9.11から20年、初めてのカンボジアからも20年。
9月11日。アメリカの同時多発テロから20年。
11日晩は、テレビを付けることがなく、あの衝撃的な映像を見たのは次の日の朝だった。その事件が何なのか、わからないまま、空港へ向かう。
そして、私は飛行機に乗り、カンボジアへ向かった。
そう。
私にとって、初めてのカンボジアからも、20年が経とうとしている。
バックパッカーをしながら、出会う日本人の旅人に「世界で何が起きているのか?」を、聞かれながら旅をした。
まだ、スマホもなければ、インターネットもさほど普及していない時代。旅の最中に、あのような事件が起きたら何が起きたのか理解し難いだろう。まさにパニックだ。
辛うじて読めそうな、中国語の新聞を読もうとしたのを覚えている。
私は、あの事件を生で見たわけでもない。それに、アメリカにいたわけでもない。しかし、世界を震撼させたあの事件を、アジアを旅しながらその反応を感じられたのは特殊な経験だったのかもしれない。
実際、カンボジアでもその話題で持ちきりだった。そしてその反応は、他の国と同じく、戸惑いだった。
ところで、なぜ私はカンボジアを人生初の海外一人旅の国に選んだのか。
いくつか理由はあるが、ジャーナリストに憧れていた私は、戦争の匂い残る国を選んだつもりだった。
ところが皮肉なことに、私の旅の出発の前日、世界は大きく変わる。
二週間程度のカンボジアの旅が終わる頃には、米軍によるアフガニスタンへの攻撃は既定路線へとなっていた。そんな新聞記事を、帰りのトランジットの空港で見た際には、『世界平和』の脆さを感じた。
9.11から20年。
アフガニスタン戦争が起きて、中東は混乱へと突入する。そして、アメリカ軍が撤退して、先月からタリバン政権が復権した。
まさに、この20年は何だったのだろうか?
そして、身近だったミャンマー。
ミャンマーも本格的に内戦状態になってきたようだ。
知っている風景が『戦争』的なものになっていくことが、少し脳がついていけていない。
戦争って、本当に起こるんだろうか?
そんな、感覚だ。
混迷する世界。日常だと思っていたものが、非日常になっていくことには『戸惑い』しかない。
自分の力も影響力も、ミジンコのように小さいということはわかっている。
しかしながら、何かできないか、もだえる。
少しでも良い未来を作っていけないか、真剣に『考え』てみる。
20年前、戦争に近い臭いを知りたくて、初めてカンボジアへ来た。
そして、そんなカンボジアへ住み出して、来年で10年目だ。
充分な時間は貰った。これからは、少しでもその『考え』を、カタチにしていきたい。
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