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#12「リハビリについて」

手術後、頭の激痛と40度の高熱に苦しめられる地獄の2週間をなんとか乗り越え。

その後、面会謝絶になるも、なんとか病院食とうまく付き合いながら過ごしていました。

体調が良くなった事もあり、手術後体調が悪い人が入れられる個室から、4人部屋の大部屋に移動になりました。

この頃から、ようやく自分で歩く事が可能になり、一階の売店に行って自分でお弁当を買ったり、病院内を散歩できるようにはなりました。

ただ、この4人部屋に移ってからが、また違った意味で地獄の始まりでした。

髄膜炎に対する抗菌薬の点滴はまだ続いていたので、常に点滴スタンドとお友達で、院内を点滴を引っ張りながら歩き回っていました。

場所を変えるだけで気分転換にはなるもので、ロビーやエレベーター前のソファー、売店など色んなところを一日中転々として過ごしていました。

ただ、新型コロナの面会謝絶の影響で他の階の病棟に行ったり、自分のいる建物から出るのは禁止です。

この頃、バンコマイシンという点滴のお薬を使っていたのですが、この薬を何日間も使う時はその薬の量が本当にその人に合っているのかを血液検査でチェックします。

血液検査の結果、私の場合だと少し量が少ないとの事で、お薬の量が増えることになりました。

私の担当の薬剤師さんが主治医に
「お薬が少ないのでもう少し量を増やしてください」
と提案してくださったようです。

この頃、私は新人薬剤師だったので、
自分自身のお薬の量が薬剤師さんの提案で変更になった場面に直面して

「先輩の薬剤師さんって本当にすごい」

と肌で感じる事ができました。

また、とんでもない頭痛に苦しめられていた際に、痛み止めのお薬を使いすぎたせいで
肝臓に負担がかかってしまい

ウルソデオキシコール酸錠
という肝臓の調子をよくしてくれるお薬を飲む事になりました。

これが、飲み込まずに口の中に入れたままにしておくと錠剤が溶けてきて

めちゃくちゃ苦い。

錠剤を口の中に入れてすぐに水で流し込まないといけません。

またひとつ患者さんの気持ちを理解する事ができました。(自分も患者やろ。笑)

4人部屋の大部屋に移動して、検査や採血が無い時は基本的に自由になったのは良かったのですが、
移動になった大部屋は1番ナースステーションから近い部屋でした

ナースステーションから1番近い部屋は、基本的に重症の患者さんが入るお部屋です。
あとは、重症ではないけれど目が離せない患者さん(認知症の人など)が入る事が多いです。

例えば、身体にいろいろ機械がついていたり、トイレや食事が1人でできない人や、
認知症の影響でベッドから落ちたりする人とかですかね。

個室から出るときに、たまたま、病室がそこしか空いてなかったのと、
髄膜炎になって生死の危険をさまよった事などから、念の為という事でそこの部屋に移動になったようです。

いつまでも手術後の無料の個室にはいれませんからね。

大部屋になってから苦労したことは、やはり食事です。

しかし、今回のは味がうんぬんとかではなく。

トイレや食事が1人でできない患者さんが集まっているお部屋ということはどういう事かと言うと、
食事のタイミングとか関係なく失禁したりするので食事中に便の匂いが部屋中に充満したり。

トイレをするのに失敗して、便座が糞尿まみれになっていたり。

まるで、トイレの中で生活してご飯を食べている感覚でした。
イヤホン無しではご飯も食べれない環境だったと言っても過言ではありません。

これには慣れるまでなかなかかかりましたが、仕方ないと割り切るしかありませんでした。

それと同時に、食事や排泄の手助け、お風呂の手助け等を全てこなされている看護師さんの事を本当に尊敬しました。

尿瓶に溜めた患者さんの尿を回収したり、オムツを替えたり身の回りのことは何でもこなされています。

今現在、私も病棟で薬剤師として患者さんの服薬指導に行ったりはしますが、なかなか患者さんの立場から見ないとそう言うのは分かりにくいものです。

そう言った意味でも、患者側として入院を経験したのは大きかったなと思いました。

手術中に頭の中から取ってきた腫瘍を検査に出していて、
その結果からどんな治療を行うのか決めるのに1ヶ月程度はかかるとの事でした


最初の2週間は熱で倒れていたので、残りの2週間はリハビリをしたり、色んな検査をしたりする時間になりました。

リハビリについて詳しく話そうと思ったのですが、他のことについて話してしまったのでまた次回。笑

次回、「リハビリについて 2」。笑

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