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里親研修で大人になった里子である私が里親さんたちに伝えたこと。

先日ある児童相談所で行われた里親研修の場で、講師として自分の里子としての体験談をお話しする機会を頂きました。
今回その研修を終え、里親さん方から受けたいくつかの質問とそれに対して答えた自分の体験談をいくつかまとめてみることにします。

私は6歳の時に今のお父さんとお母さんに引き取られましたが、それまでは乳児院や児童相談所で生活をしていました。

今私は28歳になりますが、このオファーは私が18歳の頃から受けていました。
ですが、小さい頃から産みの親ではない両親と家族として暮らすことは自分にとっては当たり前の環境だったので、そんな当たり前な話を人前でする意味はあるのだろうか?、普通の家族として育った感覚の自分にとって、里子ならではのエピソードなんて自分にはないのでは?と思い断り続けていました。

しかし何年経ってもオファーし続けてくれたおかげで、きっと自分の体験談を必要としている人たちがいるのではないかなと自然と思えてきたり、大人になるにつれて言葉を使った仕事がしたいという明確な夢ができてから、これもまた一つ言葉を使って何か人の役に立てるのではないかと思い10年経った今、この依頼を引き受けることにしました。

最後の里親さんたちからの質問や感想の中で「自分の職場で児童相談所から里子を引き取った話をした際、里親というものがどういったものか全然浸透している気配がなかった」「血の繋がらない子供を引き取ったことに驚かれたりもした」「里子さん側の気持ちや意見をもっと聞きたくても、そのような場がなかなかない」「自分の体験談を広めたいといった気持ちや実際に活動されていることはありますか?」という言葉が出てきました。

そもそも里親研修でのお話会を10年も断り続けていた私なので、里親との生活について知って欲しいとか広めたいなんて考えてもいませんでしたが、今回そんな質問を受けたり私のちょっとした話が参考になると言われ、そういえば里親さん側の気持ちなんて考えたこともなかったことに気付かされました。

またこの里親研修を通して里子さんたちとの関係構築の中で、悩んで苦しんでいる方って実はたくさんいるんじゃないかなという印象も受けました。
なので今回このnoteで私が受けた里親さんたちからの質問と、私が答えたことをいくつかまとめてみようという気持ちになりました。

今回参加できなかった里親さんたちにも届くといいなと思います。
そして自分でもどの部分が参考になるのかは分かりませんが、何か里子側の気持ちや、いち意見として参考になれば幸いです。

質問1:血の繋がりがないことを気にしていましたか?親との関係をオープンに話すことに関して抵抗はありましたか?

親と血が繋がっていないことについて気にしたことは全くありません。
自分が里子であることは、「私はB型です、私は乙女座です」と言うのと同じくらい自分を構成するほんの一部でしかないと捉えています。
血の繋がりがある親の名前も顔も知らない自分にとっては、血の繋がりなんて1番どうでもいいことでした。
それよりも今の両親と本当の家族の関係を築き続けることができたので、それが自分にとっては欲しい全てのものでした。

それでもなぜか学生の時に自分のそんなバックグラウンドについて周りの友達に話したことはありませんでした。
わざわざ自ら話す話題でもないと思っていたのと(今でも思っている)、自分にとっては当たり前のことでも、もしかしたら周りの友達からするとちょっとびっくりすることかもしれないということも自覚していたからです。(特に小中学生の頃)

まだ幼い小学生の頃って悪気なく無邪気に色んな質問をしてしまうものだと思うんですが、そんな質問を受けることもちょっと面倒臭いと感じていたし、自分もまだどんなことを聞かれてもちゃんと言葉にまとめて伝え切れる自信もなかったと思います。

なのでこの歳になってなんでも自分の言葉で答えられるようになった今、機会さえあれば自分のバックグラウンドについて話すようになりました。
今、昔の自分に戻ったとしても積極的にオープンに話しているところはやっぱり想像できないし、今この歳になって話したことは自分にとってのベストタイミングだったと思います。
話したいと思うタイミングも、言葉にできるタイミングも人それぞれなので、里親さんも里子さんも自由なタイミングでオープンにしていければいいのかなと思います。

質問2:里親さんにしてもらって1番嬉しかったことはなんですか?

「里親さんからしてもらって」というならではのエピソードはなく、親にしてもらって嬉しかったことは、1番と1つに絞ることはできませんが、毎年毎年力作のバーズデーカードとクリスマスカードをくれたことです。(今でも貰っています❤︎)

毎年歳の数だけ私の好きなところを書いてくれたり、家族との写真を切り抜いてはってくれたり、シールでデコレーションしてくれたり、そんな温かいバーズデーカードやクリスマスカードを貰うたびに、こんなお母さんに出会えてよかったと思いました。

またそんなお手紙を貰うことが習慣になったおかげで、私も大切な人に熱い熱いお手紙を書く習慣ができたんだろうなと思います。

質問3:施設に預けた産みの両親を恨んだとはありますか?

