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青もみじが大爆発している京都にて、見たこと、そして考えたこと。

あれは2016年の5月中旬、日帰り仕事で京都に来たことがありました。その時に見た東山の新緑が、京都の新緑に驚いた最初の経験でした。様々な緑が、点描画のように混ざり合い、ひとつの山を形作っている。これは一日中眺めていたい。日帰りにしたことをとても後悔したので、今回は時間を充分に取って、再び業務上の上洛です。

京都の人はやさしい。

僕は普段、どんな服装でもできる仕事をしていますが、今回は初めてお目にかかる人も多いので、念のためジャケットを着て出てきました。ところが到着早々、地下鉄四条の駅を出たところでボタンが取れてしまうアクシデント。メンテナンスをしないまま、久しぶりに着るとこういうことが起こるんですね。しかも三つボタンの真ん中なので誤魔化しようがなく、いったいどうするかな、と。

まだ打ち合わせまで時間があるので、針と糸さえあればどうにかなる。けれど、こんな時はどこに行けばいいんだ?
目の前にファッションビルがあったので、とりあえず入る。こういうビルに裁縫道具を売ってる店なんて、……やはりないよねぇ。
とりあえず、小物も多く扱っていそうな店に入って聞いてみました。
「あの… このへんに裁縫道具を売っているお店なんてありませんか?」
こんなトシのおっさんが、ひとりで入ってくるような店ではないし、しかもいきなりヘンなことを質問するので、女性の店員さんは怪訝そうな顔をした。

「どうされました?」
「これからシゴトなんですが、ジャケットのボタンが取れちゃって…」
「あぁ、そうでしたか。裁縫道具やったら大丸さんにありますが…。よろしければ針と糸、お貸ししましょうか?」
なんと、思いもよらないお言葉。
「いいんですか? ありがとうございます。助かります……で、ついでと言ったらナンですが、針に糸を通す自信がないのですが、けっこう老眼で…」
「いいですよ。でも、縫うのはご自分でお願いしますね。あそこのソファをお使いください」

なんてやさしいお店なんだ!これでまた、京都が好きになってしまうではないか。

学生の頃、服のサイズ直しが趣味だったことが、こんな場面で生きるとは。
どうにか縫い終えて、裁縫道具を返しに行ったら、店長さんと思われる男性が笑って受け取ってくれた。
「お礼に何か買いたいのですが、僕が着そうな服がなくて…」
「いいですよ。またご縁があれば、ぜひお立ち寄りください」
ご厚意に甘えっぱなしの完敗でしたが、お陰さまで打ち合わせには間に合いました。もちろん後ほど、大丸さんで裁縫道具も買いました。大丸の店員さんも、親切にいろいろ選んでくれたなぁ。

急遽、葵祭を見に行く。

ところで到着日翌日に、葵祭の行列「路頭の儀」が行われるとは知らなかった。
打ち合わせは午後の遅い時間だったので、当日の朝、慌てて京都御苑まで見に行きました。街の中ではお祭りムードなんて全く無いのに、行ってみれば御苑や沿道は大混雑。
突然来たので席の予約などしておらず、見やすそうなポイントを探すうちに、やがて御苑の青もみじの美しさにココロ奪われます。

新緑がオミゴトというだけではなく、それぞれの木が大きいんですね。
剪定の仕方でも、見え方はまるで違う。
この日は曇りがちだったので、緑の彩度はやや低めですが。

そして始まる「路頭の儀」。歌舞楽曲の無い、静かな行列。聞こえてくるのは行列が砂利を踏みしめる音と、牛車の車輪が軋む音。そして、たまに牛が吠える声。
この行列によって、公家社会の様々な役職や、その装束を知ることができます。
そして、行列の長さに驚く。総勢500人で長さ1kmにも達するらしい。箱根の大名行列とは本気度が違います。この行列が御所を出て、下鴨神社から上賀茂神社までの約8kmを移動する、と。牛や馬を手なずけながら歩く人は大変だ。もちろん、沿道はずっと見物客の壁に囲まれています。

