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災害と人災を考える②柳田邦男

前回は、寺田寅彦と吉村昭から、津波について考えました。災害は自然相手のものだから、何十年、何百年の積み重ねた知識が必要。明日起こるかも何十年後に起こるかもわからないものに対して、根気強く備えるのだから、個人の備え以上に、防災を教育など、身近なところに取り入れる必要性を強く感じました。

想定外だから仕方ない?

2011年の東日本大震災で原発事故は、まだ記憶に新しいと思います。
当時私は15歳で、中学校から帰ってきてから、爆発の起きた原発の映像をテレビで眺めました。
しかし、それから高校生になっても大学生になっても、原発事故について詳しく知ろうと思うことはありませんでした。「予期できない規模の津波があったのだから、誰も防ぎようがなかったことだ。自然災害が相手なんだから、仕方がないことなのに、原発を運営する電力会社も責任を負わされてかわいそうだな」私はただ漠然と、そう考えていました。
それから、「fukushima50」という映画が公開され、私は少し後になってから見ました。その後に「チェルノブイリ」というアメリカ/イギリス制作のドラマを見ました。衝撃的でした。
もしも福島の原発事故が、チェルノブイリに匹敵する規模で起ってしまったら、私も被害に遭っていたはずで、決して「仕方ないよ」という気持ちではいれなかった。
どんな自然災害があったって、原発は事故を起こしてはいけないし、それを保証できないのであれば、そんなものはあってはいけない。私は強く思いました。

「思い込み」で起こる重大な事故

さて、今回は柳田邦男の「恐怖の2時間18分」を取り上げてみたいと思います。1979年3月にアメリカのスリーマイル島で起った原発事故を扱った、鬼気迫るドキュメントです。

原発事故はまさに人災。それも、とてつもなく大規模な人々の命を奪う可能性があります。それでは、原発にはどのような人が従事しているのでしょう。それはそれは経験豊富で知識豊かな、判断力のある原発を知り尽くしたプロ。マニュアルをすべて頭に叩き込んでいて、予定外のことが起ればプランB、プランcと考える前に身体が動く。冷静沈着で慌てることなどない。そうであってほしい。そうでなければ困る。そう思いますよね。
しかし働く方も人間。マニュアルをつくるのも人間なのです。

スリーマイル島の事故では、異常時の原因が突き止められずに皆が困り果てます。例えば、ポンプが回転しているのに、冷却水の水位がみるみる下がってゆく。職員は、給水管の弁が「閉」になっているという原因になかなか気づきません。彼らは、その弁が常時「開」になっていると思い込んでいたからです。
こういった「思い込み」が、原子力発電所という場所でも起こるのです。

思い込みとか先入観というものは、恐ろしいもので、よく事故原因を形成する重要な要因となる。
人間とはそういう〝落とし穴〟にはまりやすい。原発だからといって、急に人間が高級になるわけではないのである。

さらに、「違反に慣れてしまう」という恐ろしい事態も起こっていました。
事故以前から、逃し弁からの蒸気漏れが続いていて、出口側配管の温度は常時高いままになっていた。彼らはそういった故障に慣れっこになっている。しかしそれを放置して運転を継続することは、『技術仕様書』違反なのです。

運転員たちは、その温度に不感症になっていたのかも知れないということだ。
全般に、この会社の運転員たちは、計器の表示が何を意味するのか、深くつっこんで考えない傾向が見られる。全員がそうだとすると、これはもう、個人の能力とか責任の問題ではなくて、会社の教育訓練に問題があるといわざるを得なくなる。

日本は世界でも最高基準だから

「でも、日本の原発は世界でも厳しい基準だから、それほど重大な事故は起らないはず」というのは誰だってそう思いたいところなのです。
しかし、現実に原発事故は起こった。

高い経済効果を確保するための有力な方法の一つは、原子炉をできるだけ停止させないで、運転率を高くすることである。安全を確保したうえで、運転率が高いというなら、それでよいのだが、バブコック社製原子炉の場合、その基本的な安全思想があやふやになっていた。つまり、ちょっとぐらい異常があっても、原子炉を停止させないで、運転を乗り切ろうというのである。
人間とは、そんなに理想的な存在ではない。アメリカだけで、七十基も原子炉が運転する時代になったら、そこで働く技術者は、運転関係だけでも数千人に上る。彼らはごく平均的な能力水準の集団なのだということを前提にしなければならない。もちろん優秀な男は少なくないが、全員が高いレベルにあるということを前提にして、システムを設計すると、とんでもないことになる。

安全基準があやふやになって、保安点検が十分に行われずに、多くの人が事故で死んだ、ということは、以前の日本でもありました。炭鉱事故です。
私は以前、1981年に夕張の新炭鉱で起きた、ガス爆発事故について調べたことがあるのですが、そこでも同じような事例がありました。
・ガスの濃度が高くなり、機器が危険を探知してピーピーなっていても、慣れっこになってそのまま石炭を掘った。
・資金繰りの悪化で、必要な保安体制に手抜きがあったため起こった人災ともいわれている。

炭鉱は原発と違って、爆発はよくあること、と言われればそうではありますが、防げる事故が人為的なミスや手抜きで起ってしまったということについては、考えなければならないことです。
日本は災害が多い国です。経済も下降傾向です。高い経済効果を求められて、無理に稼働を続け、小さな故障に気付かずに、もしくは気付いていても稼働率を優先して放置していたら。結果を出そうと躍起になればなるほど、落とし穴にはまってしまうような気がして恐ろしくなります。
災害が引き起こす人災についても、具体的な前例を挙げて、教育現場や身近な場所で、もっと話し合いをするべきだな、と思わずにはいられません。


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