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【科学者#052】湿度計や電池など科学に重要な道具を改良した科学者【ジョン・フレデリック・ダニエル】

第40回目で紹介したアレッサンドロ・ボルタが、1800年に発明されたボルタ電池は当時の科学界に衝撃を与えました。

そんなボルタ電池には、実は水素が発生したりなどの欠点があったのですが、そのボルタ電池を改良したり、他にも様々な道具を生み出した科学者がいます。

今回は、湿度計や電池など科学に重要な道具を改良した科学者であるジョン・フレデリック・ダニエルを紹介します。




ジョン・フレデリック・ダニエル

ジョン・フレデリック・ダニエル

名前:ジョン・フレデリック・ダニエル(John Frederic Daniell)
出身:イギリス
職業:化学者・物理学者
生誕:1790年3月12日
没年:1845年3月13日(55歳)


業績について

ダニエルは様々な道具を開発したのですが、その中でもボルタ電池を改良してダニエル電池というものを作りました。

そもそもボルタ電池は、電気を発生させるときに水素が発生してしまい、さらにすぐに起電力が小さくなってしまう欠点がありました。

そこでダニエルは、使用する液体を素焼き板で分離し、硫酸銅水溶液と硫酸亜鉛水溶液を入れることで、水素が発生せず、起電力が変化しにくい電池をつくりました。

このことにより、電池をさらに実験などで使いやすくなりました。


生涯について

ダニエルは小さい頃は、親戚が経営していた製糖施設に預けられます。

そして、その時に製造に関わる重要な箇所を改良したりし、小さい頃から工学の才能を開花させます。

1813年の23歳のときにはイギリスの王立協会に選出され、すぐに気象学に関する重要な文献を出版します。

1820年にはダニエル湿度計、さらに銅ー亜鉛の熱電対を発明します。

熱電対というのは、2種類の金属線の先端同士を接触させて回路をつくり、そのつなぎ合わせたところに発生する熱起電力を利用して温度差をはかることができる温度計のことを言います。

ちなみに、この熱電対により大気の気温をはじめて正確に測定することができます。

ダニエルは、気象観測において正確に測定することがもっとも重要であると主張し、自らも大気変化の記録を残します。

さらにダニエルは、園芸協会が気象報告書に採用した計画を整理し、この計画がグリニッジ気象報告書の作製モデルになります。

1824年には、園芸協会に論文「園芸を参照して考える気候」を送り掲載されます。

ちなみにこの論文の内容は、温室の湿気に注意する必要性についてというもので、この論文が温室管理に革命を起こし、これにより園芸協会から銀メダルが授与されます。

1830年には水圧計を作成し、第37回目で紹介したベンジャミン・トンプソンが創設した、熱と光の優れた研究に与える賞であるランフォード・メダルを受賞します。

1831年にはロンドンにキングス・カレッジが設立され、ダニエルは初代化学教授に任命され、電気の研究にも熱心に取り組みます。

そして、1831年にダニエル電池を発明し、これにより1836年には王立協会からコプリ・メダルを授与されます。

その後は、1837年から1845年まで王立協会の外務大臣を務め、1839年には海軍委員会のメンバーになり、雷から船舶を保護する方法について論じたり、アフリカ基地の船の外装の急速な腐食の原因を調査したりします。

1839年には「化学哲学入門」を出版し、1842年には、王立協会からロイヤル・メダルを授与されます。



ダニエルという科学者

1845年3月13日に、ダニエルはキングス・カレッジで講義を行った後で、王立協会の理事会に出席し、講演をした直後に脳卒中で5分以内に発作を起こし亡くなってしまいます。

ダニエルは、亡くなる11年前に妻は亡くなっているのですが、妻との間には2人の息子と5人の娘がいました。

ダニエルは、若いときからもの作りの才能を開花させ、気象学関連、そして電気関連の発明品を数多く残してくれました。

さらに、その発明品により重要な記録を残してくれたり、ダニエル電池によりさらに化学が発展していきました。

今回は、湿度計や電池など科学に重要な道具を改良した科学者であるジョン・フレデリック・ダニエルを紹介しました。

この記事で、少しでもダニエルについて興味を持っていただけると嬉しいです。


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