されても、胸に抱き続けていられるほうが絶対に幸福だと思う。失望、幻滅は最大の不幸だ。

 さて、罪のないこのデートの時、本公演の時の新しい思い出話に花を咲かせていた私たちだが、ふと稲田がこんなことを言った。劇団では、春によく小規模の芝居をやる。実際、昨年度も、春にチェーホフの『子犬を連れた貴婦人』(犬を連れた奥さん)をやったという。そして、次にこう言った。 「ソラリスやTくんと牧歌的な芝居がやりたいなぁ」と。 この一言が、ずっと続く苦しみの元だった。彼にしてみれば、実際、「言ってみただけ」だったのかも知れないが、その証言も後に二転三転するので(この一貫性のなさはモラハラあるあるらしい)、何とも言えない。私は、「一緒に芝居をやろうね」の意味だと取って、本公演の感動も新しかったし、恋愛感情を伴うとはいえ、楽しい先輩が率いて、自分たちで楽しめるような芝居をやることにただただ喜びを感じた。やってみたい!というわけで、前にやったという芝居の話も少し聞いたと思う。ただ、無邪気に、春には彼や気心の知れた仲間内で何か面白い芝居をするものだと、信じていた。心躍る思いで、この日、母親が許してくれたので、初めて彼を家に招き、夕飯を食べて貰った。

・反省会と、消えた夢

 「その日」まで、春公演の話を色々としたかどうかは覚えていない。「好きです、付き合ってください」みたいなのはなく、自然と距離が縮まっていく時期だった。初冬休み明けまでは、初詣デートを除いて会わなかったと思うが、この辺りから、人に、付き合っているの?と言われれば肯定する間柄になっていたといえるだろう。大学の授業が始まって、やがてサークルの面子で集まる日がやってきた――反省会だ。私たち一年生が行く時間よりも早く、稲田や何人かの先輩は集まっていたらしかった。その日、稲田とは先にメールのやり取りがあって、春公演のことを決めるのが楽しみであることを伝えて、優しい返事をもらったような記憶がある。反省会は色々と問題点を総括するものだが、私たちが心配したり恐れるようなことはなにもないから、気楽に参加するようにも言ってくれた。
 実際に集まってみると、そこまで気楽なものではなかった。『検察官』の公演には随分お金がかかってしまい、劇団はカンパ制の割にはお金を集められていたが、稲田が回転舞台などに拘ったために普段よりも費用が嵩んだのである。また、芸術顧問のベラルーシ人の先生から、特に稲田に向けてであったと思うが、当時の私にはまだちょっと理解が及ばない内容の、しかし重要な警告が語られた。
「この劇団は、今、病気にかかっています。芸術的エゴイズムという病気です」
 恐らく、彼女は、稲田が、自分のやりたいものを実現させるために、様々な配慮を欠き、いくらか横暴に振る舞う傾向があることを案じていたのだ。実際、その前年、理屈に弱いモラハラについて書いた記事に登場してもらったI先輩を主役にした『罪と罰』を演出した際、ドストエフスキーファンである稲田にとっては手腕を振るう絶好の機会だったわけだが、I先輩が練習の大変さから心身ともにやつれ果てているのを心配した稲田の友人であるK先輩(この人もかなり変人である)がそのことを言うと、稲田はこともなげに「うん、ラスコーリニコフらしくなってよかった」と笑っていたのだというから、全くその通りなのである。倫理的に許されないばかりではなく、芸術面からいっても、それは愚直なリアリズムであって、病人の役をするのに俳優が病気になる必要はないし、犯罪者の役を演じるのに盗みや殺人をする必要もない。願わくば、健康体で(持病があるという役者はもちろんたくさんいるだろうが、そういう話ではなく)、心身いずれにせよ病んだ役を演じるのならば、そのように演技すれば良い。『ガラスの仮面』で、亜弓ちゃんが酷くやつれ果てて王女役をやっていた時があったが、そういう「役作り」の過程と一緒ではないと思う。更に言えば、私も、先生も見誤っていたことだが、稲田のそれは「芸術的エゴイズム」でもなんでもない。認められたい、褒められたい、注目されたい、何者かでありたい、という、誰でも多少は持っている承認欲求が肥大しただけのものだ。だって、彼には表現したい「芸術」などなかったのだから。『罪と罰』を通して、彼が伝えようとしたものがあるとすれば、彼が脚本家した際にラスコーリニコフの最初の台詞として用いた「俺はナポレオンになりたかった」に尽きる。ナポレオンどころか、そのラスコーリニコフにだって、大して苦労をしたことも、真剣に悩んだこともない稲田は決してなれないのだが、このことは後に、ラスコーリニコフに憧れた彼が、ペテルブルクに行きたいのに行けないのを私のせいにするという出来事が起きるので、その時にでももう少し説明する。
 ともかく、そういうことがあったやや重い空気の中、春公演をやるか否か、参加したい人は誰かを確認する時間に移った。私は、色々あった後でも、何一つ疑っていなかった。だって、「春公演やりたいね」と、稲田は私に言ったのだから。「春公演、やるひと?」とI先輩が挙手を確認し――私は、勢いよく片手をあげた。稲田の手は……手と、視線は、下がったままだった。
 何が起きたのか、瞬間、わからなかった。

