残念しっぱい雑記『モノがよく壊れるから、カンボジアへ舞い戻った』
以前、『モノをよく失くす』という記事を書いたが、失くすだけではない。
モノがよく壊れる。
アルバイトでお金を貯めて、初めて買ったパソコンiBook(グラファイト)は購入から1ヶ月後に壊れた。ちょうど、初期不良かどうか判断が難しいタイミング。結局、壊れたまま放置された。
カンボジアへ来てからも、仕事用のパソコンMacBookProはよく壊れる。馴染みの修理屋もできた。すっかり顔も覚えられている。
そして、スマホもよく壊れる。
一個前の機種のXiaomi mi10も半年と持たなかった。『壊れる』と『失くす』を交互に繰り返す。二個前の機種iPhone6は、カメラが壊れて真っ黒しか映らなくなったその日の晩に、プノンペンの川沿いでひったくられた。だから、盗まれた悔しさはあまりない。
ついでに、ドローンもよく壊れる。一度飛ばすと、必ず壊れる。今まで何度修理屋へ持っていっただろうか。空中で壊れなかっただけ、マシだと思うようにしている。
つまり、電子機器は本当によく壊れるのだ。
自分の身体から、何か特殊な電波放出されているのだろうか?
そんなことも真剣に考えた。
モノを大事にしないから壊れるとのご指摘もあるだろう。しかし、あまりにモノがよく壊れるので、モノはすぐ壊れるモノだと思い込んでいる。だから、すぐモノを壊してしまうのかもしれない。
壊れるからモノを大事にしないのか、モノを大事にしないから壊れるのか?
とりあえず、壊れまくるのだ。
2001年9月。大学2年の夏、私はビビりながらカンボジアで一人旅をしていた。報道カメラマンへ憧れて、荷物はバックパックひとつと一眼レフのフィルムカメラだけだった。
当時はデジカメではなく、フィルムカメラ。無限に撮影できるわけではないので、慎重に被写体を選んで撮影した。そして撮った写真も後日、暗室に入って現像をするまで確認できない。
実際、途中でフィルムがなくなって、現地でフィルムを購入した。しかし、感光していて撮れていないこともあった。そんな時代だ。
カンボジアへ着き、首都のプノンペンでは、キリングフィールドやトゥールスレイン強制収容所に戦慄を覚える。そして思春期らしく、物乞いや貧困についても深く考えさせられた。
自分の価値観を大きく揺さぶる程、大きな衝撃とショック。カメラを向けるのを憚れるほど、陰惨な歴史を目の当たりにしたのだ。
そんなプノンペンから、高速ボートでトンレサップ湖を駆け上がる。対岸からポルポト派の襲撃にも遭わず、無事にアンコールワットの街・シェムリアップへ入った。
シェムリアップでは、一週間を掛けてアンコールワット遺跡群を見て回ることにした。そこで、原付バイクのドライバーとしてガイドしてくれることになったのが、私と同じ歳のソティーだ。
ソティーはカタコトながら、英語はもちろん日本語が話せた。毎朝6:00から日本語教室で勉強してから、だらだら寝ている私を迎え来る。
田舎で牛飼いから始まり、近所の子どもたちに勉強を教える先生になり、そしてシクロを買いドライバーをして、そのシクロを売ってバイクを購入したらしい。英語や日本語を勉強して、ガイドとしてより良い稼ぎを目指していた。
そんな勤勉で真面目なソティの夢は、いつか日本で働くことだった。
そんな彼の夢を聞いた時、疑問に思った。果たして彼のようなカンボジア人が日本へ来て幸せになれるのだろうか。せっかく、カンボジアでは優秀なソティ。彼のようなカンボジア人を、日本の社会は優しく受け入れないだろう。
同い年ながら、ソティを尊敬した。
チャンスは平等ではないような気がした。
単に日本に生まれただけで、ふらふら好き勝手バックパッカーをやっている自分。
恥ずかしく思えた。
ソティーやカンボジアの同世代の若者から、貧乏ながらも誇りみたいなものを感じたからだ。
ふと、10年後のカンボジアだったら住みたいと思えた。日本に行かなくても、幸せを掴むカンボジア人が増える気がしたのだ。
そんなこんなで、仲良くなったソティと一緒にアンコール遺跡群を回る。私のリクエストで、アンコールワットは最終日に残しておいた。
しかし、最終日前日。カメラのシャッターが押せなくなる。カメラが壊れたのだ。砂埃が入ったのかもしれない。電池式のカメラだったので、電気系統がショートすると手の打ちようがなかった。
アンコールワットだけを残して、写真が撮ることができなくなったのだ。
肝心な時にモノが壊れる。悔しくて仕方がなかった。
だから、アンコールワットには入らないことにした。
入ってしまったら、写真を取らずに満足してしまいそうだ。そうしたら、もう二度とカンボジアへこない気がした。
心残りだったアンコールワットの内部に入るのは、それから10年の歳月が過ぎる。
戦慄を覚えたあのトゥールスレイン強制収容所の目の前に、住むことになるとは思ってもいなかった。
あの時、カメラが壊れていなければ、カンボジアはここまで気がかりな国になっていなかった。モノが壊れるということは、何かとの出会いの始まりかもしれない。
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