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残念しっぱい雑記『ビビりまくり!?カンボジア怖い』

今から20年前。大学2年の夏。
私は、怖くて怖くて仕方がなかった。

比喩ではなく、本当に実家のベットにくるまって怯えていたのだ。

「なんで、こんなエアチケットを取ってしまったのか?」
そんな後悔に苛まれていた。

2001年9月12日、名古屋空港発マレーシア経由カンボジア行きのエアチケットを取ってしまったからだ。

前年の夏は長野でハクサイ畑で働いた後に、大学の学生ツアーでインド・ネパールを巡った。アジア経験はあったが、今度は初の海外一人旅。

今ではすっかり大御所となった有吉弘行が、まだ猿岩石と呼ばれていた頃。電波少年という番組で、ユーラシア大陸横断ヒッチハイクをして大ブレークしていた。

一発屋のお笑い芸人でもユーラシア大陸横断ができたのだ。その影響もあってか、学生の間ではアジアのバックパッカーがブームだった。

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その上、浅野忠信主演の『地雷を踏んだらサヨウナラ』を、映画館で見てしまっていた。報道カメラマン志望だった私にとって、めちゃくちゃカッコよく映る。

今見ると、内容はどうといったことはないストーリー。しかし、テーマソングがカッコ良かったのだ。完全にミーハー。感化された。

そんな軟派な理由でカンボジアに興味を持ち、勢いでカンボジア行きのエアチケットを購入していた。一応、報道カメラマン志望だった自分にとって、カンボジアは戦争に最も近いイメージの国。報道カメラマンへの最初の一歩のつもりだった。

しかし、そこからが地獄だった。
カンボジアへ行くのが怖くて怖くて仕方がないのである。

『地球の歩き方』を、お金がなかったのでブックオフで手に入れた。100円で購入したのは、`96年版だった。そこには、川の対岸からポルポト派の銃撃があることがある、と書いてある。

銃撃だ。殺される。怖すぎる。

噂だと、東南アジアで行方不明になった人が、手足を切られてダルマ人間にされてしまうこともあるらしい。そんな都市伝説に惑わされる。
もう、怖すぎておしっこをちびりそうだった。

まだスマホもなければ、インターネットも使っていなかった。(当時の私は、メールアドレスも持っていなかった。)もし私が行方不明になったら、それが家族と会えるのも最後だろう。そんな風に考えて、思い悩んでドツボにはまる。

出発日が近づくにつれて、恐怖は大きくなっていく。旅の準備は全く進めていなかった。

出発の前夜、観念してバックパックに荷物を積め始める。大騒ぎして親にも手伝わさせる。だからテレビも付けず、家族総出で荷物のパッキングをしていた。

その日が9.11。その晩、アメリカ同時多発テロ事件が起きていた。

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出発日の朝。親に叩き起こされる。
「世界が大変なことになっている!!」と。テレビで見る9.11は恐怖というより、意味不明だった。まるで、映画を見ているような気持ち。

そして考えるのが、飛行機は飛ぶのだろうか?

学生にとっては安くないエアチケット。捨てるには忍びない。とりあえず、親の車で名古屋空港まで行ってみることになった。

心の中では「もしかしたら飛行機が飛ばなくてカンボジアへに行けないかもしれない。。。」そんな風に思う。

正直に言おう。残念という気持ちよりも「カンボジアへ行かなくてもいいかもしれない。。。」
そんな安堵の気持ちの方が強かった。


きっと、チケットも払い戻しされるだろう。そんな淡い期待を胸に、名古屋空港に向かうのだった。

しかし、飛行機は飛んでいた。
9.11発生からまだ24時間経っていない。世界で何が起こっているのか、まだよく分かっていない状態。それもまず、イスラム国であるマレーシアへ行くのだ。

もう怖すぎである。

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しかし、怖かったのはそこまでだった。

旅先ではいろいろな人に出会う。バックパッカーブームということもあり、たくさんの日本人。そして綺麗な女性の方が、一人旅や地雷原でボランティアをしていた。かっこ良かった。

「僕は何をそこまで怖がっていたのだろう?」

旅に出てしまえば、恐怖なんて吹っ飛んだ。
ちょっとした一歩で価値観は変わる。

巨大な入道雲の下、頭の中では『地雷を踏んだらサヨウナラ』のテーマソングが流れていた。

つづく

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