少し小高くなった場所に立てば、意外に見えるものですね。カメラは28mmの単焦点しか持っていないので、後から無理矢理拡大しています。

この行事は1500年も続いているんですね。始まりは京都が都になる前の、西暦500年代とのこと。おそらく、まだ京都が沼地のような盆地だった頃だ。

京都の街も京都御苑も、幕末には一度焼け野原になり、今見ている京都市街は明治以降の街並みに過ぎません。平安時代はもちろん、江戸時代の街並みですらないのです。この京都御苑も昔から広場だったわけではなく、蛤御門の変での大火災が起きるまでは公家の屋敷が集まる街だったらしい。しかも今のような石垣は無く、お屋敷街とは道で繋がっており、庶民も自由に出入りができて、公家たちのようすを眺めるための茶屋まであったとか。そんな時代に、この行列を眺めてみたかった。
とは言いながら、街は消えても祭りは1500年も残る。だからこそ伝統行事を守らねばならないのですね。

烏帽子には、下鴨神社の紋でもある葵の飾り付け。

この行列を見ながら、皇女和宮が江戸にお嫁入りしたときには4000人と言われていたことを思い出しました。何とこの8倍。その数字には多少の誇張があるかもしれないけれど、こんな行列が、この京都御所を出て、中仙道を通って江戸までやって来たわけです。その費用とか沿道の人たちの気遣いを想像するだけで、気が遠くなるというもんです。

8kmに渡る沿道は、ずっとこのように見物客の壁ができている。

その後は地下鉄で下鴨神社まで見に行きましたが、どこまで歩いても連なる人の壁。早めにあきらめて撤退しました。

Youは何しに京都まで?

そして、今どきは避けて通れないオーバーツーリズムの問題。
これには自分も旅行者として、かなり注意していました。キャリーバッグは宅配便で送ったし、京都駅からの移動は、必ず地下鉄を使うようにしていました。
ところが街の中は想像していたよりも人が少ない(バスは混んでますけどね)。桜のシーズンが終われば、後は祇園祭や紅葉までシーズンオフなのでしょうか。ココロ行くまで新緑を眺めたい僕にとっては、今がオンシーズンなのですが。

ご覧の通り、たまにこうして人影がまばらになる。
そして、東山の新緑は相変わらず美しい。
とは言え、橋の上や交差点では、こうして人の渋滞が起きていますが。

想像していたよりも人が少ないとは言え、今回は、外国人観光客の人たちが、より深いところに入り込んできたな、という印象を受けました。
これまで隠れ家にしていたような、小さな割烹料理屋さん、おばんざい屋さん、などの小料理屋さんでも、予約を取ってやって来る外国人観光客の姿を見かけます。しかも大勢ではなく、おひとりさまが多い。例によってネットによる口コミでやって来るらしく、外国人向けに作られたお品書きと、ネットの情報を見比べながらオーダーをしています。
こういうお客さんは欧米系の人がほとんどで、彼らからは、「この国を学ぼう」という姿勢がヒシヒシと伝わってきます。

一方、アジア系の人たちは大勢でいることが多く、写真を撮ることに熱心。観光とは写真を撮ることなのだろうか? と思うくらいです。そして自撮りを済ませた後は、所在なげに街を歩いていることが多い。

僕が密かに通っている、15時にオープンする某おばんざい屋さんのカウンターでも、サンフランシスコからやって来たという女性と隣り合った。何を頼んでいいかわからなそうだったので、このおばんざいセットをお勧めしました。

ひとり静かにカウンターで飲んでいたいなぁ、なんて時に、隣に外国人観光客がやって来ると、正直に言って「めんどくさいな」と思うことはある。しかしそんな時は、僕がひとりで海外に通っていた、若い頃を思い出すようにしています。

たとえばスコットランドの山の中で、とても心細い思いで、集落に一軒しかないパブのドアを開ける。そこには地元の常連さんと思われる客ばかり。
そんな時に、「あなたが食べている、それはナンデスカ?」と聞いてみる。すると聞かれたおじさんは必ず親切に教えてくれるし、隣のおじさんは、ほかのお勧めを教えてくれる。そのうちに全員が、日本のことを聞いてくる。「日本のサケはうまいのか?」「息子が空手を習いたいと言っているけど、オマエもやるのか?」「ダーツやるか?」
イタリアのピッツェリアでは、隣に立っていた見知らぬワカモノが、僕が注文したものを制して「この店ではこっちの方が美味いよ」と教えてくれた。
このような小さな親切によって、旅の緊張は解きほぐされ、たくさんの思い出が残り、学習となり、そしてその国をさらに好きになった。

