「チームのサポート」を優先。優しい人柄と”与える”姿勢はどう育つ?/東大卒エンジニア柴田一樹さん
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「チームのサポート」を優先。優しい人柄と”与える”姿勢はどう育つ?/東大卒エンジニア柴田一樹さん

「この人はどうやって育ってきたのだろう」と思う相手とその養育者にインタビューを行う”育ち方プロジェクト”。今回インタビューしたのは福富の大学時代の同期、柴田一樹さん。柴田さんは福富の大学時代の卓球サークル同期。自分が強くなることよりも他のメンバーが楽しめる環境を作ることに力を入れ、部長としてチームをうまくまとめていた。他者への優しさや思いやりのある人柄は、どのように育まれたのだろうか。

柴田一樹(しばた・かずき)
VISITS Technologies株式会社 プロダクトDiv.エンジニア
東京大学工学部、同修士課程を経てグリー株式会社に就職。エンジニアとして新規ゲームの開発や既存ゲームの運営に携わるが、ユーザーの時間を消費するだけのスマホゲームの在り方に疑問を感じ「人々の創造性を強化する」ことを掲げるVISITS Technologies株式会社へ転職。イノベーション創発に必要とされるデザイン思考プロセス(共感・問題定義・アイデア創造・プロトタイプ・テスト)を自ら高速で回し事業を創造していく力を測定するための「デザイン思考テスト」の開発を行なっている。

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「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われたけれど


ーイベントの仕切りや飲み会の準備など、サークルのみんなが嫌がるような面倒くさい仕事に率先して取り組んでいた柴田さん。未経験の相手に対しても真剣にプレーの相手をし、チーム全員の満足度を高める環境作りに力を入れていました。どうして自分が強くなることより周りを引き立てることを優先していたのでしょうか?

自分が強くなりたい気持ちもありましたが、そこに割ける時間には限界がある。それよりも他のメンバーが上手になれるようサポートしてチーム全体の能力を底上げする方が、自分の能力を最大限に活かせると思いました。当時はそこまで言語化して意識していたわけではありませんでしたが。

ーなかなか上手になれずに辞めてしまう卓球初心者は少なくありませんでした。ところが柴田さんが部長をしていた世代は離脱率をかなり低く抑えられていました。

せっかくサークルに入ったからには、みんなが「楽しいな」「居心地がいいな」と思えるようにしたいと思っていました。そういえば小学校時代から周りにうまく馴染めない子と積極的に遊んでいたような気がします。疎外されたら嫌だろうなと思って。

ー私は4歳と2歳の子どもを育てているのですが、兄弟同士の喧嘩がとても気になっています。子どもはいつでも自分優先なので、些細なことで相手に嫉妬して攻撃したり奪ったり…。奪うのでなく「与える」にどのように切り替わるのかが知りたいです。

なるほど。ただ、前提として、必ずしも他人を思いやるのが正しいとは限らないと思います。ホリエモンやスティーブ・ジョブズなど、自分の欲を満たすためだけに生きているように見える人たちが誰よりもイノベーティブなこともある。とはいえ、僕は自分の欲を追求するよりは周りの力を底上げすることに興味があります。そういう風になったのは、多分僕に妹がいたからだと思います。便宜上「下」という言葉を使いますけど「自分より下の子たちにやりたいことをさせてあげるべきだ」という、自分なりの正義感みたいな価値観が育ちましたから。

ーどうしてそう思うようになったのですか?

最初からそうだったわけではありません。小学生の頃は、3歳差の妹とは喧嘩ばかりしていました。口では勝てなかったので僕は妹にすぐ手を上げ、その度に両親からこっぴどく叱られていました。「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」って。父親にはよくぶん殴られていましたね〜(笑)。

ー「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われて鬱憤はたまりませんでしたか?

