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言葉の壁の先にあるもの

「英語を学びなさい。そうすれば世界が広がるから。」

誰しも聞いたことがある言葉だろう。実際にその通りだ。

でも、これからはその先にある「価値観の壁」を意識する時代になると思う。なぜこの考えに至ったのか、そして僕のいう価値観の壁とは何なのか、順をおって話したい。

ノリで日本から出る

東京に生まれた僕は、幼稚園児のころから英会話を習っていた。英語を学んだことで人生が変わったという父の意向だった。

ネイティブ教師との授業では、ときおり言葉が出ず、気まずい沈黙が流れた。考えを伝えられない…悔しいしイライラする。将来は留学してほしいと言われても、もちろん反発した。

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しかし、中学校に入るとその認識が少しずつ変わっていく。特別勉強しなくても英語だけはまあまあできる。意外と、英語ができるってかっこいいのかもしれない。

みんなが受験勉強に励む中、遊戯王とモンハンに明け暮れていた少年にひとつの考えが生まれた。

「ふつう」に高校に行くよりは、留学したほうが面白いんじゃないか?

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英語を学びたいとか、具体的な将来像があったわけではない。ただ、予測可能な人生を生きるのが嫌だった=典型的な中二病だ。

このノリ100%の思いつきは、思いかえせば人生最良の決断だった。

父に伝えると、喜んで留学の準備をしてくれた。親戚が住んでいたり、日本に近いという理由で行き先はハワイになる。

ハワイで学んだこと

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現地の私立高に入学した先に待っていたのは、挫折だった。

留学生用の「やさしい」クラスですら、英語が聞き取れない。言葉が出てこない。人間関係もゼロ。つまり自分は存在しないのと一緒だった。あのときの恐怖は忘れられない。

親の力も借り、1ヶ月ほど猛勉強した。人間とはやればできるもので、意外と慣れる。

個性や多様性、自主性を重んじる教育文化が僕に合っていたこともあるだろう。その後の4年間はあっという間だった。(注:アメリカの高校は4年制)

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緑に囲まれた高校で学んだことの中で、印象的なものが2つある。言葉の壁テクノロジーの力だ。

まずは言葉の壁。調べものをする時、英語でググると日本語とは全然ちがう結果が出てくる。海外に住んだことがある人なら、同じようなことを経験した人も多いはず。

例えば微分積分なら、英語だと無料で十分すぎるほどの情報にアクセスできる。逆に戦国武将のことを知りたいなら、日本語で調べないとロクな文献が出てこない。

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インターネット上において、日本語ユーザーはわずか3%。英語は1/4あまりを占める。

誰かが悪いわけではない。けれど「同じことを同じくらい知りたい人に言葉だけでハンデが付く」ことに違和感を覚えた。

そして、この壁に気づいた人にはメタ認知能力というオマケが付いてくる。自分や周囲を相対的に捉え、ソクラテスの言う「無知の知」を自然と意識できる。

つぎにテクノロジーの力。学校はこんな感じだった。

幼稚園から高校まで一人一台iPadを支給。いたるところにiMac。
デジタルを積極的に活用した授業。Google Glassや3Dプリンターを使うことも。
「パソコンが苦手」な生徒でも、Google Driveや動画編集は標準スキル。

たしかに州内でも進んでいる方だったが、他の高校も似たようなものだったと思う。

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図書室にて睡眠を取る筆者

もちろん学校の外でも刺激を受ける。iPhone 4や5、テスラにドローン…すごいスピードでイノベーションが起きていく。

たった数年で信じられないくらい世界が変わることを実感した。

スペシャルな国、日本

高校を出た僕は日本に戻ってきた。4年ぶりに暮らす母国は、すごくエキサイティングだった。

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ご飯はどこで食べてもめちゃくちゃ美味しい。近所に銃を持った男が現れることもない。四季もある。

でも一つだけ心配なことがあった。ハワイで痛感した言葉の壁を認識している人あまりいないことだ。

言語が違うだけで、知りたいことを知れない。面白いモノに出会えない。新しい価値観に触れられない。こうしている間にも見えない壁は僕たちから機会を奪っている。なんてもったいないんだろう。

