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養護教諭だったことが「自分らしさ」だ

養護教諭を辞めて3年が経った。
3年経って思うのは、あの時決断して良かった、他に続けたいと思う仕事に出会えて良かったということ。

夢がなかった学生時代

先生になりたいと思ったことはなかったし、まさか自分が先生になるなんて、学生の頃は想像もしていなかった。
進学先でたまたま養護教諭の免許が取れたから、せっかくなら取っておくか〜という軽い気持ちで教職課程を履修した。
心理学に興味があったため、講義とは別に、学校外でカウンセリングに関する講習を受けたりもした。

養護教諭1〜3年目

2年制の短大だったため、あっという間に社会人になった。相変わらずこれといった夢はなくて、自然な流れで養護教諭になっていた。
養護教諭といっても、初めは常勤講師として働いた。
初めての勤務校は特別支援学校だった。
障がいがある子どもへの知識があまりなかったので、戸惑うことが多かった。辛くなって、学校で泣いたこともあった。
それでも踏ん張れたのは、小学部から高等部までの可愛い子どもたちと接することができて、優しくて頼りになる同僚や上司に恵まれたからだなぁと強く思う。

教員採用試験は一応毎年受けていて、講師3年目の年に受けた試験は、まさかの合格。
正直、心から喜べなかった。教員になる覚悟が足りなかったからだと思う。
正規職員になったことで3年勤めた学校を離れることになって、中学校の養護教諭として働くことが決まった。正規職員になって校種も変われば気持ちも良い方に変わるかも、そう思って、新しい環境に飛び込んだ。

「やりたいこと」と「できること」

採用になり、異動して、自分の裁量でできることが増えた。楽しかった。私が養護教諭として果たしたい目標が「児童生徒が健康に関心を持ち、生涯健康でいられるような基礎を培う」だったから、健康に興味を持ってくれるような働きかけがたくさんできて、充実していたなと思う。

しかし、さまざまなことに取り組んでいくにつれ、子どもたちが健康でいられるには、周囲の協力や家庭の理解がとても重要で、私にできることって本当にちっぽけなのだと感じることも増えた。
やりたいことがあっても、できることには限りがある。そのギャップが辛くなってしまって、私には子どもたちを守れないと思い、養護教諭5年目で退職した。

置かれた環境で最善を尽くすこと

今となっては、限られた「できること」の中で最善を尽くすことが、仕事することにおいて大切なことなのかも、と思うことがある。

現職のスタートは契約社員で、登用試験合格を経て、現在は正社員8ヶ月目である。
こんなペーペーでも新入社員の指導を任されて、日々奮闘中である。
今特に心がけているのは、新入社員の子と信頼関係を構築すること。毎日10分程度面談する時間を設けて、雑談をして、まずはお互いをよく知ることに努めている。
こちらから聞かずとも自分から話題を出して話してくれることが増えて、生き生きしている姿を見て嬉しく思う。

その他にも、お客様対応時には相手を受容し同じ目線に立つことや、アサーティブなコミュニケーションを心がけている。
今は前職とは全く違う仕事だけれど、どの仕事でも大切な「コミュニケーション」について学んできた経験はこれからも大切にしていきたいし、たくさん人と関わり続けて、もっと自分に磨きをかけていきたいと思う。

結論、教員は素敵な職業

退職の理由は他にもあるが、子どもたちの成長をそばで見守り、心が動かされる瞬間を目の当たりにすることができる教員という職業は、何にも変えられない素敵な職業だと思う。
この先復職することはないと思うが、日々奮闘する先生方をこれからも尊敬する。

退職後も文通している教え子は今年で高校3年生。先日も手紙が届いて、元気でいてくれるならそれだけで幸せだと、心が温かくなった。
彼女はまだ私のことを「先生」って呼んでくれるけど、子どもたちが私を「先生」にしてくれたことをいつまでも感謝したい。

何が言いたいのかよく分からなくなってきたけど、どんな経験も必ずプラスになると信じて、これからも私らしく生きていきたい。

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