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私とサッカー⚽️高校時代編(後編)


noteへ訪れてくださってありがとうございます😊


私の人生の中心であるフットボール

その中のまずサッカー⚽️時代から現在にかけての記事を書いています。


本日は、そんな高校時代編の後編です👍


前編はこちら




では、今日はその続きから入ります。


私たちの代が来た❗️


振り返ればそれぞれに色んな思い出があるが、でも思えばあっという間に、自分たちが最終学年になる年がきた。


それまでにも、様々な波があり

私は温度差によるストレスも感じながら、転校も考えてた時期があった。

それでも、

みんなと絶対に全国へ行く❗️


どんなに葛藤があっても、この気持ちが私を奮い立たせてくれていたのだろう。



キャプテンになる


一つ上の先輩達は

最後の大会(高校選手権)の県予選で負けてしまったので、早い時期に引退をされ、早くも自分たちの代がやってきた。


そして、キャプテンを決める時がきた。

私たちのキャプテンの決め方は、部員全員による投票制で、開封は上の代のキャプテン達がやります。

そして、その後先生との面接があって、キャプテン、副キャプテンが決まります。


私はサッカーに対する気持ちは強かったけれど、みんなを引っ張ったり、まとめていくタイプではなかったので、自分がキャプテンになるとは思っていなかった。


もしなったとしても副キャプテンくらいで、キャプテンを支える存在だと思っていたし、それが良かった。


でも、キャプテンをする事になったんだ…


チームの危機


細かく話すと長くなるので抜粋するが、

そんなキャプテンになり、新しい代がスタートする時、先生は個性集団の私たち…

色々と生活態度やらに問題があったりもしたので、先生がとあるアクションをした結果


私たちの代、3人が辞めていった。


前回もアップしたが…

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【基本は真面目な生活態度】なのだ。

オフザピッチの大切さを言われてたのだが…


3人が抜けた後は大きかったし、それは色々と悩みの種にもなった。

チームの中でも、色んな苛立ちと寂しさ。

後の不満等もうまれて色んなことがあった。


さらには、先生までもが私たちの練習の指導をされなくなった。

離れたところから、私たちを見守られていたのだ。

だから、自分が練習を考えなきゃならなくて、先生のような事は出来ないけど、知ってるメニューをいかに試合を意識しながら練習できるか?

そんな意識付けを図りながら奮闘していた。


この時期、ほんと悩みが絶えなかった。

(勉強も手につかなくなって、成績を落としてしまったくらいだ。)


