一度死んだ私が見た世界
人生は選択の連続だ。
選択というのは時に残酷に、自分の意思とは関係なく訪れる。
まずは自己紹介。
人は大なり小なり、毎日何かしらの選択をして生きています。
今日は何を食べようか。何を着て行こうか。
これが小さな選択。
進学や就職、結婚など人生の岐路に大きく関わる選択。
これが大きな選択です。
そんなつもりは無くとも、知らず知らずのうちに選択と決断の連続から人生は成り立っています。
これらの選択を前にした時に、人は悩み、迷う。
当然の摂理です。
選択が大きな選択になればなるほど人は迷うものです。
そこで大事になるのが決断力です。
今回は「あの選択をしたから」というテーマに沿って
私自身の経験を元に記事を書いていこうと思います。
今年28歳。薬剤師4年目。
24歳で新人薬剤師として働き始めて3ヶ月で脳腫瘍と診断され、抗がん剤治療と放射線治療を受ける。
この時点でイレギュラーすぎますね。笑
2020年3月。薬剤師国家試験に合格し、大学時代から4年間付き合っていた彼女と2人で私の地元の調剤薬局に就職することになりました。
将来的には、結婚も考えていた事もあり、就職する際に彼女は私の地元に付いて来てくれました。
結婚等を真剣に考えてのことだったので、とても嬉しかったのを覚えています。
全く見ず知らずの土地に結婚を見据えて付いてきてくれる彼女の決断力には頭が上がりません。
まあ、それでもまだこれから社会人1年目。
社会人になってから何があるか分からないし、お互い結婚は30歳くらいでいいかなくらいの感覚でした。
4月から働き始め、順調に仕事をこなして行っていましたが、6月ごろから体調不良をきたし始めました。
そして7月の健康診断で脳腫瘍が発覚し、入院。
ここで社会人になって初の大きな決断を迎えることに。
脳腫瘍が発覚し、治療を受けるか否かの選択です。
もちろん、治療も苦痛を伴うわけで、受けるも受けないも個人の自由です。
同意書も取りますしね。
(若いのもあり実質半強制でしたが。笑)
彼女も見ず知らずの土地で働き始めたばかりなのに、1人知らない土地に取り残されとても不安だったと思います。
手術を受け、抗がん剤治療と放射線療法を受けることに。
手術は無事成功。
しかし、この後地獄を見ることに。
髄膜炎発症。40℃の発熱。
頭の痛みの強さは数字の1から10で表すと30。
完全にメーターが振り切れてます。
これが2週間。
痛み止め打って2時間寝て、4時間地獄の痛みに耐える。
そして、痛みで気絶して、また寝て起きる。
体一つ起こせず、食事も摂れず。
まさに地獄の業火に焼かれたような灼熱の2週間でした。
正直、三途の川を渡るギリギリのところまで行ったと思います。
その後、体調が回復してから抗がん剤治療(3コース)+放射線療法が始まりました。
体調が回復してから治療開始まで約1ヶ月間の入院期間があり、その期間でリハビリを受けていました。
ここで、私は1つの目標を立てました。
病院内で関わる色んな人と仲良くなろう。
他の患者さん、医師、看護師、リハビリの方、薬剤師、助手さん、事務さん。
たとえ私が死んでも、色んな人と仲良くなって、輪を広げ、私という人間が生きた証をここに残そう。
その誓い通り、毎日のリハビリの時、ベッドを看護師さんが回って来てくれるとき、助手さんが配膳してくれる時、掃除に来てくれる時。
他の患者さんと廊下ですれ違った時、ナースステーションの前を通る時など様々なタイミングで人と話せるときは必ず挨拶をして、少しでも何かしらの雑談をするように心がけていました。
入院中ってご飯も美味しいとは言い難いですし、治療で気が滅入ることも多いので、色んな人と笑い合ったりする時間というのはとても心の支えになります。
その結果、僕が治療中辛い時、ご飯が食べれない時など助手さんや、看護師さんが毎日のようにお菓子やお弁当を差し入れで持ってきてくれたり。
サーターアンダギーを作ってきてくれたり、何から何までお世話になりました。
夜勤明けの看護師さんと一緒にみんなでマリオカートをしたりもしましたね。笑
つい先日、痙攣発作を起こして救急搬送され、3年ぶりに以前入院していた病棟に入院する事に。
通院で外来には来ていたのですが、新型コロナの影響で病棟には上がれていなかったので
3年ぶりに当時いた看護師さん、リハビリの方、助手さん達にお会いすることができとても嬉しかったです。
痙攣発作も重度の発作だったので記憶はもうろうとしていますが、
ほとんどの人が僕の顔を見た瞬間、
「おお、そういちくん久しぶり!」
「ああ、薬剤師の!」
など当時のエピソードを口に出してくださりとても嬉しい気持ちになりました。
助手さんも、
「また昔みたいにお弁当買ってきてやろか?」
と言ってお弁当とお菓子を買ってきてくれたり
あの時、色んな人と仲良くなっておいて本当に良かったなと改めて思いました。
ご縁というのは本当にどこからどう巡ってくるのかは分からないと改めて感じた瞬間でした。
本当に、本当に色んな方に可愛がって頂きました。
救急車で運ばれて緊急入院しておいてなんですが、3年ぶりに色んな方にお会いできて同窓会に行ったような嬉しい気持ちになりました。
この経験をした事により、普段の生活の有り難みを改めて痛感しました。
生きてるだけでまるもうけとはよく言ったものです。
