全部、私が書いた文章じゃん

noteに3エッセイ投稿したが、かなり面白い。
何が面白いかというと、各エッセイの「スキ」数の違いが極端すぎること。

どれも、紛れなく私が書いたのに。
今日はそういう話。


改めて、私が書いたnoteのタイトルと特徴を載せてみる。

1回目。

初回なので「書く」行為を私なりに定義するものにした。かなり尖った内容じゃないかと内心ビクビクしていたけれど、そもそもnoteユーザーはみんな書いているからか、想定より評価をいただけた。


2回目。

恋愛を含む「好き」をテーマに。誰しもが興味関心を持ちやすいテーマだったからか、かなりあけすけに自分の負の部分をさらけたからか、驚くぐらいの評価をいただけた。あと、タイトルも良いよね、私も気に入っている。


1回目2回目の共通点は、とにかく内的な話に重視したこと。

3回目。

戦略人事を引合いに自分が考えたことを書いた。どちらかというと内容はビジネス寄りだったし、多くのビジネスnoteのような「人事や仕事の為になる!」みたいな知見があるものではなかったし、おそらくどっちつかずの内容だったからスキ数は少なかった。一応、親しみやすくするように文体は変えたんだけどね。でもスキしてくれた人もいるね、ありがとうね。


さて。

何故3回目を毛色が異なるnoteにしたのかというと、単純明快。これも「私」だったからだ。

例えば、私が「noteのスキ数・フォロワー数を高め、ゆくゆくはビジネス化したい」を最大目標に置くのであれば
明確にターゲティングとポジショニングをし、エッセイの軸をぶらさず、ひたすら1・2回目と同じような内容を連投するだろう。

(スキ数やフォロワー数に興味が無い訳では無いよ。むしろ嬉しいから、アクションしてくださった方々のnoteは全員拝見してるよ)

でも、私は、普段は人材業界で働いている会社員で。
仕事が好きで。
ビジネスが好きで。
どうすれば人や組織がより良くなれるのか?を考えていて。

そういう人間だから、3回目のようなnoteも書きたかった。
ひたすら外の世界と遮断し、ATフィールド内で膝を抱えている人間ではないんだからさ。
むしろ、そういう人間で在って欲しかった?
人文学的な文章だけ書いてそうだった?

でもさ。
皆そうでしょう?
色んな自分がいるでしょう?
「である」調で書いてたけど、「ですます」調でも書きたくなるでしょう?
今日みたいに「口語チック」で話す自分だって、自分でしょう。

大学生時代、みんなの前ではニコニコして「いつもありがとうね」って言った30分後の帰り道で「世界なんて滅べば良いのに」って大泣きするとか。

会社で全国1位とって表彰されて「この世の主人公」かってくらい色んな人に褒められ話して笑ったりした数日後に、ただただ全てが悲しくて辛くて孤独にうずくまるとか。

決して多重人格ではないけれど、
もしかすると私みたいに極端ではないかもしれないけど。
でもあるでしょう?

全部ひっくるめて「私」である、と。

きっと、これからも人によって好みが分かれるような文章を書くのだろう。
「スキ」や「フォロー」は有難い、と深々と頭下げるくらい感謝をするとして。
それは前提として。


今後、「わたしは無敵!」みたいな文章を書こうが
「卑屈過ぎないか?」っていう文章を書こうが

全て私の軌跡として、どうか宝物にさせて。
そんな私を、どうかここに居させて。

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