異質な他人に、恋い焦がれ

人が人を好きになるのは理由がある。
いや、理由がなく好きになることもあるけど、とはいえ「こういう雰囲気が好き」とか、後から思い返すと言語化できると思う。

私が好きになる因子の一つは「憧れ」だ。誰かに伝える際は「好きなタイプは尊敬できる人」とすることが多いけど、丁寧に紐解くと自分にはどんなに頑張っても決して手が届かない、というような「憧憬」の方が近いように感じる。
自分とは違う世界の住人に対して、彼ら彼女らの隣に立てる人間になりたい、と強く切望してしまうのだ。
つまるところ、「異質性」に惹かれていることになる。

では、どうして自分と違う人を好きになるんだろう。

ちなみに、「子孫の生き残りのため、自分とは異なる遺伝子を持つ人を好きになる」という説は違うらしい。
むしろ、コロラド大学の心理学者ターニャ・ホロウィッツ氏らの研究チームが、実際には「自分に似た人物に惹かれることが多い」と報告しているとのことである。

確かに、自分と似た人間の方が、全てを阿吽の呼吸で済ませられるような安定感がある。
私のような疎外感を感じがちな人間は、「私のこと理解してくれるんだ…!」となるだけで簡単にその人のことを好きになる。我ながらちょろい。

それでも、私が焦がれるのは、自分にはない視点だったり、快活さだったり、とにかく「異質性」なのである。

これを読んでくれている皆様はどうだろうか。

私なりに、この現象に決着をつけた。
おそらく、「憧れに追いつこう」とする焦燥感が、あまりにも大きすぎるのだ。

簡単に昔話をすると、私は昔から本当に不器用な人間だったのだ。
何故か色々とやらかす。それ故に失敗も多い。人間関係も上手く構築できない。地頭は悪くなかったが、中高と進学校だった故周りの飛び抜けて頭が良く普通に科学コンクールに出ちゃう奴らと比べると自己肯定感なんてダダ下がりである。
それ故、私は「ちょっとできる人」に憧れた。ここでいう「ちょっとできる人」は、日本人の平均+αを指してはいない。
容量良く物事をこなせて、誰とでも仲良くできて、頭の良さで自分の世界を切り拓いていく、そんな人間になりたかった。
それは「ちょっとできる人」ではなくて「スーパーマン」と呼ぶのでは?というツッコミが入りそうだが、兎にも角にも「そうあるべきだ」と捉えていた。

幸いにも、社会人になった今、少しは自分の理想に近づいた人間になったと思う。
それでも、やっぱり自信は無いから、憧れている人の隣に居ようとすることで、自分を落ち着かせたいのだと思う。
私はすごい人と仲良いんだぞ、と。そして、そういう他者を介在したい気持ちが強めに働くんだと思う。

………。

自分で書いていて自分の小ささにゲンナリしてきたが、ただ先程も伝えた通り現在は努力により理想に近づけてきているように感じる。
それに、完璧ではない自分を愛してくれる人がいるのもようやく最近理解してきた。

おそらく私の好きな人達は、全員こんなあけすけなエッセイを公開しようと思わないだろうが、「もっと見たい!公開してよ!」と言ってくれる、私の好きな人がいる。
私の好きな人達の1人に「〇〇さんって絶対私みたいな人間好きじゃないって思っていました」と伝えた時、「え?若林はいつも一生懸命ですごいな、尊敬できるなって思ってるよ?」と返してくれる。
(そもそもこういう質問をすること自体が非常に面倒くさいのは重々承知である。)

じゃあ、私は私のままで良いのかもしれない。
ダメな自分のままで、好きな人の異質性に憧れ焦がれ、それを原動力として頑張るような、そんな人間のままで生きても良いのかもしれない。

皆さんは、どうお考えですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?