がんと闘う薬剤師そういち|がんサロン薬局をつくる人

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がんと闘う薬剤師そういち|がんサロン薬局をつくる人

\ 若い世代のためのオンラインがんサロンをつくる/ ・27歳/脳腫瘍/AYA世代がんサバイバー/薬剤師💊   ・ICE療法3コース/放射線治療12回💉 ・治療の記録、がんに関する情報を発信🗣️ ・病気について気軽に話せる人がいない。そんなあなたのための心の拠り所✨

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新卒3ヶ月でがんになった薬剤師の話

自己紹介 はじめまして、そういちと申します。 今年28歳になります。 薬剤師をしています。 24歳で新人薬剤師として働き始めて3ヶ月で脳腫瘍と診断され、抗がん剤治療と放射線治療を受けた経験があります。 入院し、治療を開始した当時から自分の経験をブログ等に書いて発信しようとは思っていたのですが、気づけば3年が経過してしまいました。 本格的に活動を始めていくための意思表示としてこの記事を書いています。 私が患った病気は「松果体部胚細胞腫瘍」(英名: germinoma、

    • がんと闘う薬剤師フルマラソンに挑戦します

      この度、がんサバイバー薬剤師そういち 熊本城マラソンに挑戦する事になりました。 現在27歳。 薬剤師をしています。 24歳で新人薬剤師として働き始めて3ヶ月で脳腫瘍と診断され、 抗がん剤治療と放射線治療を受けた経験があります。 私が患った病気は「松果体部胚細胞腫瘍」 (英名: germinoma、ジャーミノーマ)と呼ばれる脳腫瘍です。 WHOgrade4(極めて悪性)に分類されます。 さらに、下垂体にも転移しており多発という状態でした。 そこから化学療法(ICE療法

      • 若い世代・そのご家族のためのがんサロンをつくりました。

        ついに、がんサバイバー薬剤師そういち主催 「オンラインがんサロンそういちカフェ」 を設立しました。 熊本県がんサロンネットワークに登録する事にはなりましたが、県内だけでなく 全国各地のがん患者さん同士の繋がりを深めるためにオンラインで開催する事にしました。 もし、反響が大きければ熊本県内や福岡などでがんサバイバー同士で集まり、実地開催。 オフ会なども開催できればと考えています。 今回は、前回の記事でも記した通り 若い世代・そのご家族を対象としたがんサロンを設立したた

        • 若い世代・そのご家族のためのがんサロンをつくるために、Instagramはじめました。

          こんにちは。 今回は、またまた番外編です。 がんサバイバー薬剤師そういち。 この度、Instagramの方でも活動をはじめました。 今回、Instagramを始めた理由としては 若い世代・そのご家族のためのオンラインがんサロンを作ることに決めたからです。 というより、もう設立が決まりました。 私自身、薬剤師かつがん患者ですのでより近い距離感で皆さんの相談に乗れるかなと思っています。 若い世代向けのがんサロンは、他にもありはするのですが、薬剤師かつがん患者が主体的

        • 固定された記事

          #12「リハビリについて」

          手術後、頭の激痛と40度の高熱に苦しめられる地獄の2週間をなんとか乗り越え。 その後、面会謝絶になるも、なんとか病院食とうまく付き合いながら過ごしていました。 体調が良くなった事もあり、手術後体調が悪い人が入れられる個室から、4人部屋の大部屋に移動になりました。 この頃から、ようやく自分で歩く事が可能になり、一階の売店に行って自分でお弁当を買ったり、病院内を散歩できるようにはなりました。 ただ、この4人部屋に移ってからが、また違った意味で地獄の始まりでした。 髄膜炎

          #11「入院中の食事について」

          2020年8月、新型コロナが始まって面会規制が緩まったのも束の間、再び面会謝絶となりました。 家族、友人、誰1人として面会はおろか、差し入れも禁止です。 これにより、彼女、家族、友人誰1人として私の病室を訪れることはできなくなりました。 さて、ここで一つの問題が発生しました。 そう、食事です。 父からご飯を買ってきてもらう手段を失った今、病院食を食べるしか方法が無くなりました。 ここからの内容は一般論からするとかなり偏った内容かもしれません。 しかし、実際に入院

          #10 「面会謝絶」

          まだ車椅子以外での移動は禁止ですが ようやく、病室から出る許可を得たので彼女に車椅子を押してもらいながら2週間ぶりに病室を出て1階の売店へ買い物に行きました。 久々の2人きりの時間、久々の外出。 売店でお菓子や飲み物を一緒に買って、なんとなくいい時間を過ごしました。 突然の別れにより引き離され、会えなかった時間の分 その時間はとても特別なものでした。 ああ、よかったと思ったのも束の間。 あれよあれよととんでもない悲劇が待ち受けていました。 売店でお菓子や飲み物を買

