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「父を超える」その想いの裏に隠された、愛で溢れる循環社会 と 自己実現の可能性 を創る覚悟

「小学校4年生の時は、考古学者になりたかったんだよね笑」

そう笑うのは、Social Class のメンバー・清洲 青空(通称:そら)。早稲田大学・国際教養学部の2年生の彼は、普段おちゃらけているような存在。でも自分の人生経験からの紐づきがしっかりしていて、自分の意見をはっきり言う。そして、人の心の中に入っていくのが本当にうまい。

 

にしても、『なぜ考古学者!?』
小学4年生の夢として受け入れるには、あまりにも私の見てきた世界から程遠かったので、面白いように彼の話に引き込まれて行った。果たして、考古学者になりたかった理由とは?


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第2回目となるメンバーインタビューでは、そんなそらの生い立ちから、なぜ考古学者になりたかったのか、そして果敢に色々な機会に挑戦してきた彼だからこそ描く世界観に迫ります。



|入学と同時に寮へ。マレーシアとの出合い


––– まず初めに、現在そらが大学でやっていることを教えてください。

そら:今は、寮でRAをしています。RAを始めた理由? 単純に寮での学びが多くて、恩返ししたいなって思ったからですかね。寮には、去年の春、大学に入学した4月から入ってます。中2〜中3の時に東京に引っ越してきたから実家は今、東京。でも、生まれも育ちも千葉だから、幼馴染はみんな千葉にいるんですよね。


––– あ、地方出身じゃなかったんですね! でも、なぜわざわざ寮に…?

そら:もう生まれてから18年、同じ人たちと生活してきたから、そろそろ違う人たちと住んでみたかったんですよね(笑)


––– なるほど (笑) 私は地方出身だからよく寮生と入寮理由を話すことは多かったけれど、その理由を聞いたのは初めてでした (笑 )

そら:それに、今入っているのは国際寮だから、教育的な意味でも色々な人がいたり、色々なプログラムがあったり。面白そうだったんですよね。実際に入ってみて、使えるものはどんどん使っています。寮の研修プログラムでは大学が出資してくれるので、無料で海外の研修に行ってきたり、ひたすらお茶が飲みたくてお茶のプログラムに参加してみたり…。今は流石にコロナでできないんですけどね (笑)

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––– 無料で研修はすごい! お茶が飲みたい、は笑いました (笑) たくさんプログラムを経験した中で、一番面白かったのは?

そら:一概には言えないんですけど、マレーシアでのプログラムは結構面白かったです。現地研修として、マレーシアの学生相手に日本車のイメージ調査をしたんです。その上で、TOYOTAが今後どういう風な戦略を取ればマレーシアで軌道に乗るか、最終日に社員さんたちの前で発表したんです。本当に日程が詰め詰めで、2-3日リサーチをして、4日目に発表をして、5日目に観光、みたいな。

面白いなって思った理由は、4人ぐらいのグループで活動したんですけれど、何もない中で自分たちで仮説を立てながら自由に動けたから。どこに行ってもいい。何をしてもいい。その中で3日間、みんなで徹夜をしながら最終的に1つのものを作り上げて行ったんです。あれは楽しかった。

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それに、マレーシアという国自体も面白くて。宗教の共存がすごい中で「違うのが当たり前」という空間が広がっていたから、

本当の意味での多様性って「なんとかを認めよう」みたいなフェーズを乗り越えて、ダイバーシティという言葉自体がなくなったような状態なんだな

というのを体感したんですよね。まあ、あとは普通に飯がうまかった。(笑)



|「考古学者になりたい」小5で早稲田に決めていた。


––– すごく寮内のプログラムが充実しているような早稲田大学ですが、入学の決めては…?

そら:小5ですでに、「早稲田にいきたい」って漠然と思っていました。


––– 早い !?

