食らいつくことも、大事
食らいつくことも、大事。
達人とか、「極める」の世界って
「限りがない」っていうイメージ、ありませんか?
たとえば、お掃除。
きれい、清潔にするということ。
これにも、限りがないと思うんです。
「え、たとえばお部屋のお掃除だったら
きれいになったらそれで終わりじゃないの?」
確かに、一般的には
そう思いますよね。
これ以上どうしろっていうの?
というか。
ただ、たとえば、達人まで行かないにしても
掃除が得意、お好きな方のお話を聞くと
「え、そんなことまでやるの?」
みたいなところまできれいにしている場合があったりします。
掃除そのものだけじゃなくて
ふだんの生活様式から違うというか。
自分におきかえてみると
「とてもじゃないけどやってらんないんじゃないか」
と思うようなくらいにまで。
掃除があんまり得意じゃなかったり
これまでやってもこなかった、という場合はなおさら。
何か話を聞くだけで
腰が引けるというか
尻込みするというか。
ただ、もし自分が
達人とか極めるまでは行かなくても
たとえば掃除だったら
もうちょっとでもきれいにしたいとか
上手になりたいという思いがあるんだったら
食らいつくことも、
大事なんじゃないかなと思うんです。
たとえ、今現在、
「きれい」とはかけ離れていたとしても
一歩でも踏み出せば
一歩、近づいたことになるんだと思うんです。
「きれい」に。
もちろん、
「踏み出さなきゃいけない」
とかいうことは全然なくて。
今のままでいいと思ったら
それでいいんだと思うんです。
ほんとに。
そこは、変にムリするとこじゃなくて
正直な気持ちで。
でも
果たして、それでいいのかを
自分自身に問いかけてみる。
そこで
「いや、このままじゃイヤだ、ほんとは少しでも良くなりたいんだ」
って思うんだったら、
食らいつくことも大事じゃないかなと。
全然、程遠くて、
がんばろうとしてもがんばる気力も出なかったり
みっともないような姿を見せちゃったとしても。
自分なりに、食らいついていく。
もちろんそれは
掃除だけのことじゃなくて
いろんなことに言えるかなと思うんですが
これだ!と思ったら。食らいついていく。
全然、まだまだでも
追いつけなくても
しつこく、粘り強く
これが、大事なんじゃないかなと
思うんです。
※
もちろん、しつこく、粘り強くやることで
どなたかに明らかに不快な思いをさせるとか
迷惑をかけるとかいう場合は、論外です。
これだ、と思ったら
食らいついていくことも、大事。
もし、何かのヒントになりましたら幸いです。
最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。
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