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内面も可視化できたらいいのに


僕らの体は生まれつきそれぞれ違います。指が僕より長くて細い人もいれば、口が大きい人もいる。後頭部がカクっと平べったくなっている人もいるし、二重がくっきりしている人もいる。

ダイエットや暴飲暴食、筋トレ、あるいは姿勢に気をつけたり、はたまた加齢によって僕らの体というのは日々変化していくのだけれど、それでもある程度成長しきったらほとんど変化が望めない部分ていうのもある。まあ今は美容整形があるので意図的に変えられる部分はあるけど、でもそういうことをしなければ特に骨格や各体のパーツの位置関係ががらりと変わることはないし、やっぱり整形でできる範囲にも限界はあるだろう。

僕は才能という言葉は嫌いだけれど、それでも生まれ持った肉体というのはその人の個性でもあり、その人の才能と呼ばざるをえない。後天的な努力で変えていくのが難しい特性というのはどうしてもあると思う。

肉体というのはそこに存在しているから、目で確認できる。僕より手が大きい人がいれば「あなたは僕より手が大きいのね」と理解できるし、何かのきっかけ、あるいは先天的に片足がない人がいれば、それはその人の特性というのを理解できる。

じゃあ、性格は?価値観は?目で見えない。わからない。

そういう目で見えない内面的な部分でも、まるで生まれ持った骨格のように変えていくのが難しいもの、つまり個性や才能と呼べるものはあると思う。もちろん、筋肉や脂肪と同じように経験や時の経過によって変わっていくものも多いだろうけど、それでも成熟したあとの骨格のように後天的に変わることが望みづらいものもある。

そういう不変の内面、あなたの個性は、あたりまえのように体に根付いているのに、それが肉体のように可視化されていないから理解されないことってたくさんあるんじゃないかな。逆をいうと、それが見えていたら避けられるトラブルも多いように思う。

例えば、お腹の大きい妊婦さんがいたら、腰の曲がったおばあちゃんがいたら、席を譲ろうとおもうでしょう?それは、その人の特性や個性が目で見えているからだ。視覚的にその人の個性が把握できているのであれば、配慮できる。

でも個々の内面的な個性は見えない。だから、もしあなたが『短気』という個性を持っていても、それを知らない誰かがその尻尾を踏んでしまうかもしれない。そう、見えない個性というのは透明な尻尾のようなものだ。体から確実に生えていて、それを後からどうこうするのは難しいにも関わらず他人には見えないので、あなたの個性を理解されないのだ。

そして、まだ経験が浅いうちは実は自分自身、その透明な尻尾に気づいてなかったりする。色々な経験を経て「どうやらここに、なにか尻尾があるらしい」と気づく。そういうことはよくある。もしくは「これ、尻尾かと思っていたけれど、よく考えたらなにもなかった」ということもある。あるいは「尻尾かと思っていたけれど、よくよく考えたらツノだった」ってこともある。それが透明であるがゆえに自分自身でさえ理解するのが難しいのだ。ならなおさら他人に理解してもらうのは難しいだろう。まあ他人のほうが正しく理解とらえている場面もあるのだが、それはわりと近しい関係性においての話で、そこよりも離れた関係性になると、もう何も見えない。

じゃあ僕たちがその透明な尻尾を踏まれないためにはどうしたらいいのだろう。

まずは、自分自身が尻尾の位置や大きさを正しく理解することから始めるのが良さそう。そうしないと、自分の身の振り方というのがわからない。電車の中で寝そべっているのに、踏まれて痛いと嘆くのは愚か者であるのは簡単にわかる。それは自分の身の振り方が正しくないからだ。そんな感じで、透明な尻尾を踏まれない位置に置くというのは大事だと思う。だから、関わる人を選ぶというのも尻尾を踏まれないためには大切なんだろう。

もうひとつは、告知することだと思う。「ここに尻尾がある」と他人に説明する。すくなくとも近しい人やよく関わる人にはしておきたい。他人には見えない肉体だから、もう言葉で色を染めてあげるしかない。あるいは言葉で布をかぶせる。そうやって、ここに何かがあると説明する。そうやって正しく理解してもらえば、悪意のある人間でないかぎり、その尻尾を踏もうとは思わないだろう。


透明な尻尾は第二の肉体だ。その取り扱いはなかなか難しいけれど、自分を守るため、そして他人を理解するためにも、その存在には気を配っていたいと思う。


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