それでも…


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信じ抜く力


それでも、私は3人が戻ってくる事をずっと信じていたし、みんな揃って全国へ行きたかった‼️


実は1年の時に、すでに私たちは1人の仲間を失っていて、自分はその子を留めさせることはできなかった。

だからもう、仲間を失いたくなかったのもあったのかもしれない。


絶対戻ってくる

だから、練習日程が出たら3人のところへ持っていった。


本当は色々と伝えたい事もあったけど、口下手な自分は大したことは何も言えない。


ただ…

『待ってるから。』


1人はすぐに戻ってきてくれたのだか、他の2人が戻ってきたのは、3年になってからで、そのうちの1人は高校選手権の大会の約1ヶ月前だった。


戻ってきても、他の部員からの色んな声をきいたり色んなこともあったが、それも全部受け止めながらも、

自分はただただ、信じていたし

帰ってきてくれたことが嬉しかったんだ✨



先生が変わる…


でも実は…

私たち高校最後の年、3年になった時

まさかの先生が転勤になって…

変わってしまったんだ。


衝撃的だった。。。


先生の指導を請いたくて、

そしてまた、先生を全国に連れて行きたくて、

総社高校に来たのに、その先生がおられなくなるというのだから。。。



そんな流れで、高校最後の年は、新たな顧問の先生から色々と教わる事になった。



たくさんの葛藤と仲間の姿


本当に私たちの学年は色んなことがあった。

辞めてった3人の話もあったが、

それと並行して、1人は恋愛絡みの問題で感情が落ちてて、『我ここにあらず』みたいな感じだった。


また1人は、腰に病気を抱えていて

針治療に通ったり、病院に点滴に通いながら、

そんな薬の副作用で高熱が出たり、体調が優れず、授業中は保健室に行ったり、途中で倒れたり…

そんな中も、それでもサッカーで❗️

という思いで、そんなきつい点滴を打ちながらも選手を続けた。

もちろん練習に来れない日もあったが、


その時、彼女が1番

サッカーができるありがたみ

を知っていたのだと思う。


だからこそ、チームの温度差によるストレスや悩みは絶えなかったと思う。


何気なく部活に出てサッカーをしてる人もいれば、そんな気持ちの中でサッカーをしてる人もいる。


全国やもっと上を目指してサッカーをしてる人もいれば、楽しめたら良いという趣味でやってる人もいる。


他の感情でサッカーに集中できない人もいれば、サッカーができる有り難みをしって、できる今を大切にしてる人もいる。


始めたばかりで、サッカー上手くなるために必死な人もいる。


みんな、みんな、立場や思いが違った。


そして、私自身も足の痛みと葛藤していたし、色んな葛藤をもっていた。他の選手も足を痛める人も多かった。


そんなメンバーをまとめるなんて、どれだけ頭を悩ませたことか。



それに、感情的になると涙が出るし

人を怒れるタイプでもなかった。


それでも、

必死になって、できる今を大切にしてる仲間もいる


どんなに色んな事があっても

たとえみんなが全国を信じて見ることができなくても

自分だけは見続けた。

絶対に全国へ行く❗️






全国への切符


そこからの日々は、練習の光景として覚える事もあるけど、覚えてないことの方が多い。

ただ、私たちは県予選を超え、

中国大会も…

実はそれもあまり覚えてない。


覚えてるのは、全国をかけた大一番の3位決定戦の試合の部分的なシーンだけだ。
(この年も3位まで行けるというチャンスな年だった)

本当に接戦だった。

最後までどうなるかわからない。

そんな中も最後まで走り続けた。

この時の私のポジションはセンター寄りの左ハーフ。

そして、

DFラインの子が、なるべく自分を高い位置に入れるようにする為に、守備のラインを調整してくれた。

本当に最後までわからない中

最後まで身体を張って守ってくれた。

その光景に涙が出そうなくらい感化された。

仲間の姿というのは、本当に勇気が湧く✨

どれだけパワーをもらっただろうか。



あれ?最後PKだったっけ?そのまま勝ったんだったっけ?

忘れたけど、とにかく私たちは勝って

全国への切符を手にしたんだ✨


先生にもすぐに連絡した。

『全国決まりました❗️観に来てください❗️』って。



初めての全国の舞台


それからの日々は、また全国へ向けての準備が始まった。

そして、私たちの代の男子部のマネージャーをしてた2人が、女子部のマネージャーとして同行してくれたんだ。


なんだろう?

全国大会の前日に開会式や写真撮影があった。

その時の写真は本当に印象的だ✨

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そして、

移動のバスで、後ろの席をボックスにして3年みんなで騒いでたのを覚えてる✨


とにかくみんなが揃って笑っていた事が嬉しかった✨


試合はというと…

なんかね、立ち上がりみんなガチガチで…😂


対戦相手が全国ベスト4の日本航空で

それだけに、

『飛び立つ前に打ち落とせ!』

な〜んて言ってたんだけど

なんか、緊張から動きガチガチで、呆気なく試合開始早々に1点目を入れられてしまってね…😅

そこから流れにのせてしまったのね。



自分はというと

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どのタイミングの写真なのか知らないけど、笑ってたよ😊笑

そう全国の舞台を楽しんでたんだ‼️


だけど…



初の担架


後半の途中でアクシデント…

自滅したんだけど…笑

慣れない芝だったからかな😅?笑

(結構良いチャンスやったから得点に繋げたかったのに…)


もともと痛めまくってて、高校の時、足首ゆるゆるだったから、両足首テーピング状態だった。

その足首をやっちゃって…


ベンチから1番遠いコーナーから
ベンチまで運んでもらったんだ。

(その節は、大変お世話になりました。)


まさか、初めての担架で運ばれる体験をこんな全国の舞台で、しかもこんな長い距離されるとは思わなかったよ。笑



その運んでもらってる中で
自分は悔しくて涙が溢れかけてた。


そんな時に、
マネージャーの子が横で声をかけてくれたんだ。

『まだ、試合終わってないよ!
 泣くのはまだ早いんじゃないの!?』

って。


ほんとだ。



まだ終わってない…



危ない、自分、諦めかけてた。。。



諦めるのはまだ早い!



