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6.5

駅から市内へ続く道路を歩道を挟む形で仙台駅前には大きなアーケードが連なって存在している。
アーケード内には小規模飲食店やコンビニ、ゲームセンターなどが併設されていて、休日は人で溢れるのが常だ。
平日でもその賑わいは薄れることは無く、授業を終えた学生達の賑々しい声がアーケードのあちこちから聴こえてくる。
陽菜は山形から仙台に来てすぐこのアーケード内の人の波を存分に経験し、以降人混みを懸念し避けてきていた。
私生活もアルバイト先と自宅との往復が日々のルーティーンと化していて、買い物も例の如くコンビニで済ませられる事も理由にある。
しかし、この日、陽菜は以前のクボの言葉が、内面の何処かで引っ掛かっていた。あの日から、と言った方が正しいのかもしれない。
何かしらの感情、色づけはできないがなにかしなくてはならないといった混濁した感情は初めてで、言われた相手がクボだったことも影響し
陽菜は自身の軌跡、ルーツがなにかを知る為、自分が仙台にやってきた日を回想しながら、駅のアーケード前に立っていた。
今日はコラフの定休日の為、時間には余裕があったが、元々人混みが苦手な事もあり陽菜の表情には気疎さが垣間見える。
前日の夜にカレーを作っていた事も影響し、駅前に到着した時刻は17時を回っていた。歩道には陽菜の影が背を伸ばしている。
駅から一番近いアーケードの中に入り歩き始めたはいいものの目的地がある訳もない。とりあえずは連なるアーケードの終着点まで歩くことにした。
不規則な動きで向こうから歩いてくる人々に煩わしさを感じた陽菜は自然とアーケードの端の方に移動する。
あの日、わたしはこのアーケードを歩いていた。そこに目的は無かった。今も、、今もそうだ。
規則から開放され制服を崩した学生。声を張りながら電話している男性。今の陽菜にはアーケードで目にする人々が活き活きとして見えた。
一つ目のアーケードを抜け信号待ちの人の中に混ざりながら陽菜は幾人かの顔を見る。彼らは自分のルーツがなんなのか理解しているのだろうか。
義務教育を終えてからは、もう誰も道を指示してくれない。自分自身で意思決定をしなければならない状況がどうしても目前に在るのだ。
今、ここで信号を待っている人の中で自分を見つけ、昇華させた人は果たしてどのくらいいるのだろう。前方の男性が動き出し陽菜も歩みだす。
三年前と同じ光景を見つめているが、今私は軌跡という見えない何かを探している。それは目的なのかもしれない。
少しお腹がたるんだのなら運動をすればいい。見た目をよくしたいなら化粧をすればいい。しかし今の陽菜は自分自身にA=Bという解法が見出せなかった。
二本目のアーケードを抜けた陽菜は道路の向こうに少人数の人だかりができているのを目にする。何かしているのだろうか。
陽菜は信号が青に変わるまでの間その一点を見つめ続けた。散り散りに間隔を開けながら集まる人の輪の中央に小柄な女性の姿が見える。
人だかりと共に再び歩みだした陽菜は自分が歩いてきた場所から反対側、その賑々しい方へ波を避けながら移動した。
近くに行くまでは喧騒の一部となっていたが、そこではギターを持った女性の路上ライブが行われていた。
これまでそういったものを目にしたことが無かった陽菜は、しばらくその場で立ち止まってみることにした。
丸眼鏡が印象的な彼女は陽菜の聴いたことのない歌を春風の様に強く澄んだ声で雑踏の中へ響かせていた。
女性の横には折りたたみ式の椅子があり、ダンボールでできた広告がガムテープで貼り付けてある。
その斜め前方には亜麻色のギターケースが無造作に置かれ、内には散らばった千円札や何枚かの硬化が見えた。

自費出版の経費などを考えています。