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出産未経験の独身女性無職40歳実家暮らし、産まなかった選択は間違っていなかったのだろうか。

そもそも結婚もしてないのに出産云々もまたおかしな話だが、私の周りにも「選択的シングルマザー」なるものが増えてきて、色々と考えたので思考整理のためにまとめておく。

「選択的シングルマザー」というと、自立してかっこいいものに聞こえるが、当事者によくよく聞くと「妊娠してしまったが、相手方男性としっかりした関係が構築できていないため、男性側が父親になる準備がない。でも女性側は子供は欲しい、または年齢的にも堕胎するには身体的にも精神的にもきついため、最後のチャンスだし(31歳〜40歳と考え方は幅広いが)出産したい」という人が多かった。あくまで私の周りで、ほんの一例にしか過ぎないが、相手の男に何かしら問題があることばかりである。

本来の出産と育児は、女性だけでも完結するのであろう。他の哺乳類を見ても出産育児はほぼ母親のみで行なっている。だがそれは、無税で無法で、生きることに金銭が必要ない動物の世界だけである。

人間の出産については、権利・義務・自由など様々な議論がされており、そこにおそらく正解はない。

私はもう40歳だ。だが、幼少期の頃から「人生で一番痛い」と言われるくらい苦しいと言われる出産に、抵抗があった。子供が欲しい、と思ったことは、ほんの数回しかない。惚れた男に入れ込んでとち狂っていた時だけである。

意外と「授かって結婚した」タイプの人が多いこの世で、授からなかったからと、お別れしてしまうケースも多い。子は鎹(かすがい)とはまさしくこのことで、子がいなければとっくに離婚していると言いたい夫婦も多いのではないだろうか。

そして私はというと、生涯寄り添って生きられる伴侶も見つけられなかったし、授かることもなかった。子が欲しいからと危険を犯すこともしなかった。子供を育てる自信がないからだ。

子供を授かって、遺棄する・殺すニュースは年に数回見る。例えばそれが強姦によるものだとしたら、強姦した男を逮捕・死刑にすべきだ。「父親がいない将来に不安を感じた」「男性側に相談できなかった」場合は、男にも何かしら重め(懲役10年以上)の刑を下すべきだ。あまりに無責任だ。

子作りは「子供を育て切る自信」がない限りしないほうがいいと思っている。自分の子供が歯並びが悪かったら?ワキガだったら?ひどい癖毛だったら?留学できなかったら?大学に行かせる学費がなかったら?病気になってしまった時に満足いく治療費が出せなかったら?子供に苦しい人生を歩ませることを、強いることになるのだ。

今話題のLGBTQや、肌の色、人種など、そもそも差別を受けるべきではない事柄のことでは周りのサポートで如何様にもなるが、私自身が美女でもなく、過去は太っていたこともあり、その時の容姿や学歴に対する蔑視を受けているからこそ、このように思う。

歯並びの悪い人の前で「あの人歯並び悪いよね、魅力半減」という会話がされることはない。「歯が黄色いよね、口も臭いし」と言われない。気付けないまま、関わってくれる人は減っていく。癖毛がすごくて、好きな髪型にできない。美容院に行けばある程度きちんとしてもらえるが、美容院に行くお金がない(女性の場合、癖毛だと最低8000円は出さないと、綺麗な髪型になりません)から、いつも一本に結んでダサい感じになってしまう。あの子癖毛やばいよね、爆発したみたいと影で言われる。言わなくても、思われる。ワキガもヒソヒソと「あの子って…」と言われている。手術、矯正、美容院で直せるものを、放置していると、人生がどんどん悪い方向に向かう。
小中高と真面目に、成績も悪くなかったのに、女の子だからと大学に行けなくて、小さい地元企業で年収400万円の女性がいる一方で、大学に行った成績の悪いあの子は、親の口利きで企業に入って年収800万。実際に私が見てきた社会はこうだった。容姿が良くなかった中学生の私は、可愛いカースト上層同級生に無視されたし、綺麗な女の子は男の子にモテはやされ、私は無視され、30歳を超えると出費が増えた。しかし勉強ができなかったけど、親に無理やり借りさせられた借金(奨学金)でいわゆるFランの大学に行き、大学推薦で入れた営業職に就いた。ブラック(8時出勤・1時帰宅・週休みなしか1)で低年収な時代を耐え抜いたが、10年目に入る頃には、いつの間にか年収は平均の倍以上。ボーナスは100万以上貰っていた。額面で。だが、それ以上に浪費した。精神に限界がきていて、精神障害を患い、そのため浪費が激しく貯金はゼロでカードの支払いに追われていた。結局働くことが無意味に思えてやめた。幼少期の色々なストレスの積み重なりが、結局私を、孤独で虚しい無職独身40歳実家暮らし女性に形成した。

自分の力でいくらでもどうにでもなると言うのは、メディアにでてる一部の成功できた人で、圧倒的にそうでない人のほうが多い。そして誰一人私じゃない。私は私でしかない。私はそうだったので、そんなことないことはないのだ。何歳からでもやり直せることはない。何歳からでもやり直せたほんの数人の言葉だ。有り得ないから映画なのだ。ドラマなのだ。

子供を産まなかったことは、私にとっては大正解だ。こんな女が人一人の命と人生を背負えるわけながない。生涯子供に少ないストレスで育ててあげられる自信がない。この点については、非常にいい選択をしたと思う。不幸な人間を増やさなかった。素晴らしいと思う。私の遺伝子など根絶やしでいい。この世に生きた証など何一ついらない。燃えて灰になるか、そのまま森ででものたれ死んで、森林の肥やしになる方が世のためだ。

人様(子供)に迷惑をかけるような母親になりたくないから、産まない。
子供は他人だ。別の人格なのだ。自分から出てこようと、自分ではない。他の存在。そんな他の存在に、迷惑をかけたくない。

なんて正しい選択なのだろう。
どう考えても間違っていない。




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