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私と家族と心マトリクス【西加奈子著「くもをさがす」を読んで】


小学校教員のsmyle(スまイル)です。
今年度、6年生の担任をしています。

いつも以上に自分語りの垂れ流しなので、
本当に、お時間のある方だけ読んでください。
お目汚しでしかありませんので悪しからず。





息子の心マトリクスとの出会い


私には、小学校低学年のひとり息子がいます。

三連休が続く9月。
三連休はとっても嬉しいけれど、
連休明けの登校のハードルは
いつもの週明けよりも上がります。
(三連休明けって、四日間しかないのに
 いつもの月~金よりなんだか疲れるのは私だけ?)
学校の子どもたちはフワフワしていたし、
トラブルもいろいろあったし、
私も、思わしくない体調にリズムを乱されながら
心をコントロールしたりできなかったりしながら
どっと疲れを纏い、バリバリに凝った背中を背負い、
なんとか連休を迎え、筆を執っている今日です。

息子は風邪が長引き、しばらく休んでいたこともあり
なおさら朝、学校に行くことへの葛藤を抱えていました。
そんな彼に、妻が、手渡したのが
「心マトリクス」図。

葛原祥太所長考案

心マトリクスの説明は
とんさんの記事に任せるとして、

要するに、自分の心の位置を可視化・言語化できるツールです。
「心の地図」とも呼んだりしています。

息子は、言語化が得意な方ではなく
「…わかんない」となってしまうことも多い。
でも手にした心マトリクスをもとに
「今のきもちはどのあたり?」と聞いてみると、
「この辺」と、指でぐるりと囲みながら、
自分の心の位置を、教えてくれたのです。


心マトリクスは「導入した」のではない


私の受け持つ6年生の教室では、
この4月から心マトリクスを導入しています。
自身の心の位置を知ることの価値を語り、
継続的に活用していくことで、
だいぶ彼らの「言語」になってきたところです。
それは、彼らの実態からみて必要と思ったからですし、
学級経営の大きな助けになると思ったからです。

その大きな効果から、家族にも
息子にも心マトリクスを手渡せないかと思い、
「心マトリクス図」(低学年なのでひらがなバージョン)を
印刷して、ラミネートして、
家に置いておいたのです。
すぐに手渡すのではなく、
「今、ここが手渡す時だ」となったときに、
渡せるように。
ですから、ダイニングのカウンターの
端っこに置かれた心の地図は、
ラミネートが照明の光を反射しながら
その時をずっと待っていました。


初めに手に取ったのは妻


「これなあに?」
私自身、置いておいたことを忘れていた
カウンターの隅っこに置かれているそれに
反応してみせたのは妻でした。
息子が寝静まったあと、
そういえば妻にも説明していなかったな、
この心の地図の話をすることになりました。

何の話の流れだったか、
結論から言うと、
これからの人生、もっと生き切ろう、という話をしました。
遠慮がちに生きている二人だけれど、
やりたいことをやりたいようにやらずに生きるなんて、
後になってやっておけばよかったと嘆くなんて、
勿体なさすぎる、そんな話になりました。

妻はとある出来事から、
やりたいことを、めいっぱいやりたい!と思うようになり
やりたいこと、夢を大いに私に語り、
じゃあその実現のために
まずはこんな第一歩を踏もうか、と
二人で相談したりしました。
妻は、本人は謙遜するけれど、
素敵な面をたくさん持っていて
それがやりたいこととも概ね合致していて
それがただただ格好良くて、ほんのり羨ましかった。


私が得意なことはやりたいことは


そして矢印を自分に向けたときに、
これは今までの人生でもいつも思っていたことだけれど、
私にできることは何で、得意なことは何で、
やりたいことは何なのだろう。

いつもプロフィールの「趣味・特技」に頭を悩ませていて
「趣味」の欄に何かしらを書き込みながら、
もう一人の自分が「本当に好きといえるの…?」と話しかけてくるし、
「特技」の欄に何か書き込もうものなら、
「それってただの習い事やん」と関西人でもないのに
(両親は関西人だからDNA的にはセーフ)
自分に突っ込んだりしている。

自分は「趣味」でも「特技」でも
自分の「好き度」が人と比べて大したことないからか、
「そもそも人と比べる物じゃない」なんて常套句も
分かりきった上でそれでも言うんだけど
こんなんで良いのかなといつも思ってしまう。

「何が得意?」「得意な教科は?」とか聞かれるたびに
少年だった頃からいつも困っていた。
私は器用貧乏なタイプで、どの教科も何でも「それなりに」できた。
1番じゃないけど、勉強はできたほうだったし、
運動神経もそんなに悪いほうではなかった。
リレー選手にも何回かなった。
(ただ学童野球は守備が壊滅的に下手で代打専門)
だから特に大きく何かが出来なかった記憶はないのだけれど、
とりたてて秀でた何かがクローズアップされた記憶もない。
(されたかもしれないけれど印象にない)
「得意な教科は?」「好きな教科は?」と聞かれたとき
とても困った。得意も好きも、全部「それなり」だったから。

