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40℃の高熱。この世の物とは思えないほどの激しい頭痛。
ご飯を食べて、痛み止め打って2時間寝て、4時間地獄の痛みに耐える。
そして、痛みで気絶して、また寝て起きる。

この繰り返しです。

夜中に目覚めた時、高熱で口の中がカラカラで
水分補給をしようと足元の冷蔵庫に気合いで手を伸ばし、
キンキンに冷えたコーラを飲んだ時の美味しさと言ったらもう忘れられません。

最初の1週間は本当に地獄でした

熱は何回測っても40℃越え、頭痛も一向に治らず、痛み止めを使って、寝て起きるの繰り返し。

あんなにコーラが美味しいと感じた事は後にも先にもありませんね。

運動後のビールよりも最高に美味いです。

気を紛らわせようとアニメを見たりしていましたが、すぐに疲れてしまい全然見られず。

そんな辛い中、唯一の気晴らしがありました。

地元にすごく仲のいい友達がいて、その友達から久しぶりに電話がかかってきました。

友達「今さっき、お前の車見たんやけど。今なんしよるん?」

私「ん?入院。それたぶん人違いやで(笑)」

友達「は?」

家族と彼女以外には入院の事を伝える余裕も無かったので、仲のいい友人にも入院の事はまだ伝えていませんでした。

また、2020年の7月ということもあり、新型コロナの流行り始めだったため
同じ地区に住んでいたとは言え、しばらく連絡を取っていなかったのでこれが久しぶりの会話でした。

友達はとても驚いた様子でしたが、新型コロナの影響で少し距離のできていた友だちと再び連絡を取るいいきっかけだったのかなと今考えると思います。

それから、毎日夜に1時間程度電話をして気晴らしに付き合ってくれるようになりました。

友達「お前、40℃くらい熱があって、ものすごい頭痛がすると言う割に元気そうだけどまじ?」

「電話してる感じだと全然そう見えんのやけど。」

私「元気そうに見えるやろ?」

「意外と人と話すとすごく気が紛れてその時だけは元気になるんよ。」

本当にこれでした。

人と話している時だけは、苦しい時でも気が紛れて痛みや辛さを忘れられるんですね。

友達や彼女、家族のありがたみを痛感した瞬間でした。

新型コロナが流行し始めて3ヶ月くらいだったので面会の規制も少し緩まり、面会が解禁されていた時期だったので

家族、友人、彼女が時間を作って面会に来てくれていました。

こういう体調の悪い時こそ、自分の好きなものを食べたくなるもので

父親には毎日マクドナルドのセットやほっともっとのお弁当を買ってきてもらい食べていました。

父親も昔入院した時は、ほっともっとの鰻弁当を毎日食べていたんだとか。笑

母親からはよく、病院食を食べなさいと怒られていましたが。笑

彼女も住んでいる家から車で片道1時間かけてお見舞いに来てくれていました。

彼女は水曜と土曜日が13時まで勤務だったので、その後遥々1時間かけて来て1時間かけて帰る感じです。

わざわざ週に2、3回もお見舞いに来てくれて非常に感謝しています。

また、僕が入院している病院で薬剤師として働き始めたばかりの大学同期がお見舞いに来てくれたりでとても助かりました。

友達がお見舞いに来てくれる予定の日に、高熱によるけいれんを起こし
遥々遠くから来てくれたにも関わらず、予定がキャンセルになってしまった事もありました。

しかし、なんとか気持ちを繋ぎながら痛みと高熱と闘い抜きました。

髄膜炎になって地獄の1週間が過ぎた頃に、髄液検査をする事になりました。

髄液検査というのは簡単に言うと、腰から背骨に注射針を刺して液を抜いて、どんな菌がいるか、感染が治って来たかを見る検査です。

髄液検査

ボールペンの先っぽくらいでしょうか?まあまあ太めの針を背中に押し当ててゴリゴリっと入れ込む感じですね。

結構これが痛かったです。

しかし、髄液をある程度抜いたおかげか脳の圧力は下がったみたいで頭痛はかなり楽になりました。

2週目は頭痛はかなり治りましたが、何度測っても熱が38度以下に下がらず。

身体が高熱に晒され過ぎて逆に熱に慣れてしまったようで、不思議ときつさは感じませんでした。

体調的にもう元気になったやろ!って思って毎日測っても38度以上あるんです。

もう本当に、一生熱が下がらんのかとその時は思いました。

一生38度の熱のまま生きていくんやろうなくらいの感覚がありました。

しかし、2週間経つ頃には熱も平熱に下がり、頭の痛みも無くなりました。

まだ車椅子以外での移動は禁止ですが
ようやく、病室から出る許可を得たので彼女に車椅子を押してもらいながら2週間ぶりに病室を出て1階の売店へ買い物に行きました。

久々の2人きりの時間、久々の外出。

売店でお菓子や飲み物を一緒に買って、なんとなくいい時間を過ごしました。

突然の別れにより引き離され、会えなかった時間の分
その時間はとても特別なものでした。

ああ、よかったと思ったのも束の間。

あれよあれよととんでもない悲劇が待ち受けていました。

次回、「面会謝絶」

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