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大学改革の顔

「ソーシャルインパクトが期待できない研究は無駄です!本学では、そういった無駄な研究は許されない!」

 改革担当理事が言った。

「無駄な研究を排除してスリム化を図り、大学全体としてソーシャルインパクトの高い研究にフォーカスします」

 教職員はざわついている、ように思えた。実際のところはわからない。この教職員研修はリモートで行われているからだ。

 改革担当理事の言葉にAは驚き、自分の研究が無駄と見做されるか否かを少し考えた。

 提示されているスライドには、「スリム」「フォーカス」「ソーシャルインパクトが期待できない研究はしない!」「無駄な研究はなし」「専門技術が必要ない作業は機械化・自動化!」「先進性と機動性をキーワードに!」といった言葉が並ぶ。

「そもそも改革担当理事っていう名称はどうなんだ?」

 AはPCを前にして呟く。もちろんマイクはミュートにしてある。
 改革を掲げる所作が古臭く映る時代になった、Aはそう感じていた。改革は、一つ前の元号を象徴する言葉だ。

 改革担当理事の話は続いている。

「Withコロナで問われたのは、ソーシャル・トリアージです。社会全体で本当に優先すべきものは何か?無駄は何か?そういったことを突き詰めていかなければいけない」

 理事が持論を展開する中、モニターの下方でチャットの通知バッチが点灯した。リモートで行われている今回の教職員研修では、参加者がチャット機能を用いて随時コメントや質問を投じることが可能になっている。

[コメント]
研究テーマについて選択集中するのではなく、大学全体として多様なテーマを遂行すること、研究環境としての「遊び」を確保することが、学問の自由という観点からも健全ではないでしょうか?

 紋切り型の反論だな、とAは思った。
 今となっては、「学問の自由」は学者や研究者の言葉というより、左派の言葉になってしまったような気がする。こういった言説への反動を養分に育ってきた改革派は、「学問の自由」を既得権益、自らを勇気ある対抗者と定義するのであろう。抵抗勢力をラベリングすることが改革のTIPSの一つだ。

[コメント]
方針に全く同意できません。金の取れる研究だけやれ、といった研究のスリム化は、大学院生や教員・研究者の自由な発想を持った研究を困難にすると思います。
[コメント]
無駄な研究の削減について、誰が何をもって必要・不要と判断するのでしょうか?多様性を潰していく、主流以外を切り捨てていく危険さを感じます。

 「多様性」という言葉は誰のものになるだろうか。改革派がこれを簒奪する日が来るかもしれない。多様性を破壊する者が多様性を語る倒錯が起こることも、ありえなくはない。

[コメント]
“突出した研究”を推進するにあたって、専門ですらない理事の先生方に判断することが可能とは思えません。本学全ての研究の評価を外部に委託することも現実的ではありません。

 選択と集中は、評価の過大評価を前提とする。評価対象の持つ価値や将来性を正確に評価することが可能だと信ずるからこそ、選択と集中という手法が可能になる。
 改革担当理事にとって、コロナ禍は未来の不確実性を教えてくれたわけではなさそうだ。

「緊急事態宣言発令に伴い、大学からは研究の自粛の依頼があったと思います」

 改革担当理事が言った。
 緊急事態宣言下、国民は移動を7割、できれば8割削減することを求められた。附属病院を有する本学は、臨床で働くスタッフは出勤せざるをえないため、基礎研究に従事する教職員に9割の出勤削減・在宅勤務を求め、全学として7割の出勤削減を目指したのである。

 Aは、チャット画面から理事の顔に目線を移した。

「私は、自分のいた分野の大学院生たちにメールをしたんです。自分の研究が不要不急の9割に入るか、本当に必要な1割に入るのか考えて、1割に入ると思ったら大学に来なさい、と。そうしたら半分の大学院生は大学に来て研究を続けましたが、残りの半分は来なくなりました。そういうのが無駄な研究、ソーシャルインパクトの無い研究なんです」

 Aは思わず苦笑いした。
 感染拡大防止のため、社会の要請に応えるため、泣く泣く研究を中断している教職員は多いだろう。自分もデータ採取を中断し、在宅で手持ちのデータをまとめたり論文を書いたりしているが、出来ることなら大学に行き科研費申請のためのパイロットデータを取りたいというのが正直なところだ。

