【短編小説】殺意の行方
「あっ、また!」
堀川泉(ほりかわ いずみ)は思わず声を上げた。
「あの人!」
あの人というのは、ただ、今日すれ違っただけのサラリーマンのことである。
その男性がどうしたのかというと、
「感じる! また感じた!」
泉はどういうわけか、感覚が研ぎ澄まされていた。
「殺意だ!」
そうなのだ。
その男性からは人を殺そうという強い意志が感じられた。
こんなことは初めてだった。今まで生きてきて初めてのこと。しかし、その男性からは間違いなく、殺意とともに強い恨みがにじみ出ていた。
泉は20歳、大学3年生。
今日は出席しなければならないゼミがあったが、心配になって、その男性の後をつけることにした。
まさに、あふれんばかりの殺意を感じる。泉以外にそのことを感じている人はいないらしい。誰も振り返らないし、誰も気にした様子はない。
私だけ? こんなに強い殺意なのに?
泉は恐ろしさを感じるくらいの殺意にびびりながらも、男性の後をつけていった。
もしかしたら、この男性は人を殺してしまうかもしれない。
自分が未然に防いであげようとすら考えていた。
N駅に到着。ここから地下鉄に乗り換えるらしい。
男性は地下への階段を足早に下りていく。泉も早足でついていった。
殺意をあふれるほど感じるのに、一見すると、男性は普通のサラリーマンのようだった。普通に出勤している風景に過ぎなかった。
何でこんなに殺意を感じるんだろう?
泉は不思議に思いながらも、自分が止めなきゃ、という使命感でいっぱいだった。
男性は駅で降りた。泉も、もちろんその後に続く。何か、探偵にでもなったかのような気分だった。
男性は、足早に進んでいくと、階段を上がり、地上へと出た。
大通りに沿って歩いて行く。目的地は近いのかもしれない。男性の緊張感と殺意が盛り上がっていくのを感じる。
もし、男性が人とぶつかったら、その人を殺めてしまうんじゃないかと思えるくらい、男性からは強い殺意であふれていた。
男性の表情を見たい。どんな顔をしているんだろう?
すると、男性はとある建物の前に立ち止まった。
「ここが目的地?」
泉も距離をとって、見張る。
男性は、建物と建物の狭いすき間に入り込んだ。陰になったところで、建物の入口を見張るつもりらしい。ここで待機して、殺したい相手を待つのだろうか?
どうしよう? ここで思いとどまらせるべき?
泉は考えた。
だが、何と言って話しかけたらいい?
「あなた、殺意があふれてますよ」とか、
「あなた、今から人を殺す気ですね?」とか、
「あなた、人を殺してしまったら、人生はめちゃくちゃになりますよ」とか、
言えばいいのだろうか?
あり得ない。そんなことをすれば、泉自身、危なくなるかもしれない。男性の殺意が泉に向くとも限らない。それは危険すぎる。
だが、男性の殺意は体全体から感じとれる。
一体、どうすれば?
泉は恐る恐る、男性が見張っている建物の中へ入ってみることにした。
建物は5階建てのビルで、会社がいくつか入っているらしい。
間違いなく、男性はここの人間を殺そうと待ち構えている。
どこの誰なんだろう?
それがわかれば警告できるかもしれない。
「外にあなたを狙っている男性が待機してますよ」
だが、それもあり得ない。バカなことを言うなと一笑に付されるのがオチだ。
しかも、企業はワンフロアに1社ずつ入っている。
玄関から入って、入口にはエレベーターが2機。
降りてくる人、全員に言わなければならない。
しかし、男性から感じる殺意は本物だろうか?
こんなことは初めてなので、自分がどこかおかしいのかもしれない。
気のせいかもしれない。だったら、このままやり過ごせばいいのか?
いや、でも今もすごい殺意を感じる。
泉は悩んだ。
すると、奥のエレベーターから複数の人が降りてきた。1人の年配男性を囲うようにして。年配男性は仕立てのいいグレーのスーツを着こなし、品の良さそうな紳士だった。
泉はピンッと来た。
「この人だ!」
外の男性が狙っているのは、集団の中心にいる年配男性だ! 泉は直感で気がついた。
思わず、集団に話しかけた。
「あの、すみません」
恐る恐る話しかけたものだから、声が小さかったのか、無視された。
「あの、すみません!!」
その声の大きさに驚いたのは、そこにいた複数の人たちだけでなく、泉自身もそうだった。
「何だ、君は?」
年配男性を囲んでいる若い男性が警戒しながら聞いた。
「あの、今出ていくのは危険だと思います!」
年配男性を囲んでいる取り巻き連中は、顔を見合わせて驚いた。
「何で、そう思うのかな? お嬢さん」
中心にいた年配男性が泉に話しかけてきた。口調は優しいが、目は笑っていなかった。
「さ、殺意を感じるんです。あなたを狙っている殺意を感じるんです」
「・・・」
泉が告げた瞬間、空気が凍りついた。
誰も言葉を発しなかった。一笑に付されるかと思いきや、誰一人声が出ない様子だった。
「お嬢さん、ありがとう。でも、大丈夫だ。私は護られているからね」
「そ、外にいると思います。あなたを狙っている人が」
「それは本当かい?」
「多分・・・そう、感じます!」
「ありがとう。では、やめておこうか」
「会長!」
取り巻き連中が叫んだ。
「信じるんですか? こんなこと」
「このお嬢さんが全力で警告してくれたんだ。信じるよ」
年配男性たちは再び、エレベーターに取って返し、戻っていった。
ふう~。泉は大きく息を吐いた。これで安心だ。年配男性の命は守られた。
泉が安心したのも束の間、背後にものすごい殺意を感じた。すぐ後ろに、あの男性が立っていることはすぐにわかった。
泉は動けなかった。
「どういうつもりだ?」
「わ、私はあなたのために止めたんです!」
泉は振り返らずに答えた。
「奴が何をしたか、知ってるのか? 奴はな、俺の家族を殺したんだ!」
「え?」
この人は何を言ってるんだろう?