いま、京都の小さな飲食店に、おひとりさまで踏み込んでくる外国人観光客は、あの頃の僕と同じなのだろう。だったら僕が海外で受けてきた、数多くの親切のお返しをしなくてはならない。困っていそうだったら教えてあげよう。ヘンなものを注文していたら、お勧めをおしえてあげよう。放っといてほしそうだったら放っといてあげよう。

ほとんどの外国人が、湯葉を見ると「これは何?」と思うようです。「ソイビーンズだけで作った、とてもヘルシーなプロテインだぜ」と言うと、たいていみんな注文する。「春巻きにもできるぜ」と言うと、「ユバのスプリングロール」とメモをする。メモしても、ほかの店にあるかどうかはわからないけど。
〆にはすぐき菜のチャーハン。ごめん、すぐき菜って、英語でなんて言うかわからなかった。
これは僕が密かに愛好していた、祇園にある某割烹料理店のサバサンド。日本人観光客の間ではそこそこ知られているものの、これが外国人観光客にバレてしまい、今ではアポ無しの客が絶え間なくやって来ては予約をして行く。ゆえにテイクアウトもありにしたそうです。時代は変わるのです。

それにしても、さすが国際的観光都市、京都。
たとえば、これまでそんなことをおくびにも出さなかった飲食店の女将さんやご主人が、実はとても流ちょうな英語の使い手だったことを初めて知る。今回、そんな場面を何度か目撃しました。たびたびやって来る割烹料理屋には、海外のレストランで働いた経験のある料理人さんが加わっていました。
古都、京都とは言われるけれど、平安の昔から新しいことにも取り組んできた街だということを忘れてはいけません。その片鱗が、今の時代では小さな飲食店の片隅に息づいていたというわけです。

ただしひとつだけ言っておきたいこと。外国人女性のコスメ臭は、香りも楽しみたい日本料理とは相容れない場合が多いです。これだけは、お役所なり観光協会なりの公の機関から、何らかの形で注意喚起してもらえればと思います。カウンターで隣に座っている、見知らぬ日本人が注意喚起したら角が立つと思うので。

そして、定番コースの京都国立博物館へ。

京都に行くときには、どんな企画展が行われているか、必ずチェックしておく京都国立博物館。僕は18世紀の京都画壇の絵師たちのファンなので、5月26日まで開催中の「雪舟伝説」を避けては通れなかった。

なぜ「雪舟展」ではなくて「伝説」なのかというと、雪舟を手本に模写した、錚々たる絵師たちの作品も大規模に展示されているからなんですね。

雪舟は15世紀、室町時代の画家なのだけど、そこから狩野派、そして18世紀の京都画壇に連なる影響が、実にわかりやすく展示されていました。このnoteを書いている今も開催中なので、興味がある方には強くお勧めしておきます。

とてもいい展示を見ることができたので、帰る前に、伊藤若冲や円山応挙などなどの絵師たちを世に送り出した相国寺にも行くことにしました。するとここも、新緑が大爆発。

京都御苑の今出川御門を背に、相国寺山門に向かう道が良いのです。
登録有形文化財、同志社大学アーモスト館を右手に見ながら。
辿り着く。

あいにく、承天閣美術館は展示替えのために閉館中(この美術館の回廊から見る青もみじが美しいのです)だったけれど、相国寺春の特別拝観に行くことはできました。伊藤若冲も眺めたかもしれない方丈や、開山堂の青もみじが目に沁みます。

方丈の庭から見る法堂。天気がよすぎて眩しかった。
方丈の裏庭でも、青もみじは大爆発。そして、風が心地よく、うっかり寝落ちしそうです。
同じく裏庭。秋にはこれが紅葉になるのかな。混雑が予想されますね。

ということで、夏日あり雷雨あり、そして晴れれば心地よい風の吹く、5月の京都を満喫しました。最後にもう一度、京都御苑の青もみじを見て帰ります。

葵祭の喧噪などウソだったかのように、静まりかえった御苑でした。

今回も長い投稿になってしまいました。次回以降は、もう少し分けて投稿することも考えなくてはいけないかな。
日本に住む皆さんも、もっとワガクニを知りましょう、もっと地元を歩きましょう、旅にも出ましょう、もっと深いところに入って行きましょう、学びましょう、地域の文化を守りましょう。外国人旅行者の旺盛な好奇心に、決して負けてはいられませんからね。
なお、飲食店については、許可をいただいて撮影しています。が、探す楽しみを奪いたくないので、今回も具体的な店名は控えています。検索すればわかるヒントは残していますので、興味のある方は探してみてください。







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