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体癖と地域性

ある日、東京・赤羽のソシャフィア体癖院にお越しくださったAさんは、とても明るくよく笑う方でした。
話をしていても面白い方。
会話のテンポがよく、物事を表すときの表現もユニーク。

私の八種ディスにもよく笑っておりましたので「この方は三種だけど八種もあるな。体からの体癖診断をするまでもない。三種八種だろう」と予測したのですが…

診断結果は、八種五種。
私の予測は半分は外れたのでした。

相手の言動から体癖を予測すると、しばしばこういうことが起こります。
言動からだけでは、体癖は見抜きづらい。
コミュニケーションの取り方は、必ずしもその方の体癖だけを反映させているとは限らないのです。

その方のカウンセリングシートを見てみると…
「お住まい:大阪市・都島区」と書いてある。
生まれてからずっと大阪にいらっしゃるようで…

要は、関西人。
ボケとツッコミ国の国民。

そりゃあ、三種っぽく見えてもしょうがないのです。
関東から住まいを動かしたことのない私にとっては、関西の方は文化が違う人種。
私の”関東人フィルター”が、その方を三種に見せてしまっていたわけですね。

そう、人の言動は”地域性”によっても、異なる。

地域は独自の文化圏を形成し、人を育みます。
それぞれの家庭や学校やご近所さんを通して、私たちは育ってきましたね。

地域性とは、「土地柄」であり「地域が持つ性格」。
「その土地に生まれ育った人は、だいたいこういう性格をしているよ」ということですね。

その人のいる環境、あるいは、いた環境が、その人の性格の一部となる。
地域性による影響も、私たちを作っている一つと言えます。

よく「体癖は体で性格が分かる」と言われますが、半分は正解で半分は間違っているのではないかと思います。
性格とは、善悪や感情や損得などの”感受性”そのもののことではないからです。

性格とは、先天的な気質と後天的な影響によって作り出されるもの。
体癖による感受性が先天的なものだと仮定すれば(それも反論の余地のある説ですが)、後天的な影響には、ストローク(過去によって作られた”愛”)と環境によるものがあるように思えます。

体を背骨や骨盤、頭蓋骨レベルでよく調べても、体癖による感受性は分かっても、ストロークや環境による性格への影響は分かりません。
もちろん地域性だって分からない。

地域性は、体癖的に言えば”○種界”ということになりますね。

○種界とは私ソシャフィアが勝手に作った用語で、簡単に言えば”○種っぽい人たちが集まっている環境”のこと。
もちろん例外はありますが、ビジネスの世界はだいたい五種界ですし、ヤンキーの世界はだいたい七種界ですし、サラリーマンの世界はだいたい二種界ですね。

※詳しくは3本ほどnoteを書いております

そこでは人々が共通して持っている文化があり、認識(常識)があり、振る舞いがあり、言葉がある。
みんながみんな、だいたい同じようなノリを持っていて、同じようなコミュニケーションのパターンを持っているわけですね。

ですがそこから一歩出れば、異文化圏。
七種界にどっぷりハマって「実力主義が世の中のすべてだ」と思っている人が二種界にいけば、ちょっと浮いた人になるわけです。

育った地域でも、そういうことが起こる。
三種的な人が多い地域で育って、三種でなくても三種性を身につけた人は、他の地域の人も三種的素養を持っていると無意識のうちに認識しているものです。
ボケればツッコんでくれると思っている人もいて、黙っていたら「なんでツッコまないの?」と言ったり(笑)

日本には様々な地域があり、地域性がありますね。
地域によっては「おぉ、五種的だな」と思わせる地域もあったり、「二種っぽい土地柄だな」と思うようなこともあります。

その地域的○種界によって、その地域で生きやすかったり生きづらかったり。
要は、自分の体癖と地域の○種界が合ったり合わなかったりするわけですね。

そこで今回の『タイヘキストマガジン』では、”体癖と地域性”をテーマにお送りします。

が、地域性にはちょっとしたデリケートな問題がありまして…

「私自身のことを言われるならまだしも、私の生まれ育った地域を悪く言うなんて!」と思う郷土愛に溢れた方もいらっしゃるのです。
ほら、ソシャフィアって割とディスるから(笑)

けれど、小馬鹿にしたり、嫌な気持ちにさせる意図は一切ないことを宣言いたします。
九種的な怨念はちょっぴりあるかもしれないけど(笑)

それでも自分の言葉で書いていきたいので、ディスだと思ったらごめんなさい!!
そんなつもりは一切なく書いております!!!

さらに、「私はその地域に住んでいるけど、そんなことないよ!」という反論もあるかと思います。
誰もが自分の”体癖フィルター”を持っていますから、人それぞれの見方もありますよね。

ですので私も、あくまで自分の体癖フィルターを通した自分の見方で書いていきたいと思います。
客観的に物事を見る一種っ気も少ないし(笑)

今まで、北海道、東北、関東、中部、北陸、近畿、九州、沖縄と、中国地方と四国以外の地方に行って体癖や心理学の仕事をしてきましたから、そこで実際に経験して感じたことを元に記述していきます。
さらに、よく連絡を取り合うタイヘキスト仲間や、心理学を共に学んだ仲間も日本全国におり、中国地方の仲間もいます。
そういった仲間やお世話になった人から聞いた話も入っています。

(が、四国はいない…
行ったこともない…
行ってみたい…

いつか必ず…

っていうか、呼んでください!仕事をください!!)