たしかに他の国の言葉を学ぶのは簡単じゃないけど、それを解決するテクノロジーがどんどん開発されている。

最近のGoogle翻訳の精度はすごいし、YouTubeは音声を自動翻訳して字幕を付けてくれる。日本にはポケトークやGengoもある。

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最近公開されたiOS14では、アップル純正の翻訳アプリが登場した。将来、外国語を学ぶのは今でいうマニュアル運転の免許を取るようなイメージになるかもしれない。

実は言葉の壁なんてすぐに無くなってしまうんじゃないか。でも、向こう側に行こうとしない。存在すら気づいていない。そんな人が多いと思う。

だとしたら本当の壁は人間の中にあるのかもしれない。言うならば「価値観の壁」がある気がした。

こうしたモヤモヤを抱えながら、尊敬する上杉周作さんのブログを読み返してみる。2013年、今の僕と同じくらいの年齢だった彼が書いた文章にハッとさせられた。

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ただ、シリコンバレーと違うなと思うのは、日本で活躍されている人に話を聞くと、かなりの確率で「日本から世界へ」「世界を日本へ」といった類の言葉が出てくることだ。
<中略>
そしてぼくは、「世界」よりも「まだ見たことのない世界」のために働きたい。

「世界を日本へ」呼ぶことができれば、「まだ見たことのない日本」が作れるかもしれない。しかし、人生の半分をアメリカで過ごしたぼくは、普通の日本人の半分ほどしか、「まだ見たことのない日本」に興味を持つことができない。

自分が上手く言葉にできていなかった概念を、ここまできれいに文字に落とせるなんて…

「日本」と「世界」を切り離して考えてしまう。ついやりがちな思考ではないだろうか。しかし本当は「世界の中に様々な人々が存在し、日本という国はそれを区切るひとつの尺度でしかない」と思う。

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どちらのマインドセットが優れている、ということではない。しかし前述のような変化が生まれている中、やっぱり僕は上杉さんの言う「まだ見ぬ世界」を追いかけたい。

もちろんアメリカ人全員がそのような認識をしているわけではない。むしろ左のような考え方の人々が多い気がする。しかしシリコンバレーやニューヨークなどにはビジョン溢れる人々が集まり、実際にまだ見ぬ世界を冒険している。

この手の話をすると、反応は大きく分けて3つに分かれる。

1.「マジその通り!」
2. 「あなたの言うことはわかる。でもね…」
3. 「んー、興味ないや」

1の方々は僕と同じような感覚を持っている人。3の人々はそもそもここまで読み進めていないだろう。

気になるのは、いま2の反応をしたみなさんだ。

人間は変化を嫌うから、頭で理解できても心がついてこないことは珍しくない。しかし断言させてもらうと、遅かれ早かれ「世界の中の自分」を痛感せざるを得ない時代がやってくる。

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この数年を考えてみると、Instagram、Spotify、Netflixなどがどれだけ身近になっただろう。言葉の壁がなくなった後、海外の競合にPaypayやstandfm、そしてnoteが淘汰されないと誰が言い切れるだろう。

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輸送技術の進化や自由貿易の促進もあり、日本の食料自給率は低下の一途を辿っている。第一次産業の波は第二次、三次産業へと広がるだろう。
情報元:第一次産業ネット

直近10年でいえば、あなたの仕事を奪う確率が高いのはAIよりも「能力とやる気に溢れた異国の人々」だと思う。

もしいま認識を変える勇気を持てば、逆にその状況を利用することもできる。「まだ見ぬ世界」にさほど興味がなくても、身の回りの見え方が変わってくるはずだ。

言葉の壁の先にあるもの

人間という動物はコミュニケーションが大好きで、より多くの人々とスムーズに意思疎通をするために様々な発明を行ってきた。

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距離や時間、そして言語の隔たりがなくなった先に、「価値観の壁」があると僕は考えている。人々の価値観やマインドセットの違いによりアクセスできる情報が限られてしまう、ということ。