・トラウマになった二つの春公演

 これ以降、私の、辛い春が近づいていく。私は春生まれだが、この時の春のことは思い出したくない。それでも、しょっちゅう思い出して、春そのものが嫌いだと感じていた時期もある。
 反省会の後、打ち負かされながらも、皆でキャンパスを後にする時、スロープを下りながら私は遠慮がちに稲田に話しかけた。
「春公演、やらないんだね…?」
「ああ、さっき決めたんだもん」
 返す言葉もない。でも、皆もいるし、何より、悲しみを見せては、彼を困らせてしまうと思った。こういう、嫌われたりがっかりされたりしたくないという気持ちの持ち方は自分でも問題だと思う。この瞬間、「裏切者!」と叫んで金蹴りでもしてやれば良かったのだが、相手は先輩だし、私はショックを処理できなくて、怒りを覚えるにさえ至っていなかった。本当に、なんでそんなことになったのか分からなかったのだ。皆で近くのサイゼに行くか問われたが、恐らく、本当は腹は減っていたと思うのだが、私は笑顔を取り繕うのが難しく、昼間たくさん食べたとかなんとか言って帰宅した。ただ、彼から、せめて率直な説明が欲しかったのに。

 その後、彼は、元々出演が決まっていたサークルOBのKさんの芝居に出ていたが、このことは別に元々決まっていたことだから特に私の苦しみにはならなかった。この少し前からか、彼は高円寺の風呂なしアパートに下宿していて、高円寺に遊びに来るように誘われて、真冬で辛かったが呼ばれれば行く犬のような従順さで私は彼に会いに行ったりもした。大学六年生が下宿というのもなんだか妙な話だが、結婚相手を探そうという意識のない私には割とどうでもよいことだったのだろう、ただ、春公演に彼が参加しないことを選んでからも、私は優しく笑顔を絶やさず、無印良品かなにかのキットを使ってだったがバレンタインのチョコレートさえ拵えたのだ。バカにも程がある。戻れるのなら、自分を正座させて三時間くらい説教する。辛い思いをさせられたのに、曖昧だったとはいえ約束をドタキャンされて謝罪もないのに、なに笑顔で奴隷業やってるんだよ。目を覚ませ。辛いという自分の気持ちを率直に出せ。いくらモテたことがないからって、見る目なさすぎだから!!その男、ド級の地雷だよ。皆に慕われてるっぽいけど、実は結構嫌ってる人は嫌ってるからな。そいつのほうでは勝手に親しいつもりでいる同期の人とか、傲慢で思いやりがないってハッキリ言ってるからな!!ふうー。

 黒歴史を掘り起こすと恥ずかしいことばかりで、少し興奮してしまったが、このあたりの自分の心理は、以下の記事を読んだときにいくらか理解できた。

 私は元々、良い子良い子したヒロインが嫌でフルーツバスケットが苦手なのだが(BLACK LAGOON の女性陣のほうが絶対イカしてる!)、自分も似たようなことをやっていた。笑顔で、どんなにつらくても、男の気持ちを受け止め、自分の感情は我儘だと捉えて押さえつけ、癒しの女神であろうとした。だって、いつか報われるはずなんだから――これが、大間違いなんだな。正解は、消費され、搾取され尽くして、中村健之介先生が著作で、かのアポリナーリヤがドストエフスキーとの交際の結果抱えたものを「心の荷物」と呼んだ通り、おっそろしく重い心の荷物を抱えたまま生きていくということだ。今の私は、彼と結婚せずに済んだだけマシではあるが、心の荷物を抱えたのは確かで、その荷物を少しでも軽くしたくてこれを綴っている。

