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全身全霊だった20代。30代は半身半霊で生きる。

僕は本を読んでいる中で、これまで知らなかったことを知ることが多々ある。
また、内面ではうっすらと感じていたことが表面化して、それにより考えるきっかけを与えてくれることもある。

最近読んだ本でもまさにそのような体験をした。

「全身全霊をやめませんか」

その章タイトル、内容にハッとさせられる。

今の自分がうっすらと感じていたこと、心がけていること、過去の苦い経験が表面化された瞬間。
これからの自分について考えるきっかけを与えてくれた本。

それが三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』だ。

本書はタイトルの通り「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読書史と労働史を交えた観点から深く考察した1冊だ。
それを踏まえて著者の三宅さんがどう考えているかが最後に書かれている。

上記に書いた「全身全霊をやめませんか」は、本書の最終章のタイトルだ。

日本は長時間労働が蔓延している。それによって時間がなくなり本が読めなくなる。
では会社が労働時間を短くするよう促せば、個人の労働時間は減るのだろうか?
実はそんな単純な問題ではない。
新自由主義により自己決定、自己責任が求められる社会になった以上、各々が自己実現に向けて頑張りすぎてしまうのだ。しかも個人も社会もそれを良しとする風潮がある。
その結果が、燃え尽き症候群(バーンアウト)につながってしまう。
別の言い方をすれば、メモリがいっぱいになった状態になってしまいパンクするような感じだろうか。

僕は20代を振り返った時、まさに本書の通り何事も全身全霊でメモリが常にいっぱいになっていた。

新卒で入った会社では、毎日深夜まで勤務し、終電に乗れないことも日常茶飯事だった。
アイドルを推していた時、いわゆる「推し活」をしていた時は、寝る間を惜しんで推しの情報を追っていた。
フルマラソンに向けて走っていた時は、とにかくタイムばかりを追っていて「走らなきゃ」という思いしかなかった。

全身全霊にならなきゃいけないくらいメモリがいっぱいになっていたし、そんな中でも「頑張らなきゃ」と自分自身を奮い立たせていたと思う。
そして、上記のどれもが燃え尽きてしまった感覚になった。

燃え尽きた先に待っていたものは、「俺、なにやってんだろ」というようなどうしようもない無力感だった。

新卒で入った会社は辞め、途中で推すのを辞め、フルマラソンは中止になって一時期は走るのを辞めた。

30代になった今は、過去の苦い経験を活かすよう心がけている。

仕事では適度に休憩を入れ、予定は詰め過ぎないようにする。
ランニングは心地よいペースで走る。
本は疲れている時は無理して読まない。
そしてしっかりと睡眠時間をとる。

半身半霊は決して手抜きではない。
様々なことに対してしっかり向き合うことには変わりない。
半身半霊を全力でこなす。
そんなイメージが理想だ。

でも、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の最終章を読んで共感しながらも気づいたことがある。

それは、全身全霊という文脈に触れたことは決して無駄ではなかった、ノイズではなかったのではと思う瞬間もあるということだ。

新卒時代の上司からの教えは今でも活きているし、推しのおかげで興味の幅が広がったり色んな場所に連れて行ってもらったし、かつて太っていた身体は走ったことでスリムな体型に変わった。

どれも今の自分に活かされている。
自分に関係なくなったと思ったらそうではなかったのだ。

だから、僕は全身全霊を全否定はできない。

それでも全身全霊時代をふまえて、これからは半身半霊でありながら様々な取り組みを通じて様々な文脈を手に入れたい。

常に心に余裕、余白を持って、穏やかさを持つ人でありたい。
好きなものがずっと好きであり続けるためにも。

全身全霊だった20代。
30代は半身半霊で生きる。

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