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稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――24回

間が空きましたが、前回はこちら。


24. 稲田に対する恩義

 概ね、彼との交際中や別れた直後にあった大きないざこざ案件は書いてしまったし、それでいくらか気持ちが落ち着いてしまって、書き散らす勢いが落ちてしまっている。他にやることが色々あって忙しいというのも事実だが、あまり、彼がしてくれた良いことを書かないのも悪いと思うので、自分で言うのもなんだけれど今回はスキャンダラスでもないし、面白みは少ないだろう。ただ、これがあって、次かその次、終わりを飾る話に絶望的な形で繋がっていくので、全体の構成の中でどうしても必要な話でもある。なぜ、暫くは彼との間にあった腹の立つ出来事をこうやって匿名で記事にしたり、周囲の人間に対してべらべら話すようになったのかという理由を語るのは次以降になるが、その前段階として、私が稲田に一度は心からとても感謝した出来事があったということを残しておきたい。

 ある年のこと、私はどん底にいた。詳らかには書けないことも含め、本当に嫌なことばかりだった。学業も、恋愛も(稲田と別れた後付き合った人とも別れ、その後結局一目ぼれしてそのまま仲良くなった相手がいたのだがうまくいっていなかった)、親子関係も、何もかもが救いようもなく腐り切手しまった感じ、一日でも多く生きていたくなかったので死のうと決めていた。とはいえ、強制的に死ぬのはかなりの苦痛を伴うことを思えば怖いし、手っ取り早く楽な死に方を色々考えながら過ごしていた。うまいこと直ぐに意識がなくなるような飛び降りれる場所を探して町中をうろついた時もあったのだが、橋の上から道路を見下ろして「ここから落ちたら直ぐに轢かれるだろうけれど、うまいこと直ぐに意識がなくならなかったら辛すぎるな……」と、どうしても苦痛を伴わずに死にたかったので自殺は先延ばしになっていった。薬を飲まないという方法もあったが、それも即死ではなく日々弱っていく形になるので出来れば避けたかった。その頃、今はまっているグラブルの前にやっていたゲーム内で、リアルで会ってみるという話が出ていたのだが、相手を疑っていた訳ではないものの、万一恐ろしいことを考えている人だったとしてもどうせ死にたいんだからいいや、というつもりで受け入れたりもしていた(結果的には良い人たちで、愉しい気晴らしができて、結果的には私の落ち込みをかなり軽減してくれたので会って良かったのだが)。かなりやけくそだったのだが、この時期に、もうやり取りの途絶えていた稲田から行ってくれた気遣いのようなものが、私を幾らか元気づけた。
 稲田に感謝する前に断っておきたいのだが、私が死ぬのを止めたのは、disる記事を書いてしまったもののキリトの……PIERROTのお陰だ。彼らが復活ライヴを行うということが、決定的に私を、「今はまだ死ねない」という気持ちにさせた。公演を見てから死のう!と決めたのだ(結果的には元気を貰ってしまい、しかもその後は頑張りが認められたり、人間関係も改善してマシになった。今でも、いざとなればこうやって死ねるという逃げ道を想定して何とか生きているくらいのメンタルではあるが)決して直接的には稲田のお陰ではないのだが、稲田に元気づけられたことがあったという事実を書いておかなければフェアではないだろう。ただ、その後にあったことを考えると、当時は、彼がついに私を対等な人間、友人と認めて色々反省したものだと思っていたのだが、今となっては、結局自己満足だったのだろうと結論づけてはいる。付き合っていた頃と一緒で、何か高尚で尊い何かをこっちが勝手に見込んで舞い上がり、そうではなかったとガックリするパターンではある。だが、兎に角その時はかなり救われたという点は認めなくてはならないだろう。