 さて、そうこうするうちに、まだ春になるかならないかだったが、稲田のくz……クソッたれの超ド屑から相談を持ち掛けられた(※思い出した腹立たしさで興奮が収まっていない)。なんでも、自分のこれまでの芝居を見た人がいて、「俳優としてやってほしい」とかで、その人が個人でやるベケット原作の芝居に出演してほしいと言われたとか。俳優として魅力を感じたという辺りで、自尊心をビリビリと擽られてしまったらしい。稲田は、人に褒められるのが病的に好きであった。しかし、流石の稲田も、他にも稲田と春公演をやりたいサークルのメンバーはいたのに、やらないことにしたのもあり、少しは悪い気もしていたらしい。やっていいと思う?と私に尋ねたのだ。

 勿論、私は菩薩のような笑顔を浮かべたまま、そっと稲田の手をとると関節と逆方向にその手を捻じ曲げ、銀〇のお妙さんのような笑顔でシめるべく「てめー、一緒にやりたいね♪とか言っておいて無断で急に放り投げておいて?人の気もしらねーで、ちょっと他人に褒められたら役者気どりで?相談もせずに断って当然のところを、私に訊くわけ?今すぐそんなに俳優やりたきゃ今すぐスタントでもやって崖から真っ逆さまに落ちて死ねこのクズ」と言ってそこでこのバカを捨てた……のならよかったのだが、現実は違う。私は、内心、やって欲しくないとハッキリ思っていたが、そうは言えなかった。だって、その時は超絶ド級ビチグソ野郎でも、浮世離れした文学青年っぽい彼を好きだったし、まあ恋に恋していたのも事実で、恋愛している状態を手放したくなかったのも恐らくあり、仮にも大切に思っている相手ならば、その自由を制限するような真似は出来ないと思っていた。一応、今も、この考えは健在で、愛しているのならば、絶対に束縛してはいけないと思っているのだが、そこで自分に対する気遣いがあるかどうかのチェックは絶対に必要だ。相談しておくことが稲田なりの気遣いだったのだとしても、そこで、敢えて浮気に例えるのならば、「お前との旅行はドタキャンしたけど、浮気相手と今度旅行行くことにしたんだーいいよね?」と普通の女性が言われる位には私がショックを受けることを想定しなければならなかったのだ。私は浮気ではそこまで怒らないし、流石にこのシチュエーションは殆ど実在せず、殆どの浮気する人はこっそり浮気旅行に行くのだと思うから簡単に比較はできないが、仮にも、少しは芸術や学問に心血を少しでも注いだことがある人間ならば、共に歩むはずだったその道を潰し、あっけらかんと他の道に他の人間と移ることの残酷さは想像できなくてはならない。……と、私は思うし、実際に音楽に心血を注ぐ友人にこの話をしたら、それは許せないだろうと同意もされている。彼もかなりの変わり者なので、一般的には浮気のほうが重罪で、私がされたことは大したことがないのかも知れないが、問題は、一般的にどうであるかというより、どういう文脈で交際に至ったのか、互いの人格の何を見ていて、どのようにそれを尊重するのかが問題だった。彼は仮にも文学部の所属で、学生劇団とはいえ、芸術的とも学究的ともいえるが兎も角そういう創造的な取り組みに長年関わっていたわけで、入団する新入生だって大体、大なり小なり芸術や学問に関心を持っている人間だ。最初からテニサーに入ろうというタイプとは凄く違う(あ、微妙に見下してると思われそうだけど違います。世界が違うと思ってるだけです)。だから、その枠組みの中での裏切りというのは、私には絶対許せないことだし、色々なことに置き換えてみれば恨みを持つには十分であると理解してもらうことも出来ると思っている。私はテレビ朝日系『相棒』が好きだが、夫婦としては終わっている二人がいて、夫殺害の犯人は妻なのだが夫(元夫婦だったかな?)が別の女性と結ばれていることは許しながらも、彼と共に始めた事業を彼が投げ出すことが許せずに殺害するという話があって、その動機に共感した。恋愛をセックスでばかり捉えている人には分からないかも知れないが、何か人生の中で意義深いことを共にやり遂げようと手と手を取り合った間柄ならば、恋が冷めてしまったとしても、互いへの敬意を保ち続けるべきだ。ただし、その敬意が踏みにじられた時には、最大級の軽蔑で以て返しても悪ではないと思う。