そら:というのも、最初に早稲田大学に出合ったのが小学5年の時。実は、小4の時からの夢が「考古学者になりたい」だったんです。きっかけは、ドラえもんの漫画。エジプトのピラミッドが出てきた時に、「でけえじゃん」って。そこからピラミッドやアドベンチャーに興味が出始めて、1年に1回行くと決まっていた家族旅行で、ある年にエジプト行きに決めたんです。

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実際に見に行って、デカかった。あれは全員一度見に行ったほうがいい (笑) 

今でも肌が覚えていますもん(笑)  4000年のスケールって考えられないじゃないですか。そんなデカいものを目の前にして、なんだか昔の人たちと対話できているような感覚でした。そこからずっとピラミッドとかの関心は続いていて、色々なイベントや研究発表に行っていて。その中で、早稲田大学の考古学研究所が世界的にも有名で、そこに入りたいと思ったんです。

中でも、吉村作治さんという有名な教授がいて。サインをもらったり、講演を聞きまくったり。あの時はハマっていたから、TVで映っていたら録画して観たり…なんでもしていましたね (笑)


––– 小学生ながらそこまで追求する姿勢…すごいですね。

そら:元々、家族旅行に行く時には、決まった行き先について調べるのがルールだったんです。だから、調べて面白くて、行った時の大きさが圧巻で。そんな経験があったのは大きいと思います。

あとは、父と母の存在
母は手話通訳士なんですが、今は日本語学校の先生をやっているんです。母はずっと海外に住みたいって言っていて。そしたら、「手段を選ぶなら日本語教師じゃね?」と (笑) 高校3年の終わりくらいに突然「勉強するわ」って勉強し始めて、最近は仕事にしているんですよ。自分の好きなことを仕事にした人なんですよね。

そして、父。ごく一般の会社員なんですが、すごい素敵なのが 自分の子どもたち含めて、子どもが大好き。そして、全力で子どものやりたいことを応援してくれる人なんです。僕が小学生の時、父の好きなラグビーから野球へと転向したいって言ったんですが、その時も朝5時に起きて朝練に付き合ってくれたり、中学でバスケを始めた時には土日の練習に付き合ってくれたり、対戦相手の他校の試合を観に行って分析用の動画を撮ってきてくれたり。

妹がダイエットをしたいと行った時にも一緒に走っているんですよ (笑) リモートワークになったら、妹が勉強しているところで一緒に仕事をしているもんだから (笑) でもそのくらい家族が繋がっていて、両親に応援されてきた。だからあんなに夢中になれたのかもしれませんね。

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|1週間授業を欠席。それでも行った孤児院での気づき


––– でも、今は考古学者を目指していないんですよね?転機は?

そら:そうですね、今は教育問題に関心が強いです。

転機は中学生の時。自分で言うのもなんですけど、中学の時は、中学受験をして国立のいい中学校に通っていました。でも、ずっと部活をしていたので、高校受験間近で勉強を始めた時にすごくストレスで。塾でも、成績順であなたは良い悪いって判別されていくのが嫌だったんです。

そんな中で「指定校推薦がある」と聞いて早稲田を受けて受かりました。正直に言うと、その時にはかなり精神的にもつらい時期だったので、それから解放されたのは大きかったです。

中3の正月、周りが最後の受験に向けた特訓をしている中で「周りと違うことがしたい!」と思って、ボランティアを始めたんです。それこそ、最初は三陸とかから。当時はまだ幼くて "他の人を助けている" それだけで気持ちよかったし、お返しに野菜をたくさんもらったりして、嬉しくなって。

ボランティアっていいじゃん!


そう思っていました。その時に、さらに足を伸ばして海外に行ったんです。


––– ボランティアの経験から、海外にいくことになったんですね。行った先はどちらに?

そら:たまたまドキュメンタリーで「学校に行けない」みたいなのを観たタイミングで、中学校を1週間休ませてもらってカンボジアの孤児院ツアーに行ってきたんです。よく行かせてくれたな、って思います。当時の担任の先生に相談したら

「先生としては認められないけれど、個人的にはいい体験だと思うから行ってきな」


って。本当にありがたいなって思います。


––– 周りが機会を応援してくれていた、と。素敵な先生ですね。実際に行ってみてどうでしたか?

そら:よかったです。でも、「生まれた環境によって、人生が左右されてしまう」その現実を目の前にした時、自分は「その現状を変えたい!」と言うよりも、「受け入れられない。やるせない…」という気持ちでした。


––– というのは?