「俺の両親は交通事故で死んだと思っていた。だがな、本当は殺されたんだ!」
「・・・」
「あの男の命令だったらしい。交通事故に見せかけて殺せってな」
実は、泉の両親も幼い頃に交通事故で亡くなっていた。
けれど、泉の両親の場合は本当に事故だった。泉は相手のことを殺したいと思ったことはない。そう思うには幼すぎたからだ。
「気持ちはわからないでもないです。けど、殺すなんてダメです!」
「ふんっ、あの男がどれほどあくどい奴か、知らないからだ!」
「でも、殺しちゃダメです!」
「はあ〜、君のせいで今日は殺す気が失せたよ。俺の名は川島って言うんだ。君は?」
「え?」
泉は川島という苗字に聞き覚えがあった。というのも、泉の元々の苗字が川島だったのだ!
「川島何さんですか? 何歳ですか? 誕生日は?」
泉は立て続けに質問した。
「おいおい、初対面の人間にいきなりかよ」
「お願いします」
「川島明人、20歳だ。誕生日は個人情報だから言わないよ」
「9月25日」
「え? 何で・・・?」
泉は振り返って、明人の顔をまじまじと見つめた。
「あ、あなた!」
「な、なんだよ、気持ちわりーな。何でわかるんだよ」
「あなたは私の兄です! ・・・多分」
「は? も、もしかして、君、泉?」
「はい、今は堀川泉です。あなたの双子の妹です、多分」
「ええ!」
「私は、現在は堀川と名乗っていますが、元々は川島泉って言います。9月25日生まれの20歳」
「何という!」
「え? 両親が殺された?」
「ああ、俺たちの本当の両親は交通事故に見せかけられて殺されたのさ」
「本当ですか?」
「俺は調べたんだ。間違いないね。さっきのあの男に殺されたのさ」
「そんな、どうして・・・」
「内部告発だよ。親父はあの男の会社に勤めてたらしい。それで、不正を見つけて内部告発しようとした。マスコミにリークしようとしたんだ。そしたら・・・」
「殺された?」
「ああ、15年以上前の話さ」
「だったら、警察に訴えないと!」
「無駄だよ。もう時間が経ちすぎた。交通事故として処理されちまったからな」
「・・・」
「俺はあの男を殺さなきゃ、気が済まないよ」
「ダメです! 殺すなんて・・・」
「なら、どうする? 泉ならどうする?」
「私は、今が幸せだから、別に・・・」
「いいのか? 泉はそれでいいのか? 俺たちの本当の両親が無惨に殺されたってのに、黙ってられるのか?」
「・・・」
「俺に任せろ。今が幸せなら、泉は関わらなくていいさ」
「やめてください!」
「ここで待ってろ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「心配するな。話をつけてくるだけさ。殺しはしないよ」
川島明人はエレベーターに乗って、あの年配男性がいると思われる5階へと向かった。
泉は気が気じゃなかった。今日、15年ぶりに会ったとはいえ、おそらく血を分けた兄妹だ。かけがえのない兄を失ってしまうんじゃないかとさえ思えてきた。
「何してんの、私!」
慌てて泉もエレベーターに向かった。エレベーターの上ボタンを連打する。あせる気持ちとは裏腹にエレベーターは嫌味なくらいゆっくりとした動きだった。
5階に到着するまで、祈るような気持ちだった。なぜ、1人で行かせてしまったのだろう? 後悔が込み上げた。
5階に着いた。
エレベーターのドアがゆっくりと開いていく。いや、泉にはスローモーションに見えたかもしれない。
ここは不動産会社らしい。
明人の姿は・・・なかった。
受付のカウンターには女性が1人座っていた。
「あの」
「はい、何でしょう?」
受付の女性が聞いた。
「今、ここへ来た明人・・・じゃなくて、男性はどこへ行きました?」
「誰も来ておりませんが?」
その瞬間、泉に緊張が走った。
明人が殺されちゃう!
