私の転職と年収の変遷③ リーマンショック
正社員になれないと知って
新聞社で40歳からは正社員になれないと人事から言われた後
正社員という雇用形態に何よりこだわっていた私は、
正直、仕事のモチベーションを保つことが難しくなっていった。
シングルマザーとして、一家の大黒柱として(こんな言い方今もするのかしらん?)、まず、生活基盤を安定させるために、正社員にならなくてはいけないと思い込んでいたのだった。
ひょっとすると今だったら、そこまでこだわらない働き方を選ぶこともできたかもしれないのだが、当時の社会、また私にとっては、雇用形態は非常に重要だった。
とはいえ、その時にとった行動は、実はかなりリスクの高い行動をとっていたのである。
大学の先輩の会社を手伝うことに
新聞社で広告営業の仕事をしながら、週末には中小企業診断士の資格の勉強していた私は、焦っていたんだと思う。
当初、業務委託時代の広告営業の営業売り上げのマージンは15%あったが
契約社員になってからは、ベースの固定給は上がったものの
新規5%、既存3%となり、1か月の収入は減少した。
正社員になれず、会社の中での業務の権限ややれる幅も広がらずいつか契約が終了していまうという不安定な状態から早く脱したいと思っていた。
その時に大学時代の友人から、マーケティングリサーチの会社をやっている中小企業診断士の先輩が、会社を手伝ってくれる人を探しているということを聞いたのだった。
大学の先輩ということや、その人中小企業診断士ということ。
また、広告営業でマーケティングを学んでいた私は、グループインタビューのモデレーターとして仕事をしている先輩のように
専門的な技術を身に着けて、もっと自分で仕事ができるベースを作るという考え方もあると思い、勉強として、先輩の会社を手伝うことにした。
先輩の会社に転職することに
週末に通っていた、中小企業診断士の専門学校が終了したのを機に、そのまま土日のどちらかは先輩の会社の仕事を手伝うことにした。
大手の教育系出版会社などや飲料メーカーなどのグループインタビューを行い、その分析とレポート作成を行った。
まだ、モデレーターはできなかったが、レポート制作を教わりながらやり始めた。
同じ子育て世帯のママのインタビューからインサイトを分析したりする仕事は楽しくて、夢中で取り組むことができた。
先輩も私と同様に、うまく私とこれからやっていけるように感じてくれたせいか、一緒にやろうと言ってもらい、新聞社を退職することにした。
週末に先輩の手伝いをしていた当時、子どもたちは中2と小3。
お休みの日にはできるだけ一緒に出かけたりして遊ぶ時間も捻出しながらの走り続けていた毎日だったと思う。
幸いなことに、家事は朝のお弁当作りと朝食づくり以外は母がすべてを引き受けてくれていたので、子どもたちとの時間も大切にすることができた。
あの頃は夢中で駆け抜けていたが、今思うと本当にぼーっとしている時間は少しもなかったように思う。
リーマンショックで仕事がゼロに
さあ、転職してこれから本格的にやっていこうとした矢先に、リーマンショックが起こった。
忘れもしない、2008年9月。
ちょうどその1か月前の2008年8月に転職をしていたので、本当に転職した矢先にリーマンショックが起こったこととなる。
先輩の会社は主として、商品開発などのためのマーケティングリサーチに関わるグループインタビューを中心に行っていたので、影響は多大だった。
クライアントは大手が多かったが、当時は大手企業問わず、とにかく事業縮小傾向で、新商品を開発などはいっせいにストップがかかったような時代だった。
今回のコロナ禍以上に、世界全体が奈落の底に突き落とされる感じがあった。
もともと前職で法人営業をやっていたので、8月に入社して、すぐに仕事の幅を広げるための新規開拓の営業をかけていき、いろいろ話がくるようになるかと思われたが、10月には新規の案件がない状態になった。
このまま新規の案件がないまま、いつまで続くかわからない状態に危機感を感じた先輩が、1私の給料を払い続ける自信がないということもあり、11月には、やんわりと転職活動を進められた。
正直、今更という思いもあり、ショックは大きかったが、逆の立場に立った時に、やはり、先輩に迷惑をかけたくない気持ちもあって、また、希望も見えなかったので転職活動をすることとした。
会社に行くふりをしてスポーツジムへ
テレビドラマで、会社をリストラされたお父さんが公園のベンチでお弁当を食べているシーンなどをよく見ていたが
私も同じように公園ではなかったが、ジムで時間をつぶした。
嘘がつきたいわけではなかったが、家族に心配をかけたくなかったので、どうしても仕事がなくなったとは言えなかった。
毎日本当にこのまま仕事がみつからなかったらと思いながら、今考えるとゾッとする気持ちを抱えながら、家に帰った。
幸い、家には家族がいて、母がおいしい夕飯を作って待っていてくれた。
特に子どもたちと過ごしていると作り笑顔も本当の笑顔になっていた。
そして子どもたちのためにも、母のためにも、絶対に負けられないと思い就職活動を行った。
無事、転職成功
8年間のブランク後の就職は難しかった記憶があるが、この時の就活はわりとあっさりと決まったように記憶している。
12月1日からは新しい会社に就職することができることになったので、先輩にそのことを伝えると、先輩はとてもホッとしていた顔をした。
やはり、法人営業を約5年間経験していたことと、中小企業診断士の勉強をして得た知識全般、また、そのことをマーケティング視点で売りこめたことで、そこまで苦労せずに転職できることになった。
この5年間で自分自身の市場価値が上がったことが、転職活動を通して実感できたのも嬉しかった。
そして、営業という仕事は、実はどの会社にも必要な職種のため、特に手に職がない女性がチャレンジするにはよい職種だというふうに感じている。
とはいえ、営業という仕事が嫌い、苦手という人が多いのも現実であり、だからこそ、私が仕事を得ることができたのかもしれないとも思っている。
こうして、正社員という身分をブランクから約5.5年で手に入れることができた。
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