やはり壁は僕たちの心や頭の中にある。

そして、この壁は近い将来にかけて高さを増していくと思う。大きな要因はパーソナライゼーションと国家的なアクセス規制だ。

あなたがよく見るニュースやソーシャルメディアのコンテンツは、多くがあなた自身の情報や閲覧履歴などによってカスタマイズされている。自分が好みそうな情報ばかりに触れるため、もともとの価値観を強めてしまう。

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例えば欧米ではこれが社会問題となり、人々の生活に大きな影響を与えている。(post-truth=真実が意味を持たない時代と揶揄されている。)

日本でも、マスメディアという概念は崩れされつつある。2000年代前半からテレビの最高視聴率は下降しつづけており、YouTubeやNetflix、Amazon Primeなどで「好きな時間に好きなものを見る」文化が根付いている実感はないだろうか。

そして最近顕著になってきたのが国家によるインターネットの分断。

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共産主義の中国が長い間GoogleやFacebookなどへのアクセスを遮断していることは有名だが、去年インドがTikTok(中国サービス)をブラックリストに、そしてアメリカも運営会社に米国内の事業を売却するように迫るなど、ダイナミックな動きが目立つ。

インターネットの普及によって国家の力が弱まっていることは確かだが、まだまだ無視はできない。こうしたキュレーションやフィルタリングによって情報の動きが制限され、世界中の人々は無意識に価値観の壁によって阻まれている。

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マグリット作の「水平線の神秘」。同じ月を見ていても、見え方が同じとは限らない。

そもそも、この壁は悪いものなのか。みんなが好きなものを見て、似た価値観を持つ人とつながって何が問題なのか。

それ自体はおかしいことではないし、むしろ自然なことのように思える。

しかし「私なりの真実」がいたずらに乱立することはかなり危険だ。たとえば進化論を考えてみてほしい。

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「人間は猿から進化したことは誰の目にとっても真実だろう」と思うかもしれないが、実は本気で創造説を信じる人々が世界にはたくさんいる。彼らにとっては「神が人間を作ったことは誰にとっても真実」で、人間は他の動物と違う特別な種族。

程度や内容は違えど、同質のコミュニティ内では外界から孤立した価値観が独自に進化し、固定化してしまうことが多い。

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Everyone thinks of changing the world, but no one thinks of changing himself.
誰もが世界を変えようと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない。
- レオ・トルストイ

「私なりの真実」が対立するとき、一番有効な手立てはなんだろう。客観的な証拠?それは二番目だと思う。おそらく、その鍵はコミュニケーションではないか。

自分と世界の見方が違う人々と接するのは簡単なことではない。争いに発展する可能性もある。

それでも扉を完全に閉じてしまえば世界はどんどん分離され、色々な可能性が失われる。せっかく言葉の壁がなくなっても意味がない。

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TwitterやFacebookがトランプ大統領のアカウントを凍結したのはその最たる例だ。異なる意見を持つ人々をプラットフォームから排除することで、世界は平和に近づくのだろうか?

自分なりの真実を持つことはとても大事だけど、他者や外界と対話しながらアップデートされてこそ健全なもの。

これからの約20年間で、僕たちは分断された世界を生きることになる。

まだ具体的な方法はわからないけど、なにか「価値観の壁」を小さくする手伝いがしたい。

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王道なのは政治家や外交官、国連職員などだろう。しかし僕はハワイで目の当たりにしたテクノロジーの力を信じている。いままで様々なイノベーションがコミュニケーションを自由にしたように、なにかが世界を変えるはずだ。

もしかしたら、それはすでに発明されているかもしれない。

例えばインターネットやソーシャルメディアに人々を分断する力がある反面、つなげる力も確かにある。

僕の中には少し遠い未来のイメージがあるが、まだそれを明日の行動まで落とし込めていない。

それでも諦めずにこの問題を考えていこうと思う。色々な人と話していこうと思う。まずは自分の中にある壁を壊しながら。

参考記事

この記事を書いた人

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Neil(ニール)
ecbo (荷物預かりプラットフォーム) とプログリット (英語コーチング) でUI/UXデザイナーとしてインターン。現在はIT企業でデザイナー。 ハワイの高校。大学では法学を専攻。もともとはminiruとしてnoteを運営。

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