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夏季語・ショートショート 1|白靴

四季を感じられる身近な言葉から、小さな物語を。
夏の季語をタイトルに、8本の短編連作をお届けします。
夜明けのジョギング、仕事帰りに迷い込んだ路地、夜道で拾った小さな星、ずっと気になっていたあの店……
どこかにありそうで、どこでもない場所への、小さな旅をあなたに。

季語の掌編小説集|小倉ソフ子

わたしはこの時期には午前三時半のアラームで起きる。
ベッドを出て、顔を洗い、うがいをして、キッチンでグラス一杯分の水を飲む。

夜はTシャツとジャージで寝ているので、着替えはしない。
そのまま軽くストレッチをして、首にタオルをかけ、玄関へ行く。

スニーカーに足を入れて、紐を結ぶ。
軽く、クッション性のある素材で、包まれている感じが心地よい。
わたしはこの靴が好きだ。

外に出るとまだ暗い。
もう一度脚周りを丁寧に伸ばしてから、走り始める。

ジョギングで15分くらい行った住宅街の中に、大きな公園がある。
まだ夜明け前だけれど、ちらほらと犬の散歩や走っている人がいる。

大きな木の並ぶ公園の敷地内は、街灯はあれど薄暗い。
歩いている人やペットは皆小さな発光体やライトをぶら下げていて、それが闇の中にちらちらと光る。

夏が毎年のように酷暑になってから、夜明け前に歩く人々は以前と比べて増えたという。
わたしはまた別の理由で夜明け前に走る。

薄闇の中を浮遊するように行き交う静かな人々の合間を、ゆっくり走ってゆく。
急に木立が開けて、楕円の芝生を囲んだ陸上競技のトラックがある。

トラックの上の空は開けて大きい。
まだちらちらと星がある。
芝生をササササと揺らして夜明け前の風が渡る。

トラックを2-3週走ったら、あとは歩いて帰る。
また薄暗い木立を抜け、住宅街を歩いて自宅まで戻る。

その日は疲れて、少しぼんやりしていた。
そのせいでいつもよりペースが遅かったのかもしれないし、自動販売機で水のボトルを買って飲んでいた時間のせいかもしれない。

夜が明けてきた。

はっとして、わたしは自分の足元を見下ろす。
影がすうっと伸び始めていた。
夜が明けてきたのだ。

心拍数が上がる。
自宅まではまだあと少し距離がある地点だった。
わたしは走り出す。

警察署の角を曲がったところで、ジョギングをしている人とでくわした。
その人の、白いスニーカーが眩しくわたしの目をうつ。

わたしは速度を上げる。

再開発された見通しの良い大通りで、夜明けと共に、街から浮かび上がるように、あちこちに人が歩いているのが見えはじめる。
それらのすべての人の足元が夜明けに白く光りはじめている。

大火を期に、入り組んだ路地を廃し、ひしめいた小さな木造家屋やその生活を廃し、徹底した区画整理をもとにクリーンに再開発された街から、既存の住民は多く立ち退き、あるいは新設された代替の住居に収容された。

新設された景観やイメージを損なわぬよう、この街では立夏から立秋まで白い靴を履くことが推奨されている。

強制ではないが、それを入居条件にしているマンションがあったり、白い靴を購入するとポイント還元があったり、白い靴のコレクターがTVで取り上げられたり、SNSで多くの賛同を得ていたりする。

通り過ぎる人がちらちらとこちらを見る。わたしの足元を見る。
決して強制ではないけれど、今ではこの街のほとんどの人が白い靴を履いている。

もう夏なのだ。


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