#8「髄膜炎」
手術を無事乗り越え、頭に穴を開けたにも関わらず普通に会話もできている状態だったので
誰もがもう大丈夫だと思った事でしょう。
この後、とんでもない悲劇が待ち受けていようとは夢にも思いませんでした。
手術が終わり、体はきつかったですが特に問題は無く。
特に痛みもなかったので、その日は普通に眠りにつきました。
翌日朝は普通に目覚めて、脳神経外科の病棟の個室に移動になりました。
翌朝からは食事が再開になりました。
丸一日何も食べていなかったのでとてもお腹が空いており、ご飯大盛りの食事を用意してもらいました。
久々の食事は、味の薄い病院食とはいえとても美味しかったのを覚えています。
正直、夕方くらいまでは歩けるのじゃないかというほどに元気でした。
しかし、21:00頃
私「寒くて震えが止まりません。頭痛もひどくて痛み止めもらえますか。」
突如、40℃の高熱と激しい頭痛、吐き気に襲われ、折角食べた物を全て吐き出してしまいました。
看護師さん「痛みに強さは1から10で表すとどのくらいですか?」
私「30くらいです。強い痛み止めが欲しいです。」
正直に言って、大の大人がのたうち回るような痛みです。
とても言葉では言い表せません。
人生で感じたことの無いレベルの痛みです。
この世で人間が感じる事ができるマックスの痛みを10として30ですから。
医療従事者の方ならご存知かと思いますが、くも膜下出血の痛みをハンマーで殴られたような痛みと例える事があると思います。
あれは、言葉では言い表せない人間の最大限に感じる痛みを
一般の人に分かりやすく伝えるための例えなのだとこの時理解しました。
私「痛い。死にそうなぐらい頭が痛い。さっき点滴してまだ1時間ちょっとしかたたないんですか?他に何か痛み止めはもらえませんか?吐き気もしてきた。」
飲み薬の痛み止め、坐薬の痛み止め等色々試しましたが、全く効きません。
その中でようやく効果があったのが注射の痛み止め(アセリオ)でした。
それまでは全く眠れなかったのですが、これを使うと痛みが引いて2時間くらいは寝れるという感じです。
次に使うまで、6時間は間を空けないといけない薬なので、点滴して2時間は痛みが引いて寝れて
残りの4時間はひたすら痛みに耐えるという感じです。
本当にこれは生き地獄でした。
首の後ろが硬くなって首が曲がらなくなる症状、激しい頭痛、嘔吐
それに加えて血液検査の結果、診断は「髄膜炎」でした。
髄膜炎というのは、簡単に言うと感染症の中でも1番ヤバいレベルのやつです。
何がヤバいかと言うと、
治療が適切に開始された場合でも、8~15%ほどが24~48時間以内に死に至ります。
治療をしなかった場合、患者の50%が死に至り、
生存者でも10%~20%に脳や耳、体に障害が残ると言うとんでもないやつです。
おそらく、手術の際に傷口から感染したのかと思われます。
正直、がん自体よりもこっちの方が本当にヤバかったのでは無いかと今では思います。
すぐに、抗生剤の点滴による治療が始まりました。
メロペネムという抗生剤で治療をする事になったのですが、髄膜炎に使う時は明らかに量が多いです。
今、病院でメロペネムの調剤をする事があるのですが、量を見ただけで「あ、髄膜炎やな」てなるくらいです。
それから灼熱の2週間が始まりました。
ご飯を食べようにも、再び体を起こせない程に衰弱。
部屋のカーテンは閉め切り、今が朝なのか夜なのかも分からない。
携帯を触ろうにも、あんまり触りすぎると疲れて体力がなくなる。
朝昼夕のタイミングでご飯が運ばれてきますが、食欲もなく。
ご飯を食べるために頑張って体を起こそうにも、全勢力を使って、めちゃくちゃ気合いを入れてようやく起きれるレベルです。
頑張って起きようとしますが、体を起こせず、何回もご飯を見送りました。
食べたいのに食べれない。
そこで看護師さんが、食欲不振食というご飯が食べれない人向けのメニューを提案してくれました。
ご飯、パン、サラダ、汁物、デザートなどメニューリストから好きな物を選んで食べる事ができます。
最初の頃は何も食べれなかったので、カロリーメイトゼリーでひたすら飢えを凌いでいました。
ご飯を食べて、痛み止め打って2時間寝て、4時間地獄の痛みに耐える。
そして、痛みで気絶して、また寝て起きる。
この繰り返しです。
夜中に目覚めた時、高熱で口の中がカラカラで
水分補給をしようと足元の冷蔵庫に気合いで手を伸ばし、
キンキンに冷えたコーラを飲んだ時の美味しさと言ったらもう忘れられません。
次回、「死の淵」
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