          #9「死の淵」

          40℃の高熱。この世の物とは思えないほどの激しい頭痛。 ご飯を食べて、痛み止め打って2時間寝て、4時間地獄の痛みに耐える。 そして、痛みで気絶して、また寝て起きる。 この繰り返しです。 夜中に目覚めた時、高熱で口の中がカラカラで 水分補給をしようと足元の冷蔵庫に気合いで手を伸ばし、 キンキンに冷えたコーラを飲んだ時の美味しさと言ったらもう忘れられません。 最初の1週間は本当に地獄でした。 熱は何回測っても40℃越え、頭痛も一向に治らず、痛み止めを使って、寝て起きるの繰

          一度死んだ私が見た世界

          人生は選択の連続だ。 選択というのは時に残酷に、自分の意思とは関係なく訪れる。 まずは自己紹介。 人は大なり小なり、毎日何かしらの選択をして生きています。 今日は何を食べようか。何を着て行こうか。 これが小さな選択。 進学や就職、結婚など人生の岐路に大きく関わる選択。 これが大きな選択です。 そんなつもりは無くとも、知らず知らずのうちに選択と決断の連続から人生は成り立っています。 これらの選択を前にした時に、人は悩み、迷う。 当然の摂理です。 選択が大きな選択に

          僕たちはどう生きるか

          24歳で脳腫瘍(極めて悪性)発症。 25歳でてんかん発作発症。(髄膜炎の後遺症による症候性てんかん疑い) →2年間車の運転禁止。 27歳でてんかん発作再発→症候性てんかんで診断確定🆕(車の運転再度禁止)

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          #番外編「全身けいれんで緊急搬送」

          突然ですが、昨日夜中にけいれん発作を起こし救急車で緊急搬送されました。 今は大学病院に入院しています。 人生で1回目のけいれん発作を起こしたのが、脳腫瘍の治療が終わって半年後くらいの2021年6月でした。 1回目の時は、土曜日朝から薬局で仕事で、仕事を終えて13時くらいに家に帰ってきて人をダメにするソファの上で寝転がっていました。 救急隊員「おい、そういち起きろ!」 その声で目を覚ますと目の前に幼馴染の救急隊員がいました。 どうやらソファーの上でけいれんを起こしてい

          #8「髄膜炎」

          手術を無事乗り越え、頭に穴を開けたにも関わらず普通に会話もできている状態だったので 誰もがもう大丈夫だと思った事でしょう。 この後、とんでもない悲劇が待ち受けていようとは夢にも思いませんでした。 手術が終わり、体はきつかったですが特に問題は無く。 特に痛みもなかったので、その日は普通に眠りにつきました。 翌日朝は普通に目覚めて、脳神経外科の病棟の個室に移動になりました。 翌朝からは食事が再開になりました。 丸一日何も食べていなかったのでとてもお腹が空いており、ご飯大盛

          #7 「緊急手術」

          手術についてひと通りの説明を終え、病院食を食べてその日は眠りにつきました。 そして翌日、2020年7月17日(金)緊急手術の日。 手術当日は手術中に嘔吐した際に食べ物が出てこないように絶食です。 これがなかなかしんどい。 とりあえず、朝と昼のご飯は抜きです。 その日は13時から手術の予定でした。 手術室に入る際には、一旦病室の物は全て引き払う形になります。 ロッカー等に貴重品も預けれないので荷物を全て父と母に預けておきました。 手術室に入る際は、病衣以外は全て下着も

          #6 「告知」

          みなさんお久しぶりです。少々、間が空いてしまいましたが更新していこうと思います。 先日、元阪神の横田慎太郎さんが28歳の若さで死去されました。 1995年生まれ、鹿児島県出身。 鹿児島実業高校→2013年ドラフト2位で阪神タイガース入団。 「糸井二世」と評されるほど身体能力が高く、将来を期待された選手でした。 しかし、2017年に脳腫瘍が発覚。 治療の末寛解し、現役復帰するも 「自分で打った球の軌道や方向が全く見えない」 「投手の投げた球が二重に見える」 などの後

          #5 「緊急入院」

          2020年7月15日(水) 月曜日に撮ったMRIの検査結果を聞きに行きました。 検査の結果はやはり脳腫瘍で確定でした。 ただ、MRIで検査して腫瘍の有無が分かっただけで、 悪性なのか良性なのかはこの時点では聞かされていません。 大学病院へ紹介状を書くから、大学病院からの連絡を待ってくれとの事でした。 あー、やっぱりそうだったかと もう受け入れるしかありませんでした。 この時点で、大学6年生ごろから旅行に行ってもすぐに疲れて休憩したりしていた事 6月ごろからの頭痛

          #4「受容」

          「脳腫瘍の疑いがあります。」 この段階では悪性なのか、良性なのか、どこまで病態が進行しているのかも分からない。 脳腫瘍というワードだけが一人歩きしています。 ましてや、脳圧が高すぎて視神経乳頭から出血? これってマジでヤバいんじゃないの? 色んな考えが一瞬で頭を過りました。 医療の世界にはキューブラ・ロスの5段階モデルというものがあります。 人が、避けられない死を受容していく悲しみの過程を、否認・怒り・取引・抑うつ・受容の5段階で表したものです。 これは、死以