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魂と仮面

 他者と自分の境界線をあなたはどこにひいているだろうか?

 そう問われて、あなたは自分の皮膚から外と内に線を引くかもしれないし、家の中と外で線を引く人もいるかもしれない。家族と他人で分ける人も居てるだろうし、友達とその他で引く人も居てるだろう。
 いくつもの境界線がある人もいるかも知れない。
 例えば、初対面。家族。友達。仕事。恋人。銀行。役所。街。家。と、幾つものパターンの中で、したたかに生きる僕たちは、他者と居心地よく過ごすために、いくつもの仮面(ペルソナ)をつけて生きています。

 では、仮面を脱いだあなたとは、どんな人なんだろうか?

 私は去年うつ病と診断された時には、当時はどの仮面も合わなくなってしまったように思う。他者と会えなくなってしまったのだ。知ってる人を見かけると身体が震え、そこを乗り越えても、次に人と会えるようになるまで1日、2日、3日といくつもの夜が必要になりました。
 その内、他者とは会えなくなり、パートナーから失踪届が出される騒ぎになった程です。当時は子供も心配してたかも。

 あの時の私は自分の本質と戦っていたのだろうか、あの、弱くて情けない男が自分だったのだろうか。

 もしそうなら、人間の内面とは臆病で小さく弱いものなのだろうか?

 この問題に取り組むために仮面について考えてみようと思う。生まれたての赤ん坊が最初に仮面をつけるのはいつなのだろうか?

 乳飲み子は乳を飲むために泣く。寝る。泣く寝る。を繰り返す。無邪気で大人が保護してくれるため、仮面などつけないだろう。
 では、赤ん坊は仮面をつけている大人の真似をするのだろうか?

 幼き頃。母が電話口で丁寧に受け答えしているのを思い出す。あの時に私は仮面を学んだように思い出す。敬語を母の電話で学んでいた。
 子供とは無遠慮で強いものだが、テレビに映っている子役達を見ると、キチンと仮面をつけているように思う。
 テレビの中の子役達。私から見ると大人の仮面と変わらない(僕よりも遥かに稼ぎも良いだろうしね)。そして、その仮面の内側もまた大人と変わらないのではないか?

 自分が大人なのか?子供なのか?の葛藤を持った思春期の中学生、高校生、大学生、社会人、と進んでいく中で内面に変化があったのだろうか?

 世の中と折り合いをつけていく中で変わっていくのは仮面の方で、中身は変わらないのではないか?

 でも、もし、内面が変化しないのなら犯罪者は殺人を犯さない為に仮面をつけていたのでだろうか?

 その仮面の下に殺人衝動がつまっていたのか?戦争の兵士達が殺人でPTSDになっていく。国という大義の為に兵隊アリの仮面を被ったというのか?裁判で死刑を言い渡す裁判官という仮面が彼を殺人者にするのか?

 私が壮年、中年、初老、老人と老けていく中で内面は変わっていくのだろうか?

 きっと変わっていくのだろう。

 他者と自分の境界線の内側を、今は『魂』と定義するとしよう。

 そこにはどんな魂があるのだろうか?大きくなるのか?小さくなるのか?今この魂から湧き立つ言葉をぶつけているこの記事は魂の何になるのだろうか?こんな言葉が魂なのか?
 魂とは言葉なのか?
 この世は全て言葉で定義できてしまうのか?

(哲学の問いを書く為に始めたのに問いで終わるのね)
(答えなんてどこにでも転がってるから価値は無いもの)
(あなたは疑問を探し続けられるのかしら?)

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