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夜の仕事の終わりを待つ園児の日常(幼少期編4)

ちょっと他の子と異なるのが、夜になると仕事のため知らないオバさんの家に預けられることが嫌だった。深夜になると預け先で寝てる私を親が抱きかかえながら家に帰る日常。なので寝て起きたらオバさんの家から自分の家にいる不思議現象の謎は何なのか悩んでいたぐらいに気持ち悪かったのだ。
預けるオバさんさんにもローテーションがあるらしく数人で私を請負い遊んでくれるのだが、無関心な人、子供好きな人、勉強を教えてくれる人とか今思うと全員独身オバさんだったような気がする。
そんなセーフティーネットがあるのだろう。厄介なのは50歳超えたオバさんでショタ好きなのか出ない乳を舐めさせてくる人がいて今でも軽いトラウマだ。
しかし親の仕事は私にとっては問題ではなく、「遊び友達が欲しい」この一言に尽きる。無事幼稚園デビューを果たし友達を増やすが、どうやら私は山梨弁があるらしく「〜するずら」などを指摘されイントネーション含め標準語を友達を通じて矯正されていく。幸いにもイジメにはあっていなかった。

この生活様式は小学校入学直前まで続く、弟が誕生するからだ。これでママがずっと家にいてくれる淡い期待と、今度は弟が山梨へ捨てられないように私が守ってやらなければいけないと生まれてもないのに兄として覚醒していく。
我ながら真っ直ぐな子供だったと思う、しかし残念なことにこれは親の愛情によって育まれたものではなく私を預かってくれたオバさん達によって色々教えられたものなのだ。
「友達は大切に」「年少者は守ってあげる」「挨拶しましょう」「親に有難うとごめんなさいを言える子になりましょう」等々、いろんなオバさん目線の英才教育だったと思う。近所で賢く生きる処世術も色んなオバさんから教わり、小学校入学前までには近所のちょっとした顔になっていく。どれぐらいの顔かと言うと団地でお招きしてくれてお菓子やお話を聞いてくれるお姉さんや、材木屋の大将が余った材木で武器めいたモノを作ってくれたり、それを保管するため空いてる倉庫を塗装屋のオヤジさんが貸してくれたり、その倉庫を友達とシェアしてさらに友達が出来ていくような、地元の人に育てて貰った下町気質がまだ大田区馬込にはあった。こうやって地元から離れない長男系ヤンキーは出来上がっていくのだろうか。先に伝えておきますが、私はヤンキーではなく品の良いお坊ちゃまだと自覚しています。

メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。