今回は特に「体癖でこのように生きよう!」という主張は入れず、できるだけライトに書きますので、難しいことは考えず楽しい読み物としてお読みいただけると幸いです。

地域性の中に、地域性がある

…とその前に。

例えば一口に「関西」と言っても、京都と大阪ではかなり地域性が異なっていますよね。
さらに、同じ大阪府でも大阪市と枚方市では大きく違っているでしょう。
さらにさらに、同じ大阪市でも中央区と西成区は違っているでしょうし、同じ中央区でも道頓堀と難波は違っているかもしれない、よく知らんけど。

私の故郷の群馬県でも、県庁のある前橋市と最も栄えている高崎市とでは地域性が全く異なっていて、前橋の方は割と地域の伝統を大切にして「うちが群馬の中心」とプライドの高い一種的な気風があり、高崎の方はそういったことにはあまりこだわらず「外からの人、ウェルカム!」な三種や十種っぽい気風があります。
この2つの市は、めっちゃ仲が悪いのです(笑)

以前住んでいたさいたま市でも、五種七種的な大宮区と一種的な浦和区でこれまた仲が悪い。
昔は別々の市で、政令指定都市になるために市を合併するのも、話が出てから10年くらいかかったらしいですからね。
今でも同じ市なのに、サッカーチームもそれぞれあるのです。

ですので一口に「この地域の地域性は○種界!」とは言えない。
細かく見ていけば見ていくほど複雑になるし、大まかに見れば見るほど輪郭がぼやける。

その一方で、京都なら「ぶぶ漬けでもいかがどす?」の文化が全体としてありそうですし、大阪もボケとツッコミの文化が全体としてありますね。
群馬でも「かかあ天下とからっ風(群馬では女性が強い)」な気風も全体としてあり、さいたまは『翔んで埼玉』という映画でも描かれていたように、全体としてイジられるのが好きな県民性がありますね(笑)

それとは逆に、日本を一つの地域として見るならば、親切で人の目を伺う地域性(国民性)を持っていると言われますね。
サッカーのW杯などが始まれば、京都も大阪もなく、「自分は日本人。我が国のチームを応援しよう」という認識でテレビやネットを見ますから(私はサッカーに興味がないので見ないですけどw)、国としての地域性というものはあるのでしょう。
アメリカ人とか、みんな五種っぽく見えるし(笑)

つまり何が言いたいのかというと、「全体にフォーカスするか?細かいところにフォーカスしていくか?」で地域性というものは変わってくる、ということなのですね。
私の言う「地域性」と、あなたの思っている「地域性」が異なっている可能性があるわけです。

そして完全に余談ですが…
おそらく「全体か?詳細か?」は、体癖によって違っている。
私のような八種に九種がふりかけてあるような人は”詳細”にフォーカスするでしょうし、一種や三種は”全体”にフォーカスするでしょう。

こういった「全体か?詳細か?」のフォーカスの位置を”チャンク・サイズ”と心理学では言いまして、物事の見方を決める重要なファクターだと言われています。
チャンクとは物事の大きさ、グループのこと。

今回の記事は、様々なチャンクを行き来します。
東北や東京などの大きなチャンクもあれば、浜松市や桐生市などの小さなチャンクも出てきます。
八種らしく、先に言い訳(笑)

余談、おしまい。

とにかくこの記事では、「八種九種のソシャフィアが思う地域性」で書いていきますので、どうぞよろしくライドン!

京都は八種的か?一種七種的か?

歴史と伝統の街・京都。
歴史好きにとってはたまらん街で、時間があればたぶん1ヶ月くらいは余裕で見て回れる街。
ラーメンも美味いし。

ある時、タイヘキスト仲間に「京都って四種七種界っぽいよね。外面では相手に気をつかっているようで、心の中でマウントを取ってる」と言ったら、「え?京都は伝統と格式を大切にする一種七種界じゃないですか?」と返ってきました。

そのタイヘキスト仲間は長い間大阪に住んでおり、お仕事の関係で京都の会社には随分とやられた…ではなく、お世話になったようで(笑)、しかもお仕事も伝統に関わることなので、余計に一種七種的に見えたようです。

「おぉなるほど〜平安京の内か外の話もあるしね。一種七種、そうかも」と納得したのですが…

そんな折、京都ご出身のソシャフィア体癖院のお客様は「京都って、八種なんですよ」とおっしゃる。
言葉が婉曲的でわざとらしく、皮肉っぽいところが八種なのだそうです。
七種のようにすぐには殴りかからないし、実は大阪が発展していることへの嫉妬…古都の劣等感がある、と。
それはまさに八種なのだと。

「ほぉ〜京都八種界説!そう言われてみれば、そういう見方もできるな。京都がご出身の方のおっしゃることだし、そうかも」と、一種七種説とで揺れる私。

なおかつ、自分の四種七種界説も捨てがたい。
昔京都で心理学の講座をやっていた時、受講生さんたちがそんな感じだったのも影響しているのかも…

私はこれを勝手に「京都○種界論争」と名づけているのですが(笑)、要は見方が違っている、というだけなのですよね。
感受性(だと思われるもの)を拾えば一種七種的だし、言動を拾えば八種や四種的だし、フォーカスの位置がそれぞれで異なっているわけです。

体癖もあれば、歴史もある。
人はそれぞれの見方で、その環境を評価しますね。

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