 コメント欄には批判的な意見が並ぶ。

[コメント]
COVID-19によって研究を1割に制限するよう大学から要請されている中、自身の分野の研究者に対しては必要ならば研究を継続することを容認するような発言をし、約半数の研究者が研究を続けたというような内容は、研究継続を理事のお墨付きで容認したように受け取りました。大学としての使命のために研究活動を制限した研究者に対して失礼ではないでしょうか?
[コメント]
社会のために研究を我慢した多くの研究者に対して失礼です。
[コメント]
COVID-19に全学で対応する上で、基礎系の出勤自粛は重要なミッションだったはずです。特にCOVID-19で研究自粛した人々に対して「自粛できるということは本来必要ではない研究だった。そのような不必要な研究はするべきではない」との発言は、全学でCOVID-19にうまく対応したことに水を差しかねません。
[コメント]
役に立つ研究だったら在宅勤務にする必要が無いというご意見に衝撃を受けました。第二波がもし来たときには、今度は私も研究を積極的に継続するようにします。
[コメント]
研究レベルを9割下げてと頼んだら5割の人が来なくなり、そういうのが要らない研究、という単純な評価がされるなら、在宅勤務や働き方改革など進まないのではないでしょうか?

 緊急事態宣言下の研究制限は、改革担当理事にとっては無駄な研究を選別するイベントとして機能したようだ。
 この論理はどこかで聞いたことがあるな、とAは思った。

緊急事態宣言下で病院の受診控えが起きた。受診を控えたということは、そもそも不要な受診であり、無駄な医療である。緊急事態宣言下で受診が減った病院は、不要な受診で診療報酬を稼いできたということだ。無駄な病院を潰して医療費を削減すべきだ。

 先日見たテレビ番組で評論家がそう熱弁をふるっていた。

 同じだ、Aは確信した。
 緊急事態宣言下の外出自粛は、この評論家にとっては無駄な医療を選別するイベントだったのである。

 改革担当理事の話は診療部門の話に移っていた。

「必要性が低い診療科を縮小します。具体的には、コロナ禍で患者が減った科、Postコロナで患者が戻らない科を縮小します。Society 5.0への転換加速は前提条件であり、リモート診療や5G、大規模データの活用は必須です。医療ビジネスへの進出を目指し、大型産学連携や大学発ベンチャー起業を推進します」

 不採算部門の削減という発想は、財政難を前提とする。
 国立大学はどこも財政難である。多額の赤字を抱える本学が10年後には財政的に立ち行かなくなるのではないかという噂は、学生にまで届いているようだ。かねてから医学部を欲しがっている超有名私立大学に合併吸収してもらうのが良いか、という案も上層部の会議で出たという話だ。

 仮に、政府支出乗数の高いであろう教育や医療への政府支出を大幅に増やし、社会の発展や経済成長の駆動力とする発想があるならば、国立大学への政府支出を増やすことが最も現実的な解決策であろう。しかしそうはならないのは、大学の財政難とその制限と拘束の中で頑張る自分たち、という構図に半ばやりがいを見いだしてしまっているからかもしれない。

 コメントが付く。

[コメント]
不採算部門、患者が戻らない部門の縮小廃止のお話は、とても驚きです。患者がすくない=いらない部門ではなく、希少で大学でないと扱えない症例を扱う部門もあると思うので、ご検討をお願いいたします。

 コメント主の名前を見ると、所属が(小児科)とある。大学病院の小児科は、小児神経難病などの希少疾患も扱う。

[コメント]
ソーシャルインパクトの高い研究しかやらない大学はもはや大学ではなく企業だと思います。国立大学だからこそ出来る社会的な役割を考えるべきだと思います。
[コメント]
「選択と集中」は平成のビジネススタンスのようであり、学問の府としては既存研究の選択ではなく若手による創造的な研究の萌芽を促す施策を実施すべきではないでしょうか。
[コメント]
近視眼的に流行りの「映える」研究を行うというではまるで企業の経営のようで、国立の大学、研究機関としてはあまりに短絡的だと思います。

 コメントは続く。これはいわゆる「炎上」というやつなのだろうか。リモートかつテキスト媒体で発言できる心理的ハードルの低さゆえか、教職員からのコメントが多数寄せられる事態となっている。

