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浅沼総一
2021年12月26日 19:15
僕は人見知りはしないほうだ。でも、「初対面」の人と出逢うとき、いろいろと考えを巡らせてしまう。まず、僕の口元のアザのことについて。それから、精神障害への配慮について。「初対面」の人にはなるべくこの二つのことについて、話の流れを遮らないように話すことにしている。自分の「構え」を取り除くこともそうだけど、何より他者の「構え」を取り除くことに重きを置いている。 アザ持ちの人と出逢う機会はありそうで
2021年10月20日 07:20
僕は「ふたり飯」が好きだ。「ひとり飯」は人とのお喋りがなくて、食事が単なる作業になってしまって、あまり好きではない。ひとり飯、特に外食するときは決まって、行きつけのお店で店員さんとお喋りしながら食事をする。だからそういった意味で外食でお喋りのない、ひとり飯をすることは滅多にない。 はじめて外食でひとり飯をしたときの記憶はもう残っていないけど、はじめの頃は店内のお客さんや店員さんを敵だと感じて
2021年10月13日 00:27
もうすぐ20歳になるというときに、統合失調症という診断名をつけられた。このときは抵抗もあったが、同時に一生付き合っていかなければならない疾患、障害であるため、僕という存在が社会から認められたような気がした。でもそれは錯覚で、差別や偏見もあるのだけど。安堵する一方で、これからのことが不安だった。 僕はざっくり分けて二つの人生を生きている。一つはユニークフェイス/見た目問題当事者としての人生。も
2021年10月11日 10:53
僕はどこか「人とは違う」と思い始めたのは保育園に通っていたときだ。当時は友達らしい友達もいなかった。だからいつも一人遊びをしているか、塀の外をただぼーっと眺めながら母が来るお迎えの時間を待っていた。母は仕事の関係でお迎えが遅くなることが度々あった。それもあってか、一人の時間を過ごすことに慣れていった。 ある日、お昼ご飯の時間が終わって、遊びの時間になった。そのときは砂場でドロだんごを作ること
2021年10月8日 14:25
中学一年生のころ、はじめて彼女ができた。経緯は別の記事で改めて書き起こすとして、事の始まりは、クラスメイトの女の子が僕のことを好いてくれたことだ。彼女の取り巻きのクラスメイトが、 「Aさんのことどう思う?」 「Aさんって可愛いと思わない?」 などと、連日質問攻めにされた。クラスメイトの反応があからさますぎて、僕は多少疑いつつも彼女の気持ちが本当であると、確信に変わっていった。僕も彼女
2021年10月8日 12:52
家を一歩出れば、視線におびえる毎日。誰も見ていなくても、誰かが見ているのではないか。僕はいつしか見えない視線、在りもしない視線にびくびくするようになっていった。口元の右側にアザがあるから、右側が見えないように、意識しながら生活していた。歩道を歩くときも、いつも決まって右側を歩いた。電車に乗るときも、壁側に移動して右側が見えないように、壁を右にしてそれとなく違和感のないように寄りかかっていた。
2021年10月6日 05:18
僕はどこか人とは違う。そんな風に考えていた時期があった。どこかじゃない、この口元のアザだ。アザは僕の人生を不幸にした。アザによって、人から好奇な視線を浴びた。家を一歩出る。ただそれだけのことが僕にとって、勇気のいることだった。好奇な、ときには嫌悪だったり奇異だったりするわけだけど、そういった視線におびえながら生きていた。 視線だけならまだよかった。すれ違いざまに嫌味ったらしく、 「口にウ
2021年10月5日 19:04
ある日、ある居酒屋で、研究者である友人Hさんと社会学談義をしていた。Hさんは僕と話すとき、基本的なスタンスとして、どんな話題でも学問に引き付けて話すようにしているそうだ。僕はそういった中でHさんに揉まれていくうちに、社会学的な視点をもつことが少しではあるができつつあるように思っていた。 そうしてお互いに疲れ果てて、帰ろうとしていたときだった。お店にお客さんが入ってきた。40代くらいの男性だっ
2021年9月30日 20:00
僕は大学生になるまで、アザもちの人に出会ったことがなかった。ロールモデルという言葉がある。これは自分の人生の模範となるような、行動や考え方のモデルになる人を指し示す言葉だ。僕と同じように外見に疾患や外傷のある人々が僕のちっぽけな社会にはいなかった。だから僕という存在がこの日本社会で、どのように生き抜いていけばいいのか全くわからなかった。 高校時代、僕のクラスに何人かアルバイトをしているクラス
2021年7月24日 16:17
僕には知的障害と診断された幼なじみがいる。わざわざ”診断された”と表現したのには理由がある。僕たちは何かしらのカテゴリーを付与されてこの社会を生きている。僕であれば男性だとか、精神障害者だとか、学生だとか、未婚者だとか、そんなところだろうか。こうしたカテゴリーは僕たちがこの社会を生きていき、人と関わる上で一定程度必要だと思う。知的障害と診断され、障害認定されることで社会から様々な支援を受けるのは