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他人の見られ方に人生をコントロールされる

人権の研修の中で、気になった言葉がありました。

忌避意識のことについての学習だったのですが、「人が他人に対する見られ方に縛られる」「他人の視線を意識する」というものでした。

わたしの実家は、祖父母の代から小さな青果店を営んでいます。

わたしが小学生のときに、近くに大きなスーパーができたことで、お客さんの数はかなり減少しました。

お客さんのほとんどは、スーパーでの買い忘れたものを、近くだからという理由で買い足すため人と昔からのお得意さんです。

当然売り上げは厳しく、母がお店を切り盛りし、父がプロパンガスの販売や宅配、たばこの販売もして、なんとか生活をしています。

今は、故郷に住んでいる人々の年齢層もかなり若くなって、青果店を利用するような人はほとんどいません。

燃料販売がなければ暮らしていくのもやっとの状態となっています。

ある時、私の方から、「もうお店を閉じた方がいいんじゃない。どうせ燃料販売だけの収入なんだから、お店を開けているだけで、光熱費もかかるし、歳もとって、体力的にもその方が楽なんじゃないかな?」と提案してみました。

すると、父と母の両方から、「そんなことしたら、まわりからどう思われるかわからんわ。続けるしかないんや。」と言われました。

さらに、町内会の長生会の会長も引き受けてきた話もその時に聞きました。

「長生会の会長は、神社の修復への寄付も率先しないと格好がつかん。長生会の旅行もお金かかるけど、会長やのに、行かんわけにはいかんやろう。」と言ってました。

経済的にも時間的にも体力的にもしんどいはずなのに、たった一つの見られ方を恐れ、縛られ生きる生き方は、絶対変えられないのか

生き方を自由に選べる時代になった中で、多様な生き方を謳歌している人たちが増えてきている一方で、両親は、まだ世間体という呪縛から逃れられず、こう生きなければならないと無理して生きているように見えます

父と母はやりたいことをやれた人生を歩んでいるのだろうかと考えると胸が痛くなります。家や世間体が人生をコントロールするようなことは絶対にあってはならないと思います。

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