 まるで企業、というのはその通りであるが、それ自体は何の批判にもならない。なぜなら、今、国立大学はまさしく企業になることを目指しているからだ。成長戦略会議や科学技術基本計画でも述べられているように、「国立大学を真の経営体へ転換する」ことが大学改革の目的の一つである。
 まさに企業になることを目指している者に向かって、それではまるで企業だと言ったところで、その通りだとしか言いようがない。

[コメント]
ソーシャルインパクトのない研究分野を縮小する、という考え方は非常に恐ろしいと感じます。オリンピック前にはスポーツ医学が重要だと声高に言い、著名人を教授に据えたと思うのですが、その時に打ち出していた計画はどうなったのですか?流行りに乗って次から次に新しいことに手を付け、不要と判断したものを切り捨てていく大学の方針には疑問を感じます。
[コメント]
表層的な流行を追うばかりでは、本来有していた学術的な地力を失っていくのではないかと心配です。

 流行を追うという生易しいレベルの話ではないだろうな、とAは思った。

『日本政府に楯突くような行為を禁止する』

 少し前に本学の教職員を対象に出された通知を思い出す。
 日本学術会議への政府の介入が世間を騒がせ、多くの学会が抗議声明を出す中、本学は内部に通知を出すことでそのスタンスを露わにした。日本政府に楯突くようなことをすれば、日本学術会議のようにいつか大きいしっぺ返しをくらう、それを防がなくてはならない。大学執行部のこのような考えは、保身に映るだろうか、戦略的に映るだろうか。
 流行を追うように見える大学執行部の動きは、日本政府の無言の支配によって強制されたものなのかもしれない。

[コメント]
近視眼的でカタカナ語に踊らされた内容のように思います。
[コメント]
最近流行りの「映える」ものを寄せ集めるだけではなく、10年、20年先を見据える必要があると思います。

 我々教職員は、もはや近視眼的な視点しか持てなくなっている気がする。教授、准教授、講師の任期は5年、助教の任期は3年だ。
 1997年に定められた大学の教員等の任期に関する法律では、「大学教員の流動性を高め大学における教育研究の活性化を図るために、大学教員等の任用に当たり任期を付すことができる」と記している。国の大学審議会による、「大学の判断により、再任を認めない運用も可能とする」「再任審議の時期等については、当該教員の円滑な異動という観点にも十分配慮した上で定める必要がある」といった答申が、各大学において教員任期を短くする規則の制定を促した。

 数年後は無職かもしれない、と言ったら大袈裟だろうか。時の総理大臣ならば、「最終的には生活保護という仕組みがあります」と言ってくれるかもしれない。

 我々任期付きの一般教員は、大学の10年、20年先を考えるような環境には生きていない。理事の先生方はどうなのだろうか。

 続けて、改革担当理事は指定国立大学について話し出した。

「指定国立大学とは、我が国の大学における教育研究水準の著しい向上とイノベーション創出を図るため、世界最高水準の教育研究の展開が相当程度見込まれる国立大学法人を“指定国立大学法人”として文部科学大臣が指定する制度です。これはトップクラス国立大学の枠組みの大転換を意味します」

 本学は今年、指定国立大学法人に指定された。要は、大学間の競争に勝ったのだ。

「指定国立大学になるメリットは、今後明らかになってくる部分もありますが、例えば役員報酬の増額が可能になること、コンサルティング会社等への出資が可能になること、資金の運用が可能になることなどがあります。さらに今後は法人の要望状況に応じて規制緩和が検討されるなど、有形無形の様々な恩恵が期待できます」

 改革担当理事は嬉しそうに語った。もう少し目を凝らせば、その額に「勝ち組」と書いてあるのが見えそうだ、とAは思った。
 競争がイノベーションを生むなどと誰が言い出したのだろうか。根拠なく語られるその通説は、いつの間にか日本中に蔓延した。デフレ・ディスインフレを放置してイノベーションについて語るのは、食事もろくに食べさせずに子供の体育の成績をどう伸ばすか議論しているかのようだ。そうか、これが財政的幼児虐待というものなのかもしれない。
 安定したインフレはイノベーションを生みやすくするのではなかったか。十分な財政出動も無いまま生産性の議論ばかりして一体何がしたいのか。そんなにデフレが好きなのだろうか。

 改革担当理事の講演が終わった。コメント欄には、教職員の不安の声があふれる。

[コメント]
役員報酬を増額できる点を第一のメリットとして挙げていることに疑問を感じます。
[コメント]
指定国立法人化のメリットで『理事の報酬が上がる』が一番最初に出ましたが、それが第一のメリットなら、必要性を感じません。

