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本物を見つける

 年齢を重ねていくにつれて、自分の感じ方に素直でいることって大事だよなとしみじみ感じていて。素直じゃないと自分の本心ってどこにあるのか簡単に分からなくなるじゃないですか。
 
 生きてたら悲しいことや辛いこと、別れはたくさんあるわけで。そのときに自分を支えてくれると思っているものが実はそうでもないとき、もう支えきれないんじゃないかと思うんです。

 それがたとえ多くの人にとっては生きがいとなるものだったとしても、自分にもあてはまるかどうかは自分にしか分からないわけで。だから、自分の素直な感覚をアンテナにして、本当に満たしてくれるものを探求し続けることって大切なんじゃないかって思います。
 
 それは何を成していくか、何をするのかってこともそうだし、いつ起きていつ動いていつ寝るのかていう時間の使い方でも、何に囲まれて、何を食べて、誰と一緒に生きていくのかというライフスタイルの面でもそうだと思います。
 
 
 でも、意外と自分の感じ方に素直でいるって難しいことだよなとも思っていて。結構頭でっかちになるときがあるというか、流されやすいというか、ひとつの考えに固執してしまうというか。

 こうこうだから、自分はこれが嬉しいんじゃないか、楽しいんじゃないかって頭で考えてしまうときがあるんですよね。
理想や現実的な問題や既存の価値観や慣習、他人の目などをいつのまにか考慮してたりして、実際にやってみたらアレなんか違うみたいなことって多いんですよ。知らず知らずのうちに自分で自分を騙してしまってるんですね。

 そうやって、無意識に考慮してしまっているものを排除して、自分の感じた方向に素直に動くって難しいんです。うん、本当に難しい。
 
 例えば僕の場合だと、ここ一年くらいずーっと、いつ作業するのか、いつ休むのか、いつ運動するのかみたいな日課を円グラフに書きこんで考えているんですが、何度も修正しているんですよね。もう二十回か三十回くらい書き直してると思います。

 なぜこんなに修正することになるかというと、日課を組む時、「こうだったらいいな」っていう理想ばかりが先走っちゃって現実の自分が置いてけぼりになっちゃうんです。一日に使える時間は限られているので、どうしてもいろんな都合を頭が考慮してしまう。

 でもそれだと、自分がどう感じるのかっていう部分を無視していて、どこかに無理があるから結果的にうまくまわらない。

 自分がとらわれているものを排除して、自分に素直になるって難しいですよ。
 

 でもそうやってずっと円グラフと向き合って、自分の感じ方と照らし合わせながら何度も修正していると、自分の本心というかリズムというか、ポンコツ具合が分かって、うまくハマる箇所が見つかってくるんですね。

 「あ、この時間に運動するといいのね」とか、「私はこの時間ダラダラしたいのね」とか。

 理想の自分と現実の自分との折り合いがつくというか。そしたらもうブレないんですよね。

 理想と実際の感じ方から折衷案を探っていくことが自分を見つけるっていうことなのかもしれないです。理想だって、それをいいと思った感情も本物なわけで考慮しないわけにはいかないですし、かといって現実の自分にはキャパがあるわけで。 

   
 例として日課の話を出しましたけど、結局他でも同じで。自分がしたいこととか、どこで生きるのかとか、そういうことって意外と頭でっかちになりがちで自分の感覚に素直に従うっていうのは難しいんです。
 
 
 で、ただでさえ素直になるのって難しいな~って思っているのに、さらに外部からいろんな価値観や主張が流れてくるじゃないですか。この点も自分の感覚に素直になることを難しくしているなあと思っていて。他者の価値観や主張ってすぐに僕らに影響を与えるじゃないですか。
 
  とくに今の時代はSNSがあるんで、外側からやってくる価値観や主張って膨大な数あります。

  それに、SNSで流れてくる主張って、既に完成されているものが多くて強いんですよね。SNSは多くの支持を得たものが表に出てくる仕組みなので、僕らが目にするときにはもう強いんです。

  そんな強烈な価値観や主張がぽんぽん出てくる世界じゃ何も考えてなかったらフラっと流されちゃいそうじゃないですか。「あ、へえ、ミニマリスト良さげ~」みたいな。「ヴィーガンってすごい共感できるなあ」みたいな。
 
 もちろん、他者の意見を取り入れることを否定しているわけではなくて。
 他者の価値観や考えの中には自分にピッタリとはまる価値観もあると思うし、誰かの主張やメッセージに共感して、行動を起こすことが自分によい変化を与えることがあるのも知っています。

 それに、他者の主張に全く触れない、影響されないで生きるというのも無理やと思うので。
 
 でも、やっぱり一度よいと思った主張や意見も、じつは自分には合ってないパターンもたくさんあると思うんですよね。なのに、そういった誰かの主張にしがみついてしまう怖さはあるなと。
 
 そんなわけで、自分の中で頭でっかちに育っているものに加えて、普段交流してる人やSNS等を通じて外部からもいろんな価値観が流れ込んでくるわけですからもうね、自分の中で何が大切なのかって簡単にわかんなくなるんですよ。

 だから、どんな些細なことでも、違和感や圧迫感や嫌悪感、喜びや充実感には敏感でいて逃がさないようにしたいです。
 
 

 はい。ここまでわりと繊細な話をしてきたつもりなんですが。じゃあ具体的にどうするの?って話ですよね。自分の感情に素直になるっていったって、なろうと思ってなれたらだれも苦労しないわけですし。

 
 自分の本心を見つけることって、得意不得意はあれど、やっぱり誰にとっても難しいことなのかなって思うんです。だから結局一番いいのはひたすら動いてみることと、言葉にすることをやめないことだと思うんですよね。

 少しでも興味があることはどんどん取り入れてみたほうが結果的に自分の本心に早く気付けるんじゃないかって思うんです。実際動いてみると間違えることもたくさんあるんですけど、少なくともウダウダ考えて足が止まるよりかは全然いいのかなと。
 
 少なくとも僕が重要な選択や方向転換をするのは、何か行動を起こして頭をぶつけたタイミングが多いんですね。痛みとともに自分の輪郭を把握するみたいなことが多くて。「あ、ここから先はダメなのね、」みたいな。

体の輪郭は物理的なものなので、どこまでが自分で、どういう形をしているかって見たら分かりますけど、心の場合は分かんないじゃないですか。だから心の輪郭は外側の刺激が形作ってくれる、外側の刺激で初めて輪郭を知る部分はあると思います。
 
 動き始めた最初の方は、解像度が甘くてざっくりとした形しか分からないと思うんです。でも実際にどんどん行動していくと、次第に細部まで見えてくる感覚があって。

そうやって見えてきたものをすかさず言葉にしていくと、少なくともその部分に関しては自分でも認識できる形になると思うんです。

 いろんな経験や他者との触れ合いの中で自分をより深く知ったとき、たどりついた先がマイノリティだったり、0と100だったら62くらいの立ち位置だったり、あまり綺麗なものではないときもあるのかなと。

 でも、それが私やあなた本来の形だし本心だから、自信を持って「これが私」と胸をはっていいと思うんです。

 もしそこで何か問題やコンプレックスがあるのなら、初めてそこで本質的な対処ができますし、そこに喜びがあるのなら、それを見つけられたあなたは幸せな人だと思います。年齢重ねても、分からない人には分かりませんから。
 
 いつだって大切なのは自分の本心です。もし心の底から充実感や楽しさ、幸せを感じられるのなら、僕らはより自由に楽しく生きられるんだろうと思います、いろんなことがうまく回り始めるんじゃないかな。そのためにも、自分の感覚に素直でいることって大切なことだと思うんです。

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