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意識次元の上昇

先日、立山に2泊3日テント泊に行ってきました。
写真はその時に撮影したみくりが池です。青がとても綺麗でした。
山頂付近は雲と雨と風と岩ゴロゴロで、半泣き&心折れかけながら無事に縦走できました。

今、いろいろ起きてますね。……相変わらずいろいろ起きているって言った方がいいのかな。

コロナによって、多くの方々がこれまで築いてきたものを半強制的に手放し、崩され、変化を受け入れざるをえない状況が続いてきました。(一部の方々にとっては”実り”多い3年間だったでしょう)

私自身が日常で特に感じることは、人間の意識の二極化です。
ワクチンやマスクをとっても、全く意識が違っていますね。
それぞれが自分が正しいと思っている訳で、これから先、この平行線はどこかで終わる時が来るのか。いや、来ることを祈りたいです。

私たちの魂がこの状況から何を学ぼうとしているのかはそれぞれの魂によりますが、この混沌の中で見出す「自分が信じるもの」を手放さず、「進化のための変化」を選ぶことは共通してるだろうと思います。現実にさんざん現れているから、みんなもう十分に解っているのでしょうが。
これは現代に限らず、これまでの混沌でも私たちは同じことをしてきていますから、感覚的に自分の魂が求める方向へと心や身体が自然と向くんですね。

私も現在悶々粛々とアップデート中で、数日や数か月で済むものもあれば、数年かかるものもあります。変化の時は孤独です。自分の判断や他者の言動を疑ってみたりもします。でもネガティブなものは疲れるので早々に終わらせて、過去に感謝し、今日を楽しみ、私の求める私を達成していくことに意識を向けて適当に日々を過ごしています。

もしかしたら、コロナという政治に大衆は振り回されたのかもしれません。ですが、魂レベルで考えてみると、多くの魂がこの出来事によって覚醒を進ませ、またそれは地球のアセンションが関係していると捉えることができます。コロナきっかけで自分が人生で本当に望んでいること・自分にとっての本当の幸せとは何かを見つめた方は多くいらっしゃって、それは意識次元の上昇ゆえの思考だとも言えます。ですが全員が全員そうなる訳ではなく、囚われから抜けられない方は、その囚われを味わうことが魂の目的なのかもしれないし、別のきっかけで変化が始まるのかもしれません。

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余談ですが、
1998年頃、WHOによる健康の定義における「身体的・精神的・社会的に良好な状態」にspiritualという言葉を加えようという提案がなされたそうです。最終的に採択に至りませんでしたが、国際的に多くの支持を集めた主張でありました。

ー以下、放送大学教材 今日のメンタルヘルスより引用ー
spiritualとは「霊的な」「スピリチュアルな」「魂の」と訳されますが、いずれも日本語の健康論議にはなじみにくく、ともすれば非科学的な信念や超常現象を連想させがちである。しかし英語などのspiritualは、人生の意味や目的、良心や倫理、死生観などに広く関わるもので「宗教的」「実存的」といった言葉と近い関係にある。アウシュビッツを生き延びた精神科医フランクルが、20世紀後半の欧米社会に「実存的空虚」が蔓延していると指摘したのは、まさしくspiritualな次元での問題提起であった。自殺予防などを含め、メンタルヘルスの底力を向上させていくためには、こうした側面についても考える必要がある。
ー引用終わりー

現時点で非科学的な話と並べて紹介するのはよろしくないのではと迷いましたが、上記の『人生の意味や目的、良心や倫理、死生観、「宗教的」「実存的」という言葉と近い関係にある』という点において、私の捉える「魂」と重なる部分がありましたので載せることにしました。
スピリチュアルとは、「これが私である」という直感的感覚。

「宗教的」という点においては、特に何かの宗教に属しているということではなくても、宗教的側面を私たちは持っているし、日本は宗教が根づいていて宗教によって救われてもいます。来月、高野山に行ってきます。




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