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センセーショナルな母の手作り弁当

手先が不器用すぎて動作が遅く、何をするにも時間がかかる私。

「集団行動」というものが、とにかく苦手だ。
いつも集団から遅れていたし、まわりの空気を読むこともできなくて、「みんなに合わせる」ということが、私にはとても困難だった。

当然ながら、親や幼稚園の先生には「早くしなさい!」といつも注意される。
何をやっても怒られる。それが私のデフォルトだった。

「自分はみんなと何かが違う」
「みんなが普通にできることが、なんで私にはできないのかな」

そんなたしかな違和感を、このころからすでに抱いていた。
だけど、いったい何がみんなと違うのか。それがなぜなのか。
私にはわからなかった。


ごはんを食べるのも、死ぬほど遅かった。
とっくにみんなが食べ終わっているのに、いつも最後まで残ってずっと食べていた。
偏食もひどくて、10代の後半くらいまでは食べられないものもかなりあった。

幼稚園は給食がないので、お母さんの作ってくれたお弁当を持って行く。
毎朝、母が作ってくれるのだが、それを食べきれずに残してしまうこともたびたびだった。

母は料理が得意だった。
父と結婚する前にレストランで働いていたらしく、そこで料理の腕前を鍛えたんだそうだ。

ちなみに、母の実家は漁業を営んでいる。
漁師の娘として生まれた母には、魚を捌くのなんて朝飯前。

なので、必然的にうちの食卓には魚料理がよく並んでいた。いまでこそ魚は私の大好物だけれど、そのころの私はほとんど口にできなかった。
かろうじて食べられたのは煮付けくらいで、あとは焼き魚を少しだけ。刺身なんてとても食べられなかった。

だけど、母のごはんは、たしかに美味しかった。
が、母が作るお弁当は、なかなかに渋かった。

他の子のお弁当を覗いてみると、実に色とりどりでかわいらしく、いかにも子どもが喜ぶような工夫があちこちに施されているのが見てとれる。

うさぎのりんごとか、タコさんウインナーとか、一口大にカットされたみかんとか、ちょこんと乗ったさくらんぼとか。
見るだけでも楽しく、食欲をそそられるではないか。

私の母のお弁当は、そんなかわいいものではなかった。

エプロンをしたネコのキャラクターが描かれたお弁当箱のフタを開けた瞬間。
私の目は、点になった。

プラスチック製の白いお弁当箱の一面にびっしりと白いごはんが敷き詰められていて、その上に真っ赤っかなシャケが
「どーん!」
と鎮座している。

白いはずのごはんの大部分が、真っ赤っかに染まっている。
こんな真っ赤なシャケは、大人になったいまでも見たことがない。

このときの光景、なんとも言えない白と赤のコントラスト、そのインパクトは、いまだに私の目に強烈に焼きついている。
幼い私には、かなりセンセーショナルな出来事だった。

恐る恐る、真っ赤なそのシャケを口に運ぶ。

……しょっぱぁーーーい!!!

見たままの味だった。

こんなの、食べれるかぁーーー!!!
こんな幼い子どもの弁当に、こんな塩っ辛い紅鮭をひと切れ入れるかぁ!?

っていうか、私が魚が苦手なこと、知ってるよね?
なのに、なんで?

あれっ、お母さん、もしかして体調が悪かったのかな??
それとも、どこか機嫌でも悪かったのかな??

これって、わざと???
それとも、天然???

ちいさな脳で最大限、考えるに考えたよ。
思考を総動員してね。

仕方がないから、ちょびっとずつちょびっとずつ、しょっぱいのをガマンしながら食べた。だけどやっぱり、食べられるわけがなかった。
食べられないものを無理やり食べないといけないなんて、どんな苦行だよ。


「シャケ、しょっぱすぎて食べきれんかった」
家に帰って母に伝えると、

「あら、そう? 美味しいのに」
と言うだけで、まったく取り合ってもらえない。

いや、もうちょっと食べやすくしてよ。
よそのお母さんのお弁当みたいなのがいいのに。

母のお弁当に対して、私はずっとそんな感情を抱いていた。

普通に考えて、あんな味付けの焼き魚、子どもが食べられるわけないだろ。
もうちょっと、私のこと考えてほしかったな。


ある日のお弁当の時間、ついに先生に言われた。

「食べられないんだったら、お母さんに『小さなお弁当箱にして』って、自分でお願いしなさい」

ちょっと呆れたような、軽く落胆したような。
そんな口調で、先生は私を諭すように言った。

「それくらいのこと、自分でちゃんとしなさいよ」
と言われているようだと、子ども心に感じた。

「先生からお母さんに言ってあげてもいいけど、自分のことでしょう。自分の口で、自分からちゃんとお母さんに言いなさい」
きっと、そういうニュアンスで先生は言ったんだろうなと思う。


「お弁当、食べきれんかった。ごめんなさい」
家に帰って、カバンからお弁当箱を出しながら、母に言う。

「お母さんに『小さなお弁当箱にして』ってお願いしなさいって、先生から言われた」

食べきれないからお弁当箱を小さいサイズに変えてほしい、とは言えなかった。
だって、そんなこと私は望んでいなかったから。

食べきれないから量を少なくしてもらおう、という発想に至らなかった私が、母にそのような要望をできるはずもないのだ。

「先生から言われたから」
と言うのが、そのときの私には精いっぱいだった。
なんて正直なんだろう。

「えっ、先生にそんなこと言われたの?」
母はちょっと驚いた様子を見せ、

「せっかく作ってあげたのにー」
と、淋しそうな表情をする。

せっかく作ってくれたのに食べられなくて、お母さんに申し訳ないな、という気持ちも当然、ある。
だから、先生に言われるまで、自分から言い出すことがどうしてもできなかったのだ。


数日経って、私のお弁当箱は銀色のアルミ製の小さなお弁当箱に変わった。
当時、私がどハマりしていた『キャンディ♡キャンディ』(原作:水木杏子、作画:いがらしゆみこによる漫画作品。テレビアニメ化もされた不朽の名作)のバッタもんのような女の子のキャラクターがフタに描かれている。私が喜ぶと思ってこれを選んだのだろうか。

お弁当の量が実質的に少なくなったことで、たしかに食べやすくなった。
先生が背中を押してくれたおかげで、私は少し楽になった。
幾分、食べるスピードも改善されたように思う。


一度だけ、クラスでいちばんに食べ終わったことがある。
その日のお弁当は、私の好物ばかりが入っていて食べやすく、あっという間に食べ終えてしまった。
まわりを見渡すと、みんなまだ食べているではないか。

初めて見る光景に、私は興奮した。

お弁当箱をさっさと片づけ、自分の座っていた椅子を抱えてクラスの後ろに移動し、ずっと読みたかった絵本を手にとって読み始める。

食べ終わった子から自由に遊ぶことができるのだが、食べ終わるのがいつも最後だった私は遊ぶ時間がほとんどなかった。本を読んだりおもちゃで遊んだりしているクラスの子たちを横目に、うらやましい気持ちを抑えながら、憂鬱な気分でひたすらお弁当を食べるしかなかった。

そんな私もこの日だけは、争奪戦に圧勝して得意げだった。
人生ではじめての「いちばん」を味わったのだ。
とってもいい気分だった。

あのときは、ぱーっと視界が開けて、目の前の世界が大きく広がって見えたな。
私もやればできるんだって、ほんのちいさな自信がついた一日だった。

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