もちろん反感はありましたよ。それを言われたくないがために我慢していたようなものです。でも、中学生になったタイミングで妹に手を上げなくなり、それ以来両親からそう言われることもなくなりました。なんとなく子ども時代から卒業したみたいな感覚があって。妹を優先するのは当たり前で「そういうものだ」という、自分なりの正義感というか、生きる方針みたいなものがなんとなく定まったタイミングだったようにも思います。

ー長男/長女であるという理由で我慢を強いられた結果、考え方や人柄に歪みが生じることもあるように思います。柴田さんがそうならなかったのはなぜでしょうか。

我慢以外の成功体験もたくさんあったからじゃないでしょうか。たとえば中学受験の成功とか。自分が行きたいと思った中学に行けたので、他のことはそんなに気にならなかった。勉強自体も楽しくて好きでしたしね。

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中学受験をしたのはなりゆき


ー中学受験をされたのですね。それは柴田さん本人の意志ですか?

そうです。両親は全くそんな感じではなかったです。小学4年生の時に仲良くしていた友達が塾に行っていたので、僕も行きたくなったんです。行ってみたら勉強が楽しくて。得点を取るゲームみたいな感じで満点だと達成感もあった。今思えばしょうもないですけど、いい成績を取る優越感みたいなものもありました。で、塾に行っていると学校見学会があったり文化祭に参加したりする機会があって、神奈川にある中高一貫校(浅野中学校)に行きたいと思うようになりました。雰囲気が好きだったのと、塾の先生の出身校だったことも後押しになりました。

ー受験勉強では我慢しなければならないこともあったのでは?

勉強は我慢ではなかったですね。楽しかったし。それに塾は毎日じゃなかったので、塾のない日は毎日外遊びしていました。で、21時か22時には寝ていました。

ー毎日塾ではなかったのですか!? 現在の感覚だと、お受験組は毎日塾に通う印象があります。

週3日でしたね。当時はこれが普通だったと思いますよ。

ーそうだったのですね…。ちなみに幼稚園や小学校低学年の頃はどんな風に過ごしていたのですか?

うーん、幼稚園時代はよく覚えていないですけど、多分遊んでいるだけだった。小学校低学年の頃も遊んで暮らしていましたね。校庭や家の近くの公園でサッカーボールを蹴ったり缶蹴りしたり。外で遊んでいるだけで楽しかった。

ー習い事などはしていましたか。

たしか親の勧めで英会話と水泳をしていました。ただし英会話はただ遊んでいるだけで全く身にならなかったし、知らない人たちと遊んでも楽しくなくて。強烈に覚えているのは、虎のカードを見せられて英語で何というか聞かれて、他の子は答えられたのに僕は答えられなかった。それが最悪の失敗体験として心に残りました。小学3年生から通い始めて、結局6年生で辞めましたね。水泳も同じ時期に始めて5年生くらいまで通ったかな。一通り泳げるようになったので、それ以上続ける理由もなくて辞めました。

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親から勉強を強制されたことはなかった


ーご両親はどのような方でしたか?

基本的に僕の好きなようにさせてくれる両親でした。強制されて勉強したことは一度もないですね。父親はバスケットボールをしていた人で、アメフトも大好きで僕にもアメフト選手になって欲しかったみたいです(笑)。強い人間になってほしいって。父は頑固で正義感が強い一方で、ひょうきんなところもあるタイプ。独自の正義感に突き動かされて行動するので、周りは迷惑することもありますが…。

ーお母様はどのような方だったのでしょうか。

母親は僕のやりたいことをサポートしてくれる人でした。何かをしろと言われたことはないですね。「宿題しなさい」くらいは言われましたけど。あと、母親は同居していた父方の祖母の介護を10年以上していました。交通事故で半身不随になり寝たきりだったのですが、まるで実の母親に接するかのように優しく丁寧にお世話をしている優しい姿をよく覚えています。もしかしたら僕が周りに優しくできるのは母親の姿を見ていたからかもしれません。それか遺伝(笑)。母は専業主婦でしたが、介護で大変なのにもかかわらず家事も手を抜かず、僕たち子どもへも気持ちをきちんと向けてくれていて、ホントよくやっていたなって思います。とても僕にはできない。

