非言語コミュニケーション

私はこれまで
司会という仕事を通して、いかに言語化するか?
言葉にしてなんぼ!の世界で生きてきた。

“言葉にすること”へのこだわりを持っていた。
他人にも無意識に求めていたように思う。

言葉が欲しい!
言葉で示してほしい!

「言葉=愛」

そう紐付けていたから
他者からの愛を、言葉で推し量っていた。

けれども、「言葉にしなきゃ伝わらない」は
私の思い込みだった。

言葉にしなくても、伝わることを体験したから。

私たちは、日頃から相手が発する非言語なものを無数にキャッチしている。

声のトーン
まなざし
表情
醸し出す空気

非言語にこそ、“本当”が満ち溢れている。

コミュニケーションは、言葉ありきではない。

とても言い表せない
言葉が及ばない領域

時に、言葉さえいらない。そんな次元がある。

ただ、感じ合う
ただ、つながる
ただ、ありのままを見つめる


究極、言葉はいらない。


言葉の果てに行き着いてしまった…

「言葉がすべて」「言葉こそ正義」

そんな偏った執着がゴソッと外れて
言葉との程よい距離感を見つけられた気がする。

言葉にした途端、少なくとも自我が入る。
内に秘めたものこそ尊い。

敢えて“言わないこと”にも意味があるのだ。

だからと言って、明日から話すのをやめます!
というわけではないのですが…(笑)

無の完全
何も持たない充足感

それが実感できると
言葉にすがらなくとも
相手を感じきることに専念できる。

言葉以上の何かが聴こえてくる。

言葉への執着を捨てたら、「何もしなくても、私が私でいるだけでいい」

そんな境地に辿り着いた。

だからもう、不足感から言葉を探したり
借り物の言葉で取り繕わなくてもいいんだ。

私は、かぎりなく透明でありたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?