「趣味」も困った。
心の底から湧き上がる、形として見えるような
「スキ」がなかったからだ。
でもいっちょ前に人目は気にするから、
周囲の「趣味」らしきものを形だけ追っかけたりした。
中学の時、音楽に興味は全くなかったけど、
周りの友達がみんなCDを買っていたから、
あわててCDショップに駆け込み
なぜだか一気に15000円分くらい買った。
お年玉は一気に底をついた。

それ以降は、ほとんど買わなかった。
だって音楽を聞かないのだから。
私の部屋には、同じ時期に発売されたCDが
なぜだか15000円分もあった。
それらのCDのうち半分は、一度も聞かれないまま売られた。

漫画も、親戚のおじさんがくれた
「ドカベン」をむさぼるように読んで大好きになったけれど
自分でマンガを買う情熱は一向に湧いてこなかった。
友達は何かしらのコミックスを集めて読んでいるらしい。
「何か僕も、連載しているコミックスを買って、集めなきゃ」
という謎の強迫観念に駆られて、
書店に駆け込み、その頃連載を開始して比較的日が浅かった
「名探偵コナン」を集め始めた。
実際、コナンは面白かったけれど、
面白いから買い続けているのか、
収集している何かが欲しかったから買い続けていたのかは
よく分からなかった。
(結局、コナンは途中で買うのをやめた。長すぎた。)
今もマンガはほとんど読んでいない。
ワンピースも鬼滅の刃も呪術廻戦もブルーロックも
全然知らない。

大学生を卒業したころ、夏フェスとやらに行きたくなった。
いや、夏フェスに行く若者になりたくなった。
洋楽が好きな友達が「サマーソニック」に誘ってくれた。
相変わらず、音楽が好きでもない僕は
フェスに行ったら好きになるかもしれない
もしかして洋楽をすきになっちゃうかもしれない
という淡すぎる幻想を抱いてフェスに行った。
音楽がそんなに好きでない僕が、やっぱり
「英語だから何を言ってるかもわからない」洋楽を
好きになるわけもなく、
洋楽アーティストのはざまにちょこちょこ出演してくれている
日本人アーティストのステージに
友人と別行動をして、その空間にたゆたっていた。
(でもミスチルは泣いたし、B'zはかっこよかったし
 ホルモンでは生まれて初めてヘッドバンキングした。
 おれ、ふぇすで、へどばんしたんだぜ。)
サマソニは結局、5回くらい言ったけど
5回とも、全部同じだった。

同時期、何かコレクションしたい、
収集癖のある自分でありたいと思い
「スマイリーグッズ」を集めるようになった。

車のキーにも

ニコちゃんマークがついているグッズはどこにでも売っていて
100均とかヴィレヴァンとかその宝庫だから
収集がはかどるはかどる。
それなりに楽しかったけど、
派手過ぎるそのグッズは日常遣いには不相応で
結局買ったものたちは部屋の一角に押し込められて、
10年前くらいに、ほとんど売ったり捨てたりした。

そう、思い返すと
私は自分が何が好きなのか、探そう探そうとしていたのだ。
自分がやりたいことも得意なことも
ずっともやがかかったまま
その中を進んでいる感覚なのである。


いちばん心マトリクスが必要なのは


教室で心マトリクスを子どもたちに示し、
我が息子にも心マトリクスを手渡したけれど、
何より「自分」が見えていなくて
「自分」がどこにいるか分かっていないのは
何を隠そう私自身なのだ。

私は、息子が寝静まった後の妻との会話の中で
「ぼくは、じぶんが、わからない」という
上述したグダグダとした話を聞いてもらった。
そしたら、
「私は全然、そう思わないけどなあ。」

それは私の意見への否定、というニュアンスではなく
私という存在への全面的な肯定、
と受け取れるような言い方だった。
「あなたが、自分の得意やいいところが分からないんだったら
 私が教えてあげるよ。」
私は「じゃあ、それは何?」とは聞かなかったし
妻もその場ではその具体を言わなかった。
でも、その言葉で、私は私の中に
「何か」がある気がしたし、
それを「見つけたい」と思った。

そのとき、ダイニングのカウンターで、
妻とわたしに挟まれるように置かれた心マトリクス図を見ながら、
私は
「そういえば、自分のために心マトリクス図を使ったこと、
 なかったかもしれない」

