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震災から見る故郷への愛

10年前の3月12日早朝。
騒がしい音で目覚めると、私の家から車で1時間半ほどの距離にある宮城県南三陸町に住む叔母夫婦が、慌てた様子で家に来ていました。

「家が流された」

「どういうこと?」

「津波で全部流されてしまった」

地震発生直後から数日間、停電や通信障害があったため、全国ニュースになっているほど地震の被害が甚大であることを知らなかった私たちは、叔母たちの言葉に混乱しました。

夏休みに毎年泊まりに行っていた、大好きなおばちゃん家が??
家が流されるくらいの津波って、何??

理解が追いつきませんでした。
ただ、叔母たちの焦り方から、本当に大変なことが起こっているんだと感じ、叔母たちが無事でいてくれて良かったと、涙が溢れました。
叔母たちは服や寝具などを持ち、すぐにまた南三陸町の避難所に戻っていきました。

数日後、電気が復旧し、すぐにテレビの報道を見て、私は驚愕しました。
もの凄い勢いで押し寄せる波、家や車が海に向かって流れていく様子。
現実とは思えない、理解し難い映像。フィクション映画を観ている感覚でした。
同時に、この光景を高台から見た叔母たちの気持ちを考えると、胸が強く締め付けられました。
あの日から10年。
叔母と叔父は南三陸町に家を建て、今も元気でそこに暮らしています。

昨年、岩手県陸前高田市の「東日本大震災津波伝承館」を訪れました。
そこでも、流された土地に家を建てる人がいることを知りました。
不謹慎とは思いつつも、つい解説員の方に、「なぜ被害が推定される地域に家を建てるのか。また津波が来たらどうするのか」と尋ねました。
すると彼女は、「警報が出たら、すぐに高台に逃げるだけですね」と爽やかに答えました。

この一言で私はハッとしました。

沿岸部で被災された方は、何もかもを奪った海を憎んでいるだけではない。もちろん何度憎んだことか、その気持ちは計り知れませんが、それ以上に、"人生を共に過ごした海と、これからも共に生きていく"、という強い気持ちがあるのだと、確信しました。
住み慣れた南三陸町を選ぶ叔母たちの気持ちも、改めて理解できました。

私が教員だった頃からずっと好きな合唱曲があります。
「群青」という曲です。
この曲は、福島県南相馬市立小高中学校の平成24年度卒業生が作詞、その当時音楽の教諭だった小田先生が作曲しました。原発事故のため避難を余儀なくされ、離ればなれになった友への想い、故郷で再会しようという想いを込めて作られたそうです。
この曲からも、故郷での思い出、故郷への愛を感じます。

東日本大震災から10年。
私は、"どんな困難があっても安心して帰れる場所、帰りたくなる場所を作ることが、人々の安心・安全を守ることに繋がる"ということを学びました。
そろそろ結婚を意識する時期。パートナーとよく話し合って、家族にとって最適な環境作り、温かい雰囲気作りを目指し、どんな困難にも打ち勝てる愛に溢れる人生を送りたいです。

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