 改革の飴と鞭。飴は改革派に与した役員に届けられるとして、鞭を受けるのは誰だろうか。

[コメント]
理事のお話が、自分の考えなのか、大学の考えなのか、分かりません。自分の考えならいいですが、大学のだとすると、ちょっと嫌な気分です。
[コメント]
研究のスリム化の話は、コツコツ地道ででも必要な研究が蔑ろにされるような、意欲を削ぐような悲しみが湧いてきました。小さな大学には戦略が必要とか、お金を取るためには流行りの研究を、というのも一方ではわかりますが、スリムスリムと連呼されると、不安ばかり募ります。
[コメント]
大学のスリム化によって縮小される立場にある可能性があり不安です。
[コメント]
この大学にこのまま勤続してもいいのかと不安になります。
[コメント]
精神的に追い詰められた状況で研究・臨床を強いられたり、もしくは必要でないとバッサリ切られてしまうのではないかと不安になります。
[コメント]
なんだか、やる気がなくなりました。無理をして、この大学で働く必要もないと、考えるようになりました。

 危機を主張する統治手法がある。「自由」な「純粋競争」のゲームを強制するために、危険を演出する。人々がリスクを引き受け、それに直面するように。この統治手法を何と呼ぶべきだろうか。

 教職員の不安の声に焦りを覚えたのか、学長のフォローが入る。学長の顔がモニターに映し出される。

「えー、皆さん色々と驚かれた点もあったかもしれませんが、今の改革担当理事のお話は大学の決定事項というわけではなくて、あくまで改革案の一つですので。改革担当理事にはあえてややラディカルな話をしていただいて、その上で皆さんからの意見を聞きたい、そういうことです」

 これは、教職員の反応を探るための観測気球だったのだ。

「学長、補足していただきありがとうございます。今、学長がおっしゃったように、私の方からはあえてラディカルなお話しをさせていただきましたが、その真意は、皆さんに危機意識を持って取り組んでいただきたいということです」

 自信と熱意に満ちた改革担当理事は、まさに大学改革の顔をしていた。

 教員研修のプログラムはこれで終わりだ。別の理事が閉会の辞を述べている。
 コメント欄は、決して否定的な意見だけというわけではない。

[コメント]
現在の執行部の手腕は素晴らしいと思います。ソーシャルインパクトに重きを置く方針は本学の生き残る道として正鵠を射たものと思う。限られたリソースの中でどれだけもがけるか、無制限の自由などどこにも存在しない。

 自由を語る際に同時に限界と拘束を設置する所作こそが、改革の欲望を掻き立てる装置なのだろう。自由を、拘束とともに作り出す。そしてそれをあたかも自明のもののように、自然の摂理かのように語るのである。

[コメント]
本学ならではの研究の方向性を示すべきであるというお考えに賛同します。他大学との連携や産学連携により、特に医療費削減への政策提案ができる本学を目指しましょう!

 医療費削減を求める医療関係者とは恐れ入ったな、とAは思った。
 一昔前、2025年に日本が医療費で破綻するという言説が流行した。その期限が数年後に迫る今となってはその珍説を信じている人はもはやいないだろうが、こういうのは世紀末の終末論と同じで、ミレニアムを過ぎたって世界の破滅を恐れている人はいる。あたかもそれを欲望しているかのように。
 日本の財政破綻の可能性が財務省によって公式に否定されている現在でも、医療費を削減したいという欲望だけは根拠を失ったまま残っている。それもまた、改革の養分となるのだろう。

[コメント]
改革にはどうしても痛みが伴います。本学の発展のため痛みに耐えて頑張りましょう!
[コメント]
教職員全員で改革しようという意識を共有できたと思います。


 批判的な意見も多く見られたにもかかわらず、モニターに映る改革担当理事は満足そうだ。
 改革勢力と抵抗勢力を色分ける、その分断こそが改革の醍醐味である。

 かつてない盛り上がりを見せた教職員研修が終わった。

「はぁ…」

 溜息をつきながらAはPCを閉じた。大学は、この先どうなっていくだろうか。

 Aは、大学改革と日本の科学研究の未来について考えようとして、やめた。未来のことを考えられるのは、任期までの数年先が限界だ。
 そろそろ転職先についても考えた方がいいだろうな。


(完)

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。


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