はじめまして。これから、文章を書いていきます。

さて。
私は何のために文章を書くのだろうか。

目の前に紙とペンだけがある。あとはご自由にどうぞ、という空間があるとして、その空間自体はすごく無機質なように感じる。
特に、書くことが苦手な人にとっては、ひどくつまらない空間であろう。
高校時代授業をガン無視して、必死にA4のキャンパスノートに自分の想いをつらつら書き続けてきた私でさえ、何かを書く暇があればテキトーに漫画読んでゴロゴロしたいなと思う時もしばしばある。

でも、決してそんなことはない。
私の目の前にある、これまで私が書き続けてきた紙類は、無機質どころか多種多様の色に染まっているように見える。
なぜなら、私にとって「書く」とは、すなわち「生きる」そのものだからだ。

どんな経験をしたと私は捉え、それをどう感じたのか?物事をどう見て思考しているのか?
思いつくままに、ひたすら言葉で表現していく、それが私の生態である。

幼少期から「変わっている」とラベリングされ他者からの疎外感があった私にとって、「書く」は人生の命綱だった。
書いていると、なんだか目の前の文章が自分を受け止めてくれている感じがするのだ。
例えば悲しい時。今日はこれが悲しかった、こうなればいいのにって思った、どうしてこうなんだろうと悩んだ。
勿論、書いたからといって現実は何も変わらないのだけれど、それでも変わり者の自分が受け止められていく、という感覚は、私が生きていくためには必要だった。

それに、一回ペンを動かすと、自分の思考や感情がどんどん形作られていくのだ。
これを読んでいる方も、「なんか悲しい」のように漠然とした感情を抱いたことはあるのではないか。
私も漠然とした感情は抱くが、書いているとその感情に合う表現が自ずと見つかる。
ピッタリ、はなかなか無いけど、表現を探していくうちにどんどんチューニングされていって、ストンと腹落ちできるようになることは多い。
そうやって、ふわふわと実体のない思考や感情に名前をつけてあげると、何だかお布団に包まれたような安心感を覚えるのだ。

改めて。私は私を生かすために、きっと文章を書くという行為を続けていく。そうやって自己表現をしていく。きっと一生。

そして、そんな自分のための行為で誰かと繋がれたら。私の好きな人が私の観る世界を一緒に観てくれたら。何かの気づきや誰かの癒しになれたら。
それは、幸福としか言い表せない空間となるでしょう。

だから、私は文章を書く。


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大した挨拶もなく始めてしまいました。
改めまして、雪乃と申します。
今まで自分の内的な世界の中でのみ楽しんでいた「書くこと」を、「エッセイ」という形で世に送り出してみようかな、と思いました。

東京で人材業界に勤めている26歳。日常、仕事、本からの学び、哲学、と、徒然なるままに好きなことを書き連ねていこうと思っています。
興味があればぜひ見てやってください。

それでは、宜しくお願いいたします。

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