孤児院にいる子どもたちは、自分たちが生き抜くために数カ国語を操っていて、夢を語っている。

「お医者さんになりたい」「先生になりたい」「日本に行ってみたい」

でも、社会では孤児院にいたと言うイメージがレッテルとして機能することもある。実際、当時のカンボジアの中でも就職できないなどの問題はあったみたいです。でも自分は、あの年で英語をペラペラに喋れて、自分の母国語も喋れて、自分の夢を語る彼らに "夢をかなえる潜在能力" を感じたんです。その子たちが日本にいたなら、普通に強いよなって。


––– 確かに。どうしてその子たちは、孤児院で過ごすことになってしまったんでしょうか?

そら:孤児院にきた理由を当時は聞けなかったから、どうして子どもたちがあそこにいたのかはわからないです。でも後々調べてみると、孤児院にいたほうが子どもにとっては機会があるから…って理由で連れてこられる子もいるみたいですね。けれど、あの時は本当に孤児院の場所が都会からは離れていたし、家族が訪れてくる姿もみなかったからどうなんだろう…

でも、これだけは言えるのが、こんなに輝いている子どもたちが生まれた環境によって将来の選択肢が狭まるのは違うってことです。実際、それを解決する手段として「学校を作る!」などもいい手段だなって思いました。みんなに同じように教育水準を提供できれば、子どもたちの見える世界が変わるんだろうなって。


––– なるほど。そこから教育に進んでいったんですね。

そら:教育を受けた子どもたちが社会に出ると、社会の水準も変わっていく。そして、その教育を受けて機会の広がった子どもたちが1人でも多く、政治家とかになったらさらに面白いなって思ったんです。

でも難しいのは、教育って色々な問題が複合的に絡まっているということ。だから、今は教育を変えるための何かをしなければいけなくて。それがなんなのかを自分は知りたくて、今は大学で社会を取り巻く問題にどういった問題があるのかを学んでいます。「ジェンダー」とか「環境」とか。

もちろん「どっかの地域を変えたい!」っていうのがあるなら、地域の中に入ってフィールドワークをしたほうが早いっていうのはわかっているんです。でも自分自身、まだ「絶対これをやる!」という覚悟が決まってない。だからまだ勉強もしていたいな、って思う部分も大きいんです。



|長時間の無給活動で気づいた "お金の廻り" の重要性


––– かなり勉強の方も充実しているみたいですが、大学で実際にボランティアなどは続けているんですか?

そら:してましたね。大学にいる間はなんでもできるなと思っていますし、入学してすぐにインターンをしていたんです。サークルでやるのは難しいなと思っていました。というのも、一時的な活動になってしまうので、本質的なのか?と思ってしまって。

実は、ちょうど大学に入ったタイミングで『Poverty inc.』という映画に出合ったんです。

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身勝手な支援が不都合な善意を押し付け、結果として現地の文化を破壊してしまったり、現地の自立心を阻害してしまったり
するんだ、と知ってから自分の中で支援に対してのハードルが上がりました。『そんな簡単にできることじゃないぞ』って。だから、サークルなどで取り組むなんてできなかった。でも一方で、海外で何かをしたいとなったら住み込みで入らなきゃないのか…?と思うと壁が大きかったんです。

だから、自分がまずできる範囲を考えた時に「日本の貧困・子供の教育」を考えて、LFA(Learning for All)で3〜4ヶ月活動しました。

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––– 実際に活動してみてどうだったんですか?

そら:継続する難しさを感じました。ボランティアのように入ったので、無給だし、「目の前の子どもの人生を変える!」という精神的なプレッシャーを感じてしまって。長く活動し続けていた時に『これ、続けられないかも』って思ったんです。

もちろん生半可な気持ちで入ったわけではなく、NPOって難しいんだろうなとは思っていました。でも実際に入ってみて、その意義ある活動に対してお金が回ってこない社会を変えたいな、意義ある活動をしている団体が正当に評価されて持続性を高められることをしたいなって思ったんです。それで、まずは自分自身で持続的な活動をできるようになりたいと思って社会人に会うことにしました。そうして出会ったのが、ZeroOneで活動している櫻井さんだったんです。


––– そこでZeroOneに出合ったんですね。実際入ってみてどうですか?