泉は受付の制止を無視して、中へと入って行こうとした。
「ちょっと! 困ります!」
泉は無視して入って行った。
「警備! 警備!」
背後で受付が叫んでいる。
構わず、泉は奥へとずんずん進んでいった。
中にはオフィスが広がっていた。社員たちがじろじろ見てくる。だが、明人の姿はない。
恐らく、奥の部屋に連れ込まれたのだろう。急がねば!
奥にはドアがあった。明人はそこにいるに違いない!
泉はドアに手を伸ばした。
「こっちへ来い!」
だが、その時、警備に捕まってしまった。
「離してください! 警察を呼びますよ!」
「不法侵入はどっちだ! こっちへ来い!」
泉は暴れた。なぜなら、明人からの殺意は消えて、明人の危機を感じるからだ。
「ほら、こっちへ来い!」
「明人ー! 逃げてー!」
泉は叫んだ。
ドアの向こうで、明人は2人の若い男性たちに羽交締めにされ、年配男性から杖で殴られていた。泉の叫び声に気がつくと、一瞬、相手がひるんだ隙に、明人はその場をすり抜けてドアから脱出した。
「泉!」
明人は泉から警備員を突き放した。
「明人、大丈夫?」
顔から血を流している明人に泉が心配して聞いた。
「ああ、このくらい何ともないよ」
拍手が聞こえてきた。1人の人間が拍手をしている。紛れもなく、あの年配男性だった。
「泣けるねー、これぞ愛だ、愛。ハッハッハッ」
年配男性は大声で笑った。周囲の社員たちは何事かとみんな手を止めて様子を見つめていた。
「場所を変えようか。君たち2人にふさわしい場所に」
年配男性は部下の若い男性たちに目で合図した。
殺される!
泉は死を覚悟した。逃げ場がないと感じていた。
多くの社員に見つめられながら、泉と明人は連れ出されていった。
ここの社員は知っているのだろうか? 誰も何も言わず、押し黙っている。2人が殺されるかもしれないというのに。黙認というところか。
「助けて! 助けてください!」
泉は叫んだ。社員たちに向かって叫んだ。社員たちの良心に訴えた。
しかし、誰も何も反応はない。社員たちは下を向いたままだった。
「驚かすな。さあ、行こうか。仕事の邪魔になるんでね」
年配男性は余裕の表情で場所を変えようと促した。
「私の両親も殺されたんです!」
泉が再び叫ぶと、
「おい、何してる! 黙らせろ!」
年配男性が指示した。取り巻きの若い男性が泉の口を押さえた。
「会長!」
すると、1人の社員が叫んだ。
「ん? 何だ?」
年配男性、すなわち会長は突然のことに驚いた。
「もうやめませんか、こんなこと」
「何を言ってるんだ、貴様は! 私に反抗するつもりか? 貴様、クビにされたいか!」
周囲は水を打ったように静かだった。
「貴様の代わりなど、いくらでもいるんだからな!」
社員たちは皆、下を向いていた。
「わかりました。辞めさせていただきます!」
「ふん、勝手にしろ! 貴様などいなくとも・・・」
すると、他の社員たちが一斉に行動を起こした。立ち上がって、出て行く準備をしはじめたのだ。
「な、な、どういうつもりだ! 何なんだ、お前たちは!」
社員たちは会長に対して一礼すると、会社から一人ずつ出て行こうとした。
「バカ者! 恩を仇で返す気か! どいつもこいつも、くそったれが!」
最後に、先ほど声を上げた社員が一人残り、会長に向かって言った。
「あなたは終わりです。我々は警察に向かいます。こちらにも警察が向かっていますよ」
「は、はあ?」
ちょうど、窓の向こうからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
会長の顔は、人間の顔がこれほどひきつるのかというくらい、顔中がひきつっていた。
「お世話になりました。塀の中でもお達者で」
そう言うと、社員たちは全員、すたすたと出て行った。
泉と明人はあまりに突然の出来事に唖然としていたが、すがすがしさを覚えた。
会長はその場に崩れた。
会長を囲んでいた取り巻き連中は、右往左往して顔を見合わせるなり、慌てて逃げ出していった。
会長は目の焦点が合わず、これまでの姿が嘘みたいに小さくなっていた。
泉と明人はほっと胸をなで下ろした。助かったのだ。
社員たちが反旗を翻してくれたおかげで、命拾いした。
間もなく、警察がやって来て、会長は逮捕された。その姿は、髪も乱れ、一気にやつれた様子で見る影もなかった。
泉と明人にも話を聞きたいと言われ、署まで行くことになった。
「これで親の無念が晴らされるよ。成仏できると思う」
明人が満足げに言った。
「私たちの両親ね」
「ああ」
「お待たせしました。お送りしますよ」
女性警官が来た。
2人は安堵した表情を浮かべ、パトカーへと向かっていった。
終
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?