けテぶれでもQNKSでも、まずは教師自身がやってみて
そうしてから手渡すべきで
それは心マトリクスもそうであるはずなのに、
私は「心マトリクス」の中に
ちゃんと自分を置いたことがなかったのだ。
妻に、「今はこの図のどの辺?」と聞かれて、
「モヤモヤとかイライラをぐるぐるしていたけれど、
 この時間のおかげで、グングン月ゾーンに行けた気がするよ」
妻は、「この図、すごいね」と言った。


息子に手渡された心の地図


そしてあくる日、
息子の手にいつの間にか、
ラミネートされた心マトリクス図が握られていた。

病み上がりの彼に心の位置を聞くと
「だらだらとふわふわとにこにこかな。
 朝だからだらだらしてて、まだ眠いからふわふわで
 でも朝ご飯を食べたからにこにこ!」

息子は「にこにこ!」と言った瞬間わずかに表情が明るくなり
その後はスッと学校の支度をして、学校に向かった。
自分の感情の位置を、自覚するってこういうことなのか。
あのわずかな表情の変化が、その瞬間なのか。
息子は、心マトリクス図をとても気に入り
なんとなくリビングで座っているときも、
片手にそのラミネートを握っていたりする。

心マトリクス図で息子と初めて対話したとき、
どの場所にいても良いこと、
どの気持ちでいるときも大切なあなたであることを伝えた。

と同時に、なんでその言葉を
私自身には上手く掛けられないのだろうとも思う。
だからこそ、心マトリクスが要るのかもしれないけれど。

私は、あの夜の妻との会話の日から
「やりたい!と心に浮かんだことはやってみよう」
と心に決めた。
取り急ぎ、旅行は好きだから旅行には行きまくろうと思う。
いつか近いうちに行きたいと言っていたUSJに
行くためのホテルをその晩に予約したし、
けテぶれ交流会も迷わず行くことにした。
まずやってみて、見えてくるものもたくさんあるだろうから。

というか、よく考えてみたら
自分の「スキ」や「趣味」を探してもがいていたあの頃が
今の自分にも何となく作用していることに気づく。
あの聞くあてもなく買い漁ったCDの
その中の1枚だった「インディゴ地平線」のおかげで
スピッツが好きになった。
なんとなく洋楽・音楽好きの周りのノリに合わせて
バンド組もうぜという話になって
ドラムが面白そうだったけどドラムセットなんか買えなくて
なんとなくスティックだけ買ってそのままにしていたけど、
実は、ドラムを習い始めた。息子と。
そう言えば今も音楽を聴く習慣はあまりないけれど
歌を歌うのは好きだ。
仕事の行き帰りは、熱唱するかvoicyを聞くかしている。
そう言えば、寝間着のTシャツは
10年以上前の西暦が書かれたサマソニTシャツのヘビロテだ。
フェスTは実に耐久性が高い。
スマイリーグッズを集めていた私が
今「スまイル」と名乗っているのも
あの頃のあの衝動がもたらしたものでしかない。

あの頃の何かが今の自分を形作っている。
そして、今の自分はあながち嫌いではない。
ドラムは相変わらず趣味というより「習い事」だし
あいかわらず特技と聞かれても書くことはない。
じゃあ趣味は「仕事」?学校のこと?
仕事が趣味だなんてともいわれそうだけど、正直、実際、
しんどいけれど教育のことを考えるのは楽しい。
今の私は、学校のことを考えて
いろいろもがいている瞬間が一番輝いている気がする。

趣味とか、無理やり探さなくていい。
「自分」について考えていたちょうどその日、
月曜日の憂鬱を運んでくることでお馴染みの
「サザエさん」の中で、マスオさん(28歳。若い!)が
同じような葛藤をしていた。
「趣味が欲しい」
そしてこう結論付けていた。
「無理やり見つけるもんじゃないですね」
波平(54歳。若い!!)が「左様」とうなずいていた。


西加奈子「くもをさがす」


そして今日、図書館で借りて
さっき読み終えた
西加奈子著「くもをさがす」

(今年読んだ本はこれで143冊目だから、もはや立派な趣味か。
 意外とあるな。見ようとしていないだけか。)
コロナ禍に、乳がんを宣告された著者のノンフィクション。
心身の葛藤を、取り巻くバンクーバー人の軽やかさを、
関西弁を緩衝材にして、ありありと伝えてくれる。
死は紛れもなく身近で
当然だが自らにも起こりうるものだと、
リアリティが立ち昇ってくる作品。
読み終えた今の私は、死ぬのが、
今までと同じかそれ以上に怖くなった。
そして強烈に生きようと思った。
自分の心身と上手に向き合いながら
思いっきり生きようと思った。

教室は、
子どもたちにとって
学校においての生きる場所だから、
教室で苦しんでいるあの子にも
葛藤しているご両親にも、心マトリクスを届けたい。

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