ありません。
私は産みの親の顔も名前も知らないので、自分にとっては街ですれ違うその辺の他人と全く同じ感覚なので、産みの親に対して恨むこともなければ特になんの感情もないです。

ただ幼稚園の親同伴の遠足があった時、自分だけお母さんがいない現実を突きつけられた気がして、誰にも言えない言葉にもできない寂しい思いをしたことはいつまでも忘れられなかったりします。

それでも一つだけ感謝していることは、自分に「彩子」という名前をくれたことです。
今まで出会ってきた大切な人たちに自分の名前を褒められたりすることもあり、自分の名前が大好きです。
「彩子」という名前は自分に1番ピッタリな名前だと思っているし、また「彩子」という名前にふさわしい人生になるように育ててくれた自分の両親にも、とっても感謝しています。

質問4:児童相談所から今の両親のお家に移った初めのころ、不安だったことはありますか?

あります。
ただただ本当に愛されているのかどうか、何があっても自分のことを手放さないでいてくれるのかどうかずっとずっと不安でした。
児童相談所から今の両親のお家に引っ越してきた初日、お家に着くなり「このニセモノお母さん」と泣き叫び家のふすまを蹴っ飛ばして思いっきり穴を開けてしまいました。
あの日から20年以上の時間を両親とともに過ごしてきました。

今は大人になり不安になる時はちゃんと言葉で自分のことをどう思っているのか聞くことができますが、当時6歳の自分にできる不安の拭い方は、ただただ声が枯れるまで毎日泣いて、家のふすまを蹴っ飛ばしたり、何かものに当たることしかできませんでした。

それでも1日もお母さんから見捨てられたり、答えが返ってこない日はありませんでした。
お母さんにとって、自分にとって辛い日が数えきれないほど続きましたが、戦い続けられた理由にはお互いに好きだという気持ちがあったから、それしかなかったように思えます。

大切な人からちゃんと自分は愛されているのだろうかという不安は、この歳になってもずっとずっと続いています。
頭ではちゃんと愛されていると理解していても、心も同時に理解することは今でも難しかったりします。
この問題は一生持ち続ける自分の人生の課題になるとも思っています。

質問5:うちでもよく喧嘩が起こりますが、親御さんと喧嘩した時はどんな風に仲直りしていたのでしょうか?

私は学生時代一生反抗期だったので、児童相談所から今の両親のお家に移り、社会人になって家を出るまでの期間ずーーーーとくだらないことで大きな喧嘩をしていました。

しかし私の性格上誰かと喧嘩をしてイライラや悲しい気持ちを持ったまま寝ることができなかったので、いつもイライラしながらもお母さんの寝室に言って「仲直りしようよ〜」って言いに行きました。
「仲直りしようよ〜」と言いながらも大体いつも「お母さんから謝って」と言いいつもお母さんから謝ってくれて仲直りしていました。

特に家に来て最初の頃は、何かが不安で怖くて毎晩泣いてばかりいて、たくさんお母さんにあたってしまい、2人して寝不足の日々が続いていました。
今思うとお母さんに申し訳ない気持ちでいっぱいですが、どれだけ反省して過去に戻ったとしてもあの瞬間はきっとそれ以上の不安に押しつぶされて、まったく同じような喧嘩をしてしまうだろうなとも思います。

どんなことがあっても小さかった私の心を守り続けてくれたお母さんに、自分の残りの人生をかけて感謝してもし切れないです。

質問6:自立することに不安はありませんでしたか?

ありませんでした。
小学生の頃から明確な将来の夢があったおかげで、その夢を叶えるために今の自分が何をすべきか自分なりに常に分かっていたので、ただそれを達成し続ける学生時代でした。

19歳の時に留学に行き、それが生まれて初めての親から離れる経験でしたが、とっても充実していて楽しくて、自分は親と暮らすより自由に一人で暮らす方が好きだし自分にもその方が合っているとも思いました。
なので早く一人暮らしがしたくてたまらなかったです。

エアラインの専門学校を卒業して21歳ですぐ実家を出て、それからはずっと離れて暮らしています。
実際に離れて暮らしてみてみると、実家にいた頃のようにもう喧嘩をすることも無くなったし、少し離れて暮らしているこの距離感がベストだと感じています。
もちろん実家にいた時も毎日喧嘩をしながらも毎日仲良しでしたが、今は傷つけあうことなく仲良くいられることに幸せを感じます。

質問7:血の繋がりがないのでやはり親子なのに、一般の家庭と比べて自分の顔と親の顔が似てなかったりすると思うのですが、それを気にしてしまったことなどありましたか?

ありません。
そもそも人間の先入観はすごいと思います!笑
周りの人たちはみんな私たち家族は当たり前に血の繋がっている家族だと思い私たちを見るので、もうそれだけで顔が違うなとか考えないし、気づくことができないんだなと感じてきました。

実際に「親と顔似てないね」と言われたことがないどころか、「お母さんと顔似てるね」と言われてしまうこともよくありました。
血が繋がっていること以上に、同じ屋根の下で暮らして同じものを食べて、同じような時間帯に寝て起きて、、、といった同じような生活をしていると不思議と肌の質感あたりから顔が似てくることを知りました。

同じところに同じタイミングでニキビができたり、お互いの喋り方や性格が影響しあって同じような趣味嗜好になってきたり、血の繋がりがなくても一緒にいると嫌でも似てきてしまうので、全く気になることはありませんでした。

質問8:今小学生の里子と一緒に暮らしていますが、この先もずっと一緒にいるなんて保証もなく、本当はいろんな言葉をかけてあげたいのですが、どこまで、どんな言葉をかけていいのか分かりません。里親さんから言われて嬉かった言葉とかってありますか?