そら:今年の4月とか5月頃に入ったんですけど、正直最初は何をしたらいいのか分からなかった (笑) でも、知らないことが多かった一方で、色々な面白い人に出会えたから楽しかったね。最近少しずつ飽きてきたな、というのが正直なところですかね… (笑) 

僕はSocial Classの中でも、Bクラスに所属しています。クラスはA・B・Cの3つ。Cから少しずつ昇格して…って感じなんですけど、CとかBクラスが、一番「本当にやりたいのか試されている期間」だと思っています。それこそ、ソーシャルビジネスって難しい分野だから相当の努力が必要。だからこそ、Social Classではあえて、自分で取りに行くというスタイルをとっている。その中で自分からアクションをしていくのって超えなければいけない壁なんだけど、つらくて。

そもそも自分はリアルで一緒に活動するほうが熱くなりやすいタイプ。なので、オンラインでの活動は難しいところもあります。でも、だからといって全てを避けるわけではなくて。実際、自分は「より幸せな社会を作る」ためにも、それを実現できるくらいスキルを取りにいきたい。それをビジネスゲームなどで体現している仲間の姿をみると『自分もそうなりたいな』と思えて素直にアクションできるようになるんですよね。それがSocial Classのいいところ。

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––– 将来のそらの作りたい世界と、それに向けたビジョンを教えてください。

そら:理念は「愛や幸せが循環して、全ての人が役割を見つけられる社会を作る」、ビジョンは「地域のコミュニケーションを生み出したり、日常的な社会貢献をしたりするカフェ」を作ることですね。

この理念になった理由は、元々、大学の先輩が使っていた言葉が発端です。

「幸せの沸点は低く、愛の温度は高く」


その人、絵日記を毎日書いているような先輩で、もう幸せ度が高すぎて逆に病気 (笑) その人がそういった言葉を使った時に「あ、いいな」って思えたんですよね。実は、その人も寮のRAの方だったんです。

その言葉に共感した時、実は自分が普段生活している中で身近なところに幸せを感じることが多いんだと気づきました。公園で子どもが走り回っているのをみてウキウキしたり、親たちがビールを飲んでいるのをみて面白いなって思ったり。その感覚を表した言葉に出合って「日常から幸せを感じられる状態ってお得じゃん!」って。「周りよりも倍幸せを感じられるなんて最高じゃね?」ってなったんですよね。

でも、そこからすぐに理念には紐づかなかった。
「どうしたら自分の解決したい社会問題とつなげられるんだろう…。」それをずっと考えていました。ただただ時間だけが過ぎていきましたね。


––– それは苦しいですね…人生のゴールが見えないとどこに向かって走ったらいいか分からなくなりますもんね。転機はいつだったんですか?

そら:今年の夏、Social Classのメンバーでエコビレッジを訪問した時に創設者とお話をした時でした。そもそもメンバーが「自分と向き合う時間を創るよ」って言っていて。自分も『自己理念を作る』そう決めて訪問していました。

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そこで出合った言葉が「循環」

「循環することで、物事って進んでいくよね。」


そんな表現があった時に、「あ、循環っていいな」と思ったんです。人が持っている幸せとか愛が循環して行って、うまく周りに広がっていく世界っていいじゃないですか? 

加えて、自分は、夢を追いかけている人たちそれぞれに生まれてきた理由(役割)があるなと思っているんです。それは、一人ひとりが見つけるべきものだし、かなえる方法は1個だけとも限らない。例えば、発展途上国の子どもが「お医者さんになりたい!」となった時。環境として医者になれないから諦めてしまうのか、それとも別の選択肢を自分が知っていて、別の形でやりたいことを実現するのか。僕は、後者のフェーズに持っていけるような環境を作りたいんです。

ビジョンで掲げているカフェ空間自体に僕が詳しいわけではないけれど、自分が好きだったから。それを一つの媒体として大学中は動いて行きたいし、カフェだけが正解じゃないよな、とも思っています。



|結果でしか恩返しはできない。「父を超える」

––– これからSocial Classにいてやりたいこと、そして今後の展望を教えてください。

そら:Social Classにいるうちにカフェの店舗を持ちたいですね。自分のビジョンを実現する手段を持ちたい。

あとは、率直に言うと親を安心させたいです。僕自身、一般企業に勤めることをあまり考えていないから、親からしたら心配だし不安だと思うんです。でも、結果でしか恩返しできないと思っているので。自分の目標であるお父さんを超えていくためにも、僕のお父さんがしてくれたように自分の子どもにも自分のやりたいことを全部させてあげられるような存在になっていきたいです。でもそうなるとある程度経済力は必要だからな…これからしっかりしていきたいなと思っています。

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