出逢って。

 僕はどこか人とは違う。そんな風に考えていた時期があった。どこかじゃない、この口元のアザだ。アザは僕の人生を不幸にした。アザによって、人から好奇な視線を浴びた。家を一歩出る。ただそれだけのことが僕にとって、勇気のいることだった。好奇な、ときには嫌悪だったり奇異だったりするわけだけど、そういった視線におびえながら生きていた。

 視線だけならまだよかった。すれ違いざまに嫌味ったらしく、

 「口にウンコついてるよ。」

 と、いった具体的な言動をも伴う経験もした。常に社会から、世界から、僕は人ではないのだと、言われ続けている気がした。今はそういった思考に陥ることは滅多にないのだけど、高校を卒業するまでは、もっと言えば「学問」と出逢うまでは、負の思考のスパイラルから抜け出せずにいた。

 高校で自己啓発本にハマり、そこからなぜだか学問の世界に入り込み、最終的に社会学に出逢い、のめり込んだ。「社会学とは人と人との関係の学である」と見田宗介がどこかに書いていたと記憶している。この定義に従えば、この社会、この世界のあらゆることが社会学のテーマとなり得る。じゃあ、僕のアザはこの社会でどう位置付けられるのだろう。社会を考えることは個人である自己のことを考えることでもある。自分を、社会を、今一度問い直そう。これが僕が研究者を志すに至った、研究動機の原点でもある。

 文献を自分なりに調べていくうちに、石井政之さんの文献にたどり着いた。そこで「ユニークフェイス」という言葉に出逢った。ユニークフェイスとは外見に疾患や外傷をもった人々を指し示す言葉である。と、同時にNPO法人ユニークフェイスという団体を指し示す用語でもある。ユニークとは日本では、おもしろいなどと意味づけされることが多い。でもユニークフェイスの意味するユニークとは「固有」だ。つまり、固有の顔。どんな外見であろうと、「化け物」と呼ばれようと、一人の唯一無二の顔であり、存在であると。

 そこで僕は思い至った。僕は、僕でしかないのだと。僕という存在を、何よりもアザを、ようやく受け入れることが、このときできたように思う。

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