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#18 マイノリティが多数派に迎合する地獄

東京ディズニーランド・シーが性別を特定するような園内アナウンスを変更すると発表した。

実はこの流れは、近年国内外の企業で進んでおり、多様性の受け入れはもはやグローバル企業共通のスローガンとなっている。

しかし、日本では女性やLGBTQなどに限らずそもそもマイノリティに属する人たちへの不寛容さが目立つ。

例えば、冒頭のディズニーランドの記事にも「このアナウンス聞くとディズニーに来たな!ってワクワクしてたのにな。」や「少数派の声を気にしすぎると世の中おかしくなる」、「自分が男と思ってれば男だし、女と思ってれば女でしょ?それで良いんじゃないのかなあ。で、場内にお越しのお客様ようこそ!っていう意味のアナウンスなんだからさ!」(一部抜粋)といったコメントがぶら下がり、万単位のユーザーに支持されている。

これらのコメントを見る限り、多くの人たちが性の多様性の本質を理解できていない、いや理解しようとしていないことが見て取れる。

本質は、ジェンダーマイノリティを特別扱いすることなく、ただ受け入れることにある。

「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls」はどちらか一方の性別に規定されたくない人(Xジェンダー)を排除するような表現である。

「Hello Everyone」は誰かを排除することのない表現でまったく問題はない。

もちろん、ディズニー側も「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls」に差別的な意図を込めていないだろう。

それでもそのアナウンスに息苦しさを感じる人がいるのであれば、誰もを受け入れる表現に変えるのは自然な判断であろう。

一方、もっともタチが悪いのが「私当事者ですけど、」とマイノリティにありながら多数派の意見に賛同を示すことである。

当然、マイノリティの人たちが多数派の意見に賛同すること自体とがめるつもりもないし、常に意見が対立し続けるよりはよっぽど健全だ。

ただ、多数派の1人が多数派の意見を代弁することよりも、少数派が多数派の意見に賛同することの方がその影響力は強いという理解は必要になってくる。

たとえば、「いじめられている側にも原因がある」という意見が大勢を占めていたとしよう。

そこにいじめられた経験のある人が「私もずっといじめられていましたけど、あなたの意見は正しいと思います。」と言ったら、双方に属したことがない人も含めて「いじめられる側にも原因がある」という認識が拡大・固定化する(「当事者であるこの人も言ってるんだから間違いない」という空気)。

繰り返しにはなるが、マイノリティの人たちが多数派の意見に賛同することがあってはならないというわけでは決してない。

ただ、賛同を示す場合はその影響力の大きさを認識した上で、苦しんでいる人がいること、それがすべてではないことを付け加えるのが妥当であろう。

この意識はジェンダー問題に限らず、あらゆる多数派少数派が存在する問題に言えることだ。

少なからず人は、あるトピックでは多数派に属し、あるコミュニティでは少数派に属している。

その問題一つ一つを連続したものと捉えることができれば、そこに寛容さや冷静さが生まれるのではないだろうか。



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