 ――と、今では考えがある程度固まっているが、当時の私にそういうポリシーはなく、ただただ、自分の悲しみと向き合う作業を避けていた。結果、事態は悪化するのだが、仮に、彼に「私との芝居を捨てた癖に、他人とは喜んでやるんだね!」とぶちきれて彼に思いとどまらせたとしても、どうせ間はぎくしゃくしただろうし、根本的な解決には至らなかったから、彼が無断で不参加を決めたその夜に、私が堂々と彼に背を向ける以外に正解の道はなかった気がする。バカな私は、「稲田さんがやりたいなら、やったらいいと思うよ……」と内心の動揺を隠して優しく告げ、彼は嬉しそうにしていた。
 結果、サークルでは、稲田は不参加だがそれでも何か芝居をやろうということになり、演出は、後にセクハラで消えるが平気な顔をして戻ってくるNNがやることになった(彼のことも別記事で書いた)。私はすっかり意欲をなくしていたのに、手を挙げてしまった手前、何もやらないわけにもいかず、とりあえず制作でいいか……と、ちゃんと制作をやっている人たちに失礼極まりないことを考えてモチベーション皆無で一応参加することになった。今思えば、皆と一緒に仕事ができることを喜ぶべきではあったのだが、演目が演目だったのでそれも無理だった。私は、なるべくい文芸的なものを求めて入団したのだが、選ばれたのはよりによって、先日、娘へのDVが発覚した故ウスペンスキー氏の「チェブラーシカ」だ。色々あって、私はチェブラーシカがちっとも好きではないのだが、この件でより嫌いになり、チェブラーシカにしてみたら言いがかりではあろうが、殆ど憎しみの対象といっても良いくらい嫌いである。うちにぬいぐるみがあったら、ねねちゃんのママのうさぎのぬいぐるみと同じ運命を辿っていると思う。児童文学だから文学ではないと言いたい訳ではないが、ロシアといえばチェブラーシカ!みたいな俗っぽい感じが大嫌いなのである。友達がいない陰キャを売りにしていたNNが、友達至上主義のチェブラーシカに魅せられていたのは別に良いのだが、今でも私は、この芝居については嫌な気持ちしか残っていない。
 そういうわけで、私は気の進まない演目での公演に関わりつつ、深い深い傷を自分にさえ隠しながら、稲田の稽古の様子を聞くだけの人間になった。デート中でも、稽古の時間になれば、稲田は、私と共に稽古で過ごすはずだった時間を、どこぞの誰かさんと過ごしにいってしまう。しかも、その人は学生でもないらしく、学生用の会館で部屋もとれないので、踊り場や廊下などで警備員を警戒しながら練習しているのだという。そんなもののために、私のちょっとした夢は消えたのか……と、プライドを削られたが、そういう声はすぐに押し殺した。頑張ってるんだね、とか、楽しみにしている、とか、そんなことを笑顔で伝えては、彼の喜ぶ顔を複雑な思いで見ていた。
 公演が近づくにつれて、感情を押し殺していたストレスは確実に体に出ていた。毎日頭痛がして、食欲がなくなっていく。流石に、その理由は、互いの公演まであと三日ともいう頃には理解できていた――奇しくも、公演日まで同じで、彼の公演だけは二日間あったので、私だけが見に行くことになっていたのだ。どこまでも、残酷に取り計らわれていた。偶然でも、残酷だった。


★公演の直後から少し後のことについて、次回は書こうと思います。


 また、次回以降は、友人との時間を邪魔しようとするとか、私の気持ちを全く慮らない言動など、必ずしも時系列ではなく兎に角モラハラらしい出来事のいくつかに触れていきます。


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