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【科学者#054】自らノーベル賞を受賞し、さらに教育者としても科学に貢献した科学者【ジョゼフ・ジョン・トムソン】

日本の物理学に多大な影響を与え、科学者としての活発な精神風土を広めた科学者として、第34回目では仁科芳雄さんを紹介しました。

実は海外にも科学者たちに多大な影響を与え、ノーベル賞を受賞した科学者を何人も育てた科学者がいます。

その科学者の研究助手や後輩、そして同僚のうち8人がノーベル賞を受賞しています。

今回は、自らノーベル賞を受賞し、さらに教育者としても科学に貢献した科学者であるジョゼフ・ジョン・トムソンを紹介します。



ジョゼフ・ジョン・トムソン

ジョゼフ・ジョン・トムソン

名前:ジョゼフ・ジョン・トムソン(Joseph John Thomson)
出身:イギリス
職業:物理学者
生誕:1856年12月18日
没年:1940年8月30日(83歳)


業績について

かつては物質の一番小さいものといえば原子で、原子はこれ以上分けることができないと考えられていました。

このことが覆されるきっかけになったのが、1869年にドイツの物理学者であるヴィルヘルム・ヒットルフによって、はじめて陰極線が観察されたことになります。

その後1897年にトムソンは陰極線を調べる過程で、原子に電子が含まれていることを発見します。

トムソンは電場と磁場によって陰極線が曲がる様子を比較して、陰極線を構成する粒子の比電荷(帯電粒子の電荷と質量との比)を測定し、質量が水素原子の1000分の1くらいだと推定しました。

そして、陰極線が負の電荷をおびた非常に軽い粒子であると提唱し、『微粒子』と名付けます。

ちなみに、電子という名前は1891年にジョージ・ジョンストン・ストーニーが『電子』という名前を提唱し、これが広まり使われるようになりました。



生涯について

トムソンの父親は古書店を経営しており、母親は織物業を営む一家でした。

1870年、トムソンは14歳という異例の若さで、マンチェスターのオーエンズ・カレッジ(後の マンチェスター大学)に入学します。

そこでは、物理学者のバルフォア・スチュワート(1828年11月1日~1887年12月19日)に影響を受けます。

両親はトムソンを機関車製造会社の技師見習いとして行かせようとしていたのですが、1873年に父親がなくなったため、その道は絶たれてしまいます。

1876年には、ケンブリッジのトリニティ・カレッジに進学し、1880年には数学の学士号を取得します。

1881年には、トリニティ・カレッジのフェローに就任し、1883年には修士号を取得します。

その後1890年に、父親が医師であるローズ・エリザベス・パジェットと結婚します。

もともとローズは物理学に興味があり、トムソンの講演会に出席し、そこから2人の関係性が発展していきました。

そして、2人の間には2人の子どもができます。

ちなみに、息子であるジョージ・パジェット・トムソンは科学者でノーベル賞を受賞しており、娘のジョーン・パジェット・トムソンは作家になります。

ジョージ・パジェット・トムソン

父親であるJ・J・トムソンは粒子としての電子を発見し、息子であるG・P・トムソンは波としての電子を発見します。

G・P・トムソンは、電子は波の特性である干渉模様を表し、物質波を実際に捉えたとして、1937年にノーベル賞を受賞します。

1884年6月12日には王立協会フェローに選出され、1915年から1920年には会長を務めます。

1884年12月12日の28歳のときには、ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所の物理学教授に任命されます。

そして、1897年には陰極線の特性を調べる過程で原子に電子という粒が含まれていると考え、1906年に電気伝導に関する研究によりノーベル物理学賞を受賞します。

1908年にはナイトの爵位を授与され、1912年にはメリット勲章に任命されます。

1918年にはケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジの教授となり、トムソンの研究助手や後輩、同僚のうち8人がノーベル賞を受賞し、教育者としても科学に貢献します。

ノーベル物理学賞
1917年 チャールズ・バークラ

チャールズ・バークラ

1922年 ニールス・ボーア

ニールス・ボーア

1954年 マックス・ボルン

マックス・ボルン

1915年 ヘンリー・ブラッグ

ヘンリー・ブラッグ

1928年 オーエン・リチャードソン

オーエン・リチャードソン

1927年 チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン

チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン

ノーベル化学賞
1922年 フランシス・アストン

フランシス・アストン

1908年 アーネスト・ラザフォード

アーネスト・ラザフォード

1905年にはカリウムの自然放射能を発見し、1906年には水素が原子ごとに1つの電子しか持たないことを実証します。



トムソンという科学者

トムソンがトリニティ・カレッジの学長時代に、自分の部屋の前にある庭の芝生をよく手入れしていました。

とある日、みすぼらしい身なりでトムソンは庭を手入れしていたときに、参観に来たとあるアメリカの富豪が、トムソンを庭師と見間違え、お金をつかませて手入れの秘訣を尋ねてきました。

トムソンは「水をやりなさい。ローラーをかけなさい」といいます。

大富豪がもう一度お金をつかませると、トムソンは「水をやりなさい。ローラーをかけなさい」と繰り返しました。

大富豪はさらにお金をつかませ「そんなこと分かっている」と怒鳴ると、トムソンはお金をポケットにしまい、「それを毎日繰り返して、500年経つとこうなるんです」と返答します。

のちにトムソンは、周囲に「あのお金こそが俺が一生で正直に稼いだ唯一のお金さ」っと言います。

そんなトムソンの性格は、控えめで、敬虔なイギリス国教会員でした。

トムソンは、電子を発見しノーベル物理学賞を受賞し、さらにトムソンのもとからは多くのノーベル賞を受賞した科学者が誕生しました。

今回は、自らノーベル賞を受賞し、さらに教育者としても科学に貢献した科学者であるジョゼフ・ジョン・トムソンを紹介しました。

この記事で少しでもトムソンについて興味を持っていただけると嬉しいです。


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