(この質問を受けた時、「ずっと一緒にいるなんて保証もない」という意味が分からなかったので、横にいてくれた児童相談所の職員の方に聞いたところ、もし産みの親がやっぱりまた引き取りたいと言い出した場合はその意見が優先されてしまったり、自分の意思とは関係なくまた離れ離れになってしまう可能性もあるとのこと)

普段のやり取りの中でたっくさんの嬉しい言葉を数えきれないほど貰ってきましたが、1番言われて嬉しかった言葉はとってもシンプルですが「好き」という言葉です。
「好き」という言葉が1番好きかもしれません。

私は今の両親と家族になった時から、もしかしたら一生一緒にはいられなくなるかもしれないという可能性があったとも知らず、私の一生の家族なんだ!と信じて疑わなかったので「好き」だとか「ずっと一緒にいようね」って心から毎日のように言い合っていました。

「この先もずっと一緒にいられないかもしれない」という可能性も知りつつ、里子さんと一緒に暮らす里親さん側の経験は自分にはないですが、それを考えるとどこまで言葉をかけていいのか分からなくなってしまうという気持ちが少し理解できます。

しかし私は小さい時にたくさん言われた「好き」という言葉が、自分の人生に大きな希望をくれました。
また今の両親に引き取られる前に過ごしていた児童相談所の保母さんからも、たくさんの愛情とあったかい言葉と、優しい笑顔をたくさん貰いました。
今考えるとあの時保母さんたちは確実に近い将来私とは離れ離れになって、もう2度と会わなくなると知っていたと思いますが、その中でも本気で自分のことを大切に可愛がってくれて、嘘のない言葉でたくさん愛してくれました。

22年前に児童相談所を出てから1度も保母さんとは会ったことはないですが、今でもあの時保母さんから愛された記憶が自分の人生に何度も何度も勇気をくれます。

いつか離れ離れになってしまっても、人から言われた嘘のない愛のある言葉は一生記憶に残るし、どれだけ時が経っても色褪せることなく心に残り続けてずっと人生を支え続けてくれると自分の経験から感じました。

なので言いづらい、言いにくいいろんな理由があると思うのですが、全ての理由を飛び越えて伝えたい愛の言葉を惜しみなくかけてあげたら里子さんも嬉しいし、一生その人の勇気や希望になると思います。


今回はこのような質問などを受けました。
今回のまとめは受けた質問の一部ですが、里子さんとの関係に悩んでいる里親さんたちの何か小さな小さなヒントになるといいなと思います。

また自分が小さかった時は、毎日毎日のイベントに精一杯で親の気持ちなんて考えられる心の隙間も時間もなかったですが、今こうしてこのような里親研修に参加してみると、実は子供以上に親側の方が繊細なことで悩んでいるということを知りました。
特に血の繋がりが無いということについて、悩んでいる方も意外と多かったように思います。

大人が悩んでしまうのは幼い子供と比べてそれなりに経験や知識があるがゆえに、子供が知っている以上に人生の選択肢を知っているからだと感じました。
今回の里親研修でまだ小さな小さな赤ちゃんを引き取ったある里親さんが「本当にうちでよかったのかな」なんて悩んでしまうと言っていましたが、その赤ちゃんはそもそも他の親も他の道も知らないので悩むことすらできないです。

私も幼い頃はそうでした。
突然お父さんかもしれないという人の家に預けられたり、乳児院に預けられたり、児童相談所に預けられたり、常に目の前に現れる生活を自分のものにするので手一杯で、この場所でよかったのだろうかなんて考える概念もなかったです。
その時その時で誰かに愛されることにいつも必死でした。

何より自分のことを愛してくれて守ってくれる家族が欲しくて欲しくてたまりませんでした。
これは里子である私のいち意見だと思いますが、子供はきっと里親さんが思っている以上に血の繋がりなんて気にしていません。
それよりもずっと一緒にいてくれるだろうか、本当に愛してくれているだろうかなんてことが気になります。

だからたくさんの愛を伝えてあげてください。
私から伝えたいことは、それしか本当はないのかもしれません。

(だけど愛を伝えるって本当に大変ですよね、、、。昔の自分のお母さんを思い出すと、誰にもあんな大変な思いをして欲しいとは絶対に思えません。ぶつかり合って傷つけあって心をボロボロにしすぎてしまうと、せっかく愛していても愛する体力を失ってしまったり、伝える手段も失ってしまったりします。もしも親子関係でツラいことがあるならば、絶対に無理をしないでくださいとも言いたいです。)

ここまで読んでくれてありがとうございました。
また機会があればこんな研修に積極的に参加してみたいです。
また個人的に何か質問があればお気軽になんでもしてください😊

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