仕事でミスをした時、「はあ死にてえ」と思うことも確かにあります。
でも、それすら幸せな事であると改めて痛感しました。
普通に仕事をして美味しいものを食べて、飲みに行って。
何気ない毎日を過ごすこと、これこそが1番幸せな事なんだなと
1人で何もできない寝たきりの状態になってから感じました。
失って気づくものは本当に多いです。
抗がん剤治療は本当に辛く、ご飯も全く食べれず。
例えるなら地球の重力が5倍くらいになってベッドの上に押し付けられている感じです。
5日間連続の点滴。日を追う毎に辛さが加重されていく感じです。
7日目くらいで体から薬が抜け切る感じで、ようやく体が楽になります。
それまではただひたすらに正気が回復するまでベッドの上でぐったりと寝ている感じです。
それでも、看護師さんやナースエイドさん、周りの方々の支えがあってなんとか乗り切ることができました。
また、入院中同じ病気で同じ治療を受けている一個下の男の子がいました。
看護師さんに彼の存在を教えてもらい、思い切って廊下で声をかけてみました。
それから同じ痛みを知るもの同士、すぐに意気投合。
一緒にサッカーの試合を見たり、テレビゲームをしたり。
今でもよく連絡を取り合っています。
私の人生は側から見たら波瀾万丈で決して幸せなものではないかもしれません。
しかし、様々なものを失い、初めて自分は幸せだったんだと気付かされた事こそが大きな財産だと思います。
抗がん剤治療1コース目が終わり、一時退院が許され、1週間ほど家に帰ることになりました。
2ヶ月ぶりに病院の外へ出て、久々に彼女の待つ家に帰りました。
夏の始まりの暑い時期に入院してきて、退院する頃には少し肌寒くなっていました。
病院内からかんかん照りの外の様子は見てはいたのですが、病院内はクーラーが効いており年中同じ温度に調整されているため暑さは感じず。
なので僕にその年の夏はありませんでした。
彼女と2ヶ月ぶりに再会。
頭つるつるで帰ってきたので少し動揺した様子でしたが、今までと変わらず接してくれました。
そこから束の間の幸せな一週間を過ごし、病院に帰ることに。
彼女に行ってきますの挨拶をして出発。
抗がん剤2コース目。ご飯も美味しくないし地獄や。
と思いながら病院に帰ったのを思い出します。
この時、
「あれ?こんな状態なのにいつもと変わらず一緒にいてくれる。この人と結婚したい。」
と真剣に思うようになりました。
病院に着いてからというもの、Googleでひたすら「プロポーズ やり方」とか「プロポーズ プラン」とかをめちゃくちゃ調べまくって
予算や指輪やシチュエーションなどを一生懸命考えた記憶があります。
何しに入院しに来てるのって話ですよね。
無事抗がん剤2コース目も終わり、退院。
彼女の誕生日が10月下旬だったため、
誕生日のディナーに行こうか
と言って夜景の見えるレストランのプロポーズプランをこっそり予約し、
そこに連れていきました。
この時、頭ツルツルにニット帽をかぶってセットアップ着てカッコつけて。
もともとはお互い30で結婚する予定だったのに、結果的に病気が結婚を後押しする形になりました。
それから薬局パート(週2)で社会復帰後、
「自分ががんになって実際に感じたことを辛い治療を受けている患者さんに還元したい」
「患者にもっと寄り添いたい」
という思いから一念発起して薬局から大病院に転職。
病気から復帰して一回もフルタイムで働いていないにも関わらず、思い切った決断をしました。
現在、てんかん発作を起こした以外は特に体調に問題はなくフルタイムでしっかり勤務できています。
現在入籍してから1年半になりますが、
もしかすると、あの時病気になっていなかったら
あの時プロポーズをしていなかったら、
今の幸せはなかったのかもしれません。
病院に転職してから、がんの患者さんと話す際に
「実は私も治療を受けてたことがあるんです」
この一言で患者さんの表情がパーッと明るくなり、治療に前向きになられる姿を見るととても嬉しい気持ちになります。
病棟でも看護師さん、医師からも頼りにして頂き、支えてもらいながら仕事をする事が出来ています。
みなさん本当にいい人ばかりです。
入院した時に培った色んな人と話す力がここにも活かされているのかな?とも思います。
「あの時、病気になっていなかったら。」
「あの時、プロポーズしていなかったら。」
「あの時、病院に転職していなかったら。」
今の自分は間違いなくいないでしょう。
今後は、患者さんの心に寄り添える薬局を妻と2人で開業できたらと考えています。
がんにより治療中の方。
治療後、なかなか体力が戻らずフルタイムでの社会復帰が難しい方。
患者の家族の方。
てんかんなどの持病を抱えながらも社会で生活されている方。
などの就労支援、心のケアを中心に行う薬局作りを行いたいと考えています。
まずは、働き世代の若い世代のがんサバイバーを集めたがんサロンを運営して行きたいと考えています。
何気ない毎日の中で「辛い」と感じれること。これ自体が幸せだと私は気づくことができました。
本当に、生きているだけでまるもうけです。
みなさんも何か辛いことがあった時に私の事を思い出してくだされば幸いです。
ありがとうございました!
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