・花と再会

 嫌なことだらけだったその時期は、奇しくも私の誕生月を前に過酷を極めていた。どん底のまま、孤独に、悲しく、明日の朝どうか目が覚めなければいいと毎日願いながら過ごしていたが、誕生日は来てしまった。ピエロの復活もまだ先の話、今日は何かうまい死に方が思い浮かぶだろうかとそれだけを期待しながら起床した日。覚えのない贈り物が届き、さて何だろうと受け取って見ると、それは花束だった。なかなか可愛い、ささやかだがとても心が癒されるような色合い。送り主は何と稲田で、私の誕生日を祝ってくれるものだったのだ。その時は正直、嬉しくて泣いた。身近な人間が全員私を追い詰めてくるように感じられていたし、軽い付き合いがある人ならば害を与えてこない人(それがその頃の私にとって「良い人」の基準だった)という精神状態の中で、私を慮ってくれる人がいるというだけでも嬉しかったが、良くない終わり方をした関係の相手であるだけに感動も増す。あの人は私の事をちゃんと大切な人間の一人として心の中では幸福を願ってくれているんだ、色々あったけれど時が流れていく中で私は彼の中でちゃんと人格を持った一人の大切な――少なくとも深い友人やその範囲で、良い感情を向けられているのだと。ここで、「友達になれない」と言った稲田の言葉を思い出さなかった私も私だが、兎に角とても嬉しかった。まだ私って愛されているのね!ヨリを戻したがっているに違いない!という気分には全くならなかった。ただ、私は稲田のことを愛していた頃に、私の外見やニコニコと優しく振舞ってなんでも受け入れて上げる紛い物の聖母的態度ではなく、喜怒哀楽の感情と、自分自身の意思や欲望を持つ一人の人間として最低限の尊重をしてほしかった訳なので、デートをしたり彼の自尊心を満足させてあげたりしなくとも、こうして優しい感情を向けられたというのは物凄く、物凄く嬉しいことだったのだ。欲を言えば、別れるにしても付き合っている最中に私の人格というものを大事にされたかったが、それでも永遠に軽視され、"俺の所有物である女"以上でも以下でもないものとして留まるよりずっと良い。もしかしたら、その内再会したら友人として屈託なく互いの近況や展望を語り合い、親友にだってなれるのかも知れない……なんて、今考えたら失笑ものの期待でいっぱいになった。
 実をいうと、同じ年か別の年か、その後だったか、もう記憶が曖昧になってしまったのだが、バレンタインにわざわざチョコレートを贈ってきてくれたこともあったし、その時も非常に嬉しかった。最後のバレンタインが最悪だったから、罪滅ぼしのように感じなかった訳ではないが、私と稲田の思考回路がとてつもなく隔たっていることが今となっては分かるので、私からすると「あの時のことを申し訳なく思っているんだな」と解釈するようなことでも、向こうにとっては、過去のことはチャラになっており(得意の記憶喪失)、新たに施してあげる親切の感覚であった可能性もある。

 さて、実は稲田への恩義というこの章で書くことがなさすぎてずっと放置になっていたのだが、感謝していたり楽しかったことは少なからず色々あるのだ。そもそも、何も好ましいことがなければ好きにならないし付き合わない。入院中に本を持ってきてくれたこと、二人で戯曲を音読して、色々とああしたらもっと良い、こうしたらどうか?と意見を交わし合う時間は確かに幸福だったこと、優しい声でドイツ語の詩を読んでくれたこと(というのも、彼は最初ドイツ語を第二外国語として選択していて、結構しっかり勉強していたことや語学を習得する能力は高いことから、なかなか綺麗に読んでくれたのだ)……良い思い出は確かに沢山ある。ただ、これは確かなのだが、私にとって稲田との交際、いや私からの彼への愛情の基盤には、芸術や何かクリエイティブな諸々への関心や熱中というものがあったという点。それがなかったら、既に書いた通り稲田の外見は私の好みではなかったし(因みにこれを綴っている今現在、私はグラブルの美男たちに目が慣れ過ぎて現実の男性の殆どを直視できないレベルの面食いになってしまった)、小説や映画、演劇に共に没頭したり意見を交わし合ったりすることが稲田と私の三年間の核だった。心の深みで触れ合うような濃厚な時間がいくらかあったとすれば、少なくとも私のほうからは、この殺伐として俗っぽい世の中で二人ならば何か精神的なものを高め合えるというような……そんな虚しい期待を抱いていた。

 なぜ"虚しい"と言い切れるのか。私の心の奥底で、稲田との関係を肯定する核であったそれらが崩れていった出来事について、次回から書いていきたいと思う。



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