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最難関、自分の真面目さを受け入れる

昨日人事面談をしてからずっと引っかかっていることがある。

自分の真面目さである。

私の休職期間の過ごし方に関する、思考回路はこうだ。

休職した分、休む前よりもパワーアップして戻らないといけない。私がそうしたい。だから、この休職期間は自分の休職原因を振り返って、自分の至らぬ点を把握して改善する期間にする。それは最低限のラインなので、そのうえで足りていないスキルや知識、仕事での立ち回り方を身につけるのだ!

どうも、これは真面目すぎるらしい。

人事の人に言われてハッとさせられるとかではなくて、え?何がでしょうか?と思ってしまった。

この休職期間、様々な認知の歪みを見つけては変えよう変えようと取り組んだが、この真面目さだけは変えられなかった。


なかでも特に最近自分を苦しめている思考回路がある。

それは、被害者ヅラをしてるように見えること、何かの型に自分を当てはめて言い訳しているように見えることを恐れているということだ。

例えば、今書いているnoteで毎回「休職」というワードを用いているが、「休職」というワードを使うことによって「仕事でなにかあって休まないといけないくらいの状態にある人」というレッテルを自分に貼って、ヨシヨシしているように見えないか?とか考える。


他には、HSPだから〜とか、MBTIの〇〇〇〇タイプだから〜のように、自分のやることなすことに対して枕詞的にこれらのワードを用いて、自分に言い訳をしているように見えていないか?と。


noteやSNSであれば、「休職」というキーワードのフックから同じ境遇の方と出会えたり、共感できたり、参考にさせてもらったりとわざわざキーワードを使う利便性ももちろんある。


でもどこか自分の中に、客観的に自分を見ているもう一人の人間がいて、「う〜わ、自分守ってるぅ〜」と冷やかすように見てしまう時がある。
休職せずに働いている人の視点をあえて持ち出して見ているような感覚に陥る。


休職しているからと言って、それに甘んじてはならぬ。
変わる努力をせねばならぬ。
言い訳してはならぬ。
環境や人のせいにしてはならぬ。
自分の性格を盾にして肯定してはならぬ。


江戸時代の農民に出されたおふれかのような、真面目さを自分に突きつけている。


〜ならぬ令を出して自分を検閲している状態がいつまで続くのかと思うと、ちょっと辛い。

もっと楽に生きたいなと思う。

生きるためだけに必要だから、すごくやりたい仕事ではないけどやる選択肢は私の中にない。
友達にその考え方の人がいても、自分はそうは思えなかった。

本当に気が多い。

やりたい仕事をやるために自分のレベルを上げないとならないと思う。

それなら、変わることをやり続けるなら今だよなと思ってやっている。

この話に結論は出ないので、週末初めてカウンセリングを受けるときに心理士さんに聞いてみたいと思う。

真面目さとどう付き合っていくか。



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