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そくあん2023年の振り返り@下半期

こんにちは、そくあんです。
このnoteはその時の感情を飾らずに綴っています。今日は下半期について。


2023年の振り返り@後期


8月


7月から一か月ほど滞在していたママ(恩師)が帰国し、通常の日常が戻りました。しかし、その後、再びキム・ハク氏の写真展がカンボジア・プノンペンで開催されました。

再びお声がけをいただき、私はセッション3のなかでカンボジアにルーツを持ち、独自の道を切り開いてきた経緯について話をしました。が、緊張のあまり何を言っているのか分からず最終的には早口になってしまったような。
そして、
久しぶりにお友達とも再会できて心も満たされました!!

セッション3の内容にすこし触れてます。一読を。

9月


9月は暇だな、暇だな、と思っていたらなんと!!
北海道での1ヶ月の求人バイトの募集がAliveメンバーのFBにアップされて、思い立ったら吉日で行動する私はすぐに問い合わせをしました!
仕事内容はじゃがいもの選別作業です。
なに、これ!!面白うそう!!ワクワクが止まらない。

天候不良でお仕事がお休みでも最低保証の23万円と無料の飛行機代と宿泊費がついておりましたが、私の場合はカンボジアからの渡航となり例外のため担当者と交渉の結果、カンボジアから北海道への飛行機代と知床町内の移動費が会社で保証されることになりました!

ただ一つ、帰路は知床町から神奈川までの保証があり、片道航空券は自分で手配する条件で北海道行きが決まりました。
なぜこうなったかは説明が難しいのですが、私は神奈川滞在もしたかったし考えた末、交渉を受け入れました。
因みにマレーシア経由の片道は$300ほど。
まぁ、概ねの旅費は出してもらえて仕事もできて、北海道にも行けて経験を積めますし、家族お友達との再会もできるし、多拠点暮らしの体験もできるし、総合的に考えたらポジティブな答えなんです。

短期間だったけど北海道で6人のお友達や、知人に会えたんですよ。すごっ。有難いです。

で、この決断の背景には、豪雨や雨の続く日々に嫌気が差したこと、またアパート管理している物件は満室ということもあり、前から思案していた日本での多拠点暮らしができるかもしれないという期待があったので実行に移したまで。
いざ、行動に移そう。

10月


朝、入居者の水道トラブル修繕を済ませて家を慌ただしくでる。
9月29日、プノンペンから夜21:15に出発し、タイバンコク経由で翌日8:30に新千歳空港に到着しました。北海道は修学旅行や社員旅行で何度か来たことがあり、久しぶりの訪れに心躍りましたね。
航空券の手配は直前だったので、家族には2日前に出発することを話しました。みんな、えっーってなりましたね。

なぜ北海道なのか?
この時期、北海道ではじゃがいも収穫がピークで、例年人手不足に悩まれているようです。
少し前までインドネシア実習生がこの工場で働いていましたが、急遽就労ビザの書類が間に合わず、人材不足のために求人が出された経緯があります。
私はAliveメンバーのお父様、愛知県で技能実習機構の通訳をしている女性と合わせて4人。小さなアパートでシェアルーム生活。
過去に体験したことがなくて新鮮な感じでしたね。
詳細はまた別の機会にお話ししますね。
日本に30年以上在住するお父様たちは日本式の働き方も生活の仕方もよく熟知しているので会社の方からは重宝されていました。

今後、人手不足の一手としてこのような人材は必要になると思います。

11月


一ヵ月近い北海道じゃがいも選別作業が終わり、10月27日に神奈川の実家に戻りましたが、相変わらず忙しくて親との時間を取ることができませんでしたね。父親は不満げです。
親にとっては帰省した娘が帰宅したのに話す時間もなくて寂しい思いをしていることでしょう。毎回のことなんです。

私は慌ただしく動き回り、実家に戻った翌日の10月28日に神奈川県伊勢原市の幕末最後の代官屋敷山口家住宅でアーティストのお手伝いにいきました。
「参加して体験して交流して深めよう」の合言葉で近隣の方々が大勢きて、
アートに触れましたね。

そうそう、有料300円ですがボランティアガイドの男性がお屋敷の説明をしてくれました。
興味のあるかたは訪れてみてね。

この飾りつけの面白いところは、風船の表に落書きした雑誌の切り抜きを張り付けているところ。

恩師であるママの旦那様と地元の渡部議員が顔を出してくれまして、
「やぁー、お久しぶり」と元気そうなお声で安心した。
議員団体でカンボジアに視察に行くと話しを聞かせてくれましたがその後の進展はどうだったんだろう。

アートイベントが終わり、親しい友人と会って食事をしたり、語ったり。
あっという間に時間が過ぎていきます。
そして、11月3日に神奈川大和市でAliveメンバーと合流し、キム・ハク氏の写真展プロジェクトの振り返り報告会と今後の活動について有志メンバーで議論を行ったんです。
集合場所は大和市で難民の私たちにはゆかりのある場所です。

私たちはカンボジアにルーツを持つメンバーであり、生まれた境遇や場所は異なっていますが、魂はカンボジアに通じています。
この共通のルーツを基に、何かイノベーションを起こせないか模索しています。ミッションやビジョンを共有するために、メンバーで議論し、ひとつにまとめる作業を進めています。

フリーランスで活動するファンドレイザーの浅井さんと千葉さんを筆頭にして、仲間たちのそれぞれの言葉をボードに書き残し、
「要約するとこうですね」と言語化にしてくれるのでさすがプロ!と感心を毎回してます。ありがとうございます。

これからは仲間と協力して私たちの使命として活動していく予定ですが、それぞれのメンバーは生活環境や仕事、家庭の事情によって関与できる範囲や思いが異なります。
特に私はカンボジアにおり、物理的に距離があります。もどかしい。

仲間たちとの関係を分かりやすく伝えるために、私たちは起立して手を繋いだり、座って合掌したりし合っています。こんな手法があるとは、面白いですよね!

これにより、各メンバーの位置や関与度が視覚的に理解しやすくなります。
私は右手でサランちゃんとハートを作りながら、物理的に離れていても心と魂は中心にあります。と。
同時に、左手は人々を繋ぐ役割を果たすことができると提唱しています。

最後にみんなで記念写真を。


私、なにかしています。

スライドで北海道のじゃがいも選別作業の仕事報告を勝手にしてますw

今日はこのあたりにします。
12月の振り返りは次章で書きますね。

この章で伝えたかったことは、異なる背景や状況にある難民が世界にいることをみなさんに知って欲しい。

1.国境を逃れた難民: タイ国境で助けられ、国外に避難した難民。私の両親が当てはまりますね。国外で安全を求めて逃れてます。

2.国費留学で渡米し、帰還できなかった難民: 日本政府の支援で留学し、その後に帰国が難しくなった難民。留学の目的が変わるなどにより、母国への帰還が難しくなった可能性があります。左側に映る男性のサムフィーさんと、座っている女性のペンセタリンさんのお二人は国費留学で日本に渡米。

3.政府関連で日本に滞在し、内戦勃発で帰還できない難民: 政府と関連があるか、政府による支援や仕事の関係で日本に滞在していた難民。しかし、母国で内戦が勃発したことにより、安全な帰還が難しい状況に置かれていました。

難民の経歴や状況は多岐にわたり、各人が異なる経験や挑戦や苦悩に直面しながらも懸命に生きてます。


では、また。
SOKOEUN


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振り返りnote

カンボジア、時に日本。 知らない世界を学ぶのが好き。カンボジア南部海辺街のシアヌークビルで暮らしてます。旅行本にはけして載らない情報を発信できるようにします。 珈琲一杯分で結構ですので、皆様の暖かいサポートをお待ちしております。