そして、ベンチに返ってからテーピングを巻き直した。


ガチガチの上にさらにガチガチにテーピングまいて…

ほんとシューズが広がっちまうってな😂笑


そんな状況で、
ピッチに戻ることになったんだ。



けど、いざピッチに立つと

立つ事だけでいっぱいいっぱいで
走る事すらできなかった。


そんな状態なら後輩に経験させてあげた方が良かったんじゃないかって、思ったよ。


でも…


『彩加がピッチにおってくれるだけで安心する。』


彩加が退場してピッチにおらんくなった時、すごい不安だったわ。って。




何もできないのに…

それでも、仲間がそんな風に思ってくれてたこと

素直に嬉しかった✨



試合は、結局何失点したのかな?


でも、最後にね点が入ったんだ❗️


あの、腰を痛めて点滴に通いながら
きつい副作用に耐えながら

それでもサッカーをしたいからって
最後までやり続けたその子が決めたんだ👍




試合は負けた。

でも、自分たちは誇らしかった。


立ち上がりは悪すぎたし

自分は怪我で退場とかなるし…
最後は走れないほどになってたけどね。

でも、やり切った❗️


そう思えたんだと思う。



空耳


それでさ、全国来て!って呼んだ先生のなんだけど…


なんか自分さ、
先生の声が聞こえた気がしたんだ。


だから、先生来てくれてると思って
試合終わって近く探したんだけどいなくて


そう、実際先生は来られてなかったんだけどね。


でも、あの声は誰だったのだろう❓


今でも思い出すと気になるくらいだ。


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終わりに


高校時代も、本当に色んなことがあった。

こうやって振り返ると、一つのドラマをみたようだ。


サッカーするために集まるような高校じゃなくて、進学校なだけにある温度差や色んな葛藤。

部員だって多くない。


サッカーだけじゃない色んな問題、もちろん勉強だって手を抜かなかった。


部活の時間だって、下校時刻が決まってる。


グランドだって、色んな部活と分け合って、ペナルティーエリアもあるかないかのような狭いスペースの中で工夫してやってきた。


決して恵まれてたわけでもない。


それでも、

最後まで信じて走り抜いた日々は
信じて、決してブラさなかったその強いおもいは
全国の舞台へと連れて行ってくれた。



キャプテンとして
言葉で伝えられるほど器用なやつじゃなかった。

コミュニケーションだって得意なわけでもない。


でもその分、
仲間を思い続けてきた。

そして、

姿で、気持ちで、駆け抜けた。


たくさん葛藤もあったけれど

最後にみんな揃って全国へ行けたこと


そして、
全国の舞台での
仲間からのあの言葉は


これらの日々に
やってきた事に

何か意味があったことを
現してくれたのかもしれない。


本当に全ての出来事に
こんな貴重な体験をできた事に
感謝している。


今さらだけど


みんな本当にありがとう😊


そして、元気にしてますか❓





高校時代、続きがあると言えばあるのだけど
もう長くなったのでここまでにしようと思います。


ただ、この夏の選手権が終わったその時


本当は私はサッカーを引退する予定だった。



だけど、
大学へと続くことに。。。


という事で、



次回は
『私とサッカー⚽️大学編』です💡


それでは、

最後まで読んでいただきありがとうございます😊


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それでは、

ありがとうございます😊


Muchas gracias 

Hasta pronto 👋



女子フットサル選手。過去の経験から今がある!ことに感謝して、夢に向かって歩んでいます!そんな私の活動を応援していただけたら嬉しいです✨