ふたり飯。

 僕は「ふたり飯」が好きだ。「ひとり飯」は人とのお喋りがなくて、食事が単なる作業になってしまって、あまり好きではない。ひとり飯、特に外食するときは決まって、行きつけのお店で店員さんとお喋りしながら食事をする。だからそういった意味で外食でお喋りのない、ひとり飯をすることは滅多にない。

 はじめて外食でひとり飯をしたときの記憶はもう残っていないけど、はじめの頃は店内のお客さんや店員さんを敵だと感じていた。店内に入って、店員さんに席に案内されて、テーブルにひとりで座るまで、周囲から視線を一身に浴びている(そう感じているだけかもしれないけど)あいだ、僕という存在をこの人たちは全否定し、もっと言えば殺しにきているのだと思った。統合失調症の症状(被害妄想)と相まって、そうした感情はエスカレートしていた。

 それに歯止めをかけてくれたのは中学の同級生の女の子だ。彼女は僕が統合失調症と診断されてからも定期的にふたりで食事をしてくれた。このころから、信頼関係を築いた相手との「ふたり飯」が好きになった。逆を言えば、当時は信頼した人としか外食ができなかった。僕がふたり飯をすることは、相手への信頼の証でもある。

 僕は何度か女性とお付き合いしたこがあるけど、女性は視線により敏感なところがあるように思う。あるパートナーは外食の際に僕が視線に晒されていることを察して、

 パートナー「もう、ここ出よう?」

 と、配慮してくれたことがある。でも僕はそんなことをあまり求めていなくて、むしろそうしたことにも平然と気にせず、ふたりで食事を続けてくれたほうが嬉しかった。受け入れて欲しかった。特別扱いして欲しくなかった。ひとりの「人」として対等に接して欲しかった。わがままかもしれないけど、それが僕の本心だった。

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