ー優しいお母様の姿勢が柴田さんの人柄に影響を与えているのかもしれませんね。では、ご両親が厳しかったのは妹さんに暴力を振るった時だけだったということでしょうか。

うーん、他には食事の時間を守りなさいとよく言われていました。「ゲームをやめてご飯を食べなさい!」とよく怒られました。「嫌だ!食べない!」ってよく言い返していましたけど。そしたら「じゃあ食べないのね〜」って、それだけでしたね。あと厳しかったと言えば、一度庭にガムを吐き捨てたことがあって、その時は父親にこっぴどく怒られて、それから数年間はガム禁止で辛かった…。

ー(笑)。お話を聞く限り、最低限の礼儀やマナーについては厳しく、それ以外は基本的に自由な感じだったのですね。

そうですね。基本、自由でしたね。東大を受験したのも僕の意志です。とりあえず自分が達成できそうなゴールとして東大を受験しました。数学が得意だったのと、社会の役に立てそうなことは何かなと考えた時に工学系が合っているように思ったので、理科一類を受験。ちなみに中2から高1まで卓球部の仲間からイジメを受けていたので、そいつらを見返してやりたい気持ちもありました。

ー部活内の仲間からイジメを受けていたのですか…。

まあ、高2で和解はしたんですけどね。卓球は好きだったので部活は続けることができました。実力でリーグ分けされていて、強い方に入れていたこともあります。でも、いじめられた経験があるからこそ人に優しくしようと思うのかもしれません。

ーちなみに、東大に合格した時、ご両親はどのような反応でしたか? ご親族に東大出身者はいたのでしょうか。

さすがに両親は喜びましたね。親戚に言って回っていたみたい(笑)。親族には特にいないですね。父の従兄弟で東大の院に行った人はいましたが。

ー現在は独身ということですが、もし子育てをするとしたらどんな風にしたいと考えていますか?

自由に育てられてきたので、自分も子どものやりたいことをさせたいですね。本人が勉強に興味があれば東大という選択肢があってもいいかもしれないですが、その時代に東大が良い大学かはわかりません。もしかしたら海外の大学に行った方がいいかもしれないですね。

インタビュー/福富彩子、村上杏菜 
執筆/村上杏菜
文字起こし協力/川合香名子いまいゆきよ
写真レタッチ協力/西原朱里


◆柴田さんの「育ち方」ポイント◆
・妹との関係の中で自分より弱い存在を守ったり引き立てたりする気持ちが育った
・友達がきっかけで塾に行くように。勉強自体が楽しかったうえ、外遊びもしていたのでストレスはなかった
・いじめを受けた経験が、他者への優しさを育んだ。また「見返したい」という思いが勉強するモチベーションにも

◆取材しての感想◆

福富
この育ち方プロジェクトを始めるにあたり、最初にインタビューさせていただいたのが柴田さんでした。大学在学中の柴田さんを形容すると、不器用だけれど誠実で実直。困っているメンバーを率先してサポートし、サークルリーダーの雑務的仕事も手を抜かず、同期だけでなく、先輩、後輩からも信頼されていました。
取材当時、我が子の兄弟げんかに悩んでいて、思いやりの気持ちを育むヒントを得られるのではないかと思っていました。
柴田さんとは卒業後も定期的に交流を続けていましたが、改めて幼少期からのお話をお聞きしいろいろな気づきがありました。特に、中学生になるまで妹さんに手を上げていたというエピソードはとても意外でした。
我慢以外の成功体験を積み重ねたこと、お母様のご家族への関わり方が影響しているであろうこともわかり、我が子への関わり方に活かしたいと思いました。

村上
家族との関係性の中で「優しさ」を身につけていった人なのだなと思いました。「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」とご両親に言われて育ったことや、英会話スクールで傷ついたことや、中高の部活の仲間からイジメを受けたことなど、はたから見ると心が折れたりひねくれたりしてしまっても不思議ではない経験を、全て良い面での人格形成の糧にされている点が印象的でした。それができたのは、ご両親の「自由にさせる」という方針、つまり子どもを信じて任せるという姿勢があったからこそなのかなと感じました。

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東大合格が人生のゴールではつまらない
東大卒業生を中心に「気になる人」の育ち方を聞くプロジェクト。対象は【我が子がこんな人に育ったら素敵だな】と思える人。本人とその養育者に、子ども時代・子育て時代の話をインタビューし、記